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It is no use crying over spilt milk  作者: 風音沙矢
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It is no use crying over spilt milk 01

高校時代、英語の授業で、ことわざの英訳があった。

その中で、「覆水盆に返らず」は、「It is no use crying over spilt milk」だと習った。

それが、大人になって、本当は、意味が違うと分かった時、何か興奮している自分が居ました(笑)


「It is no use crying over spilt milk」の意味は?

こぼれたミルクを見て泣いても無駄だ。

でも気にしなくていいよ。また注げばいいんだから。

ポジティブ・シンキング!


「覆水盆に返らず」の意味は?

この水を盆に返してみろ! できないだろ。

それと同じで、お前との関係も元には戻らないんだよ。

せいぜい自分の行いを嘆いて生きていくんだな。

 ネガティブ・シンキング。


ミルク(水)がコップ(盆)には戻らないことは同じでも、その後の展開がこんなに大きい差になっていくとは知らなかった。

なんか、「It is no use crying over spilt milk」って、良いなと思ったのでした。







 僕は、昨日、離婚した。

 この離婚を、僕は、5年の間、ずっと待っていたんだと思う。思うと言うのは変なものだが、半ばあきらめていたので、正確に言えば、待っていたと言うよりも、ただの妄想?だった。深いプールの奥底から、水面を見上げているようで、音も聞こえない、景色もうすぼんやりと揺れて見えているような5年間だった。実際に、水面に上がって来て良いよと言われて、出てきて時計を見ると、時計の針がクルクルと早回りして、5年分のつじつま合わせをしてくれたような不思議な感じのまま、プールから上がった倦怠感で、心も体も重かったから、うれしいと言う感情は、こみあげてこなかった。


 東京を離れ、今、宗谷岬の先端に立っている。自分では、拒絶している、されていると思っていた義理の家族。その関係を終えたとき、本当は大切にされていたことに気付いて心が痛んだ。後悔なのか、懺悔なのか、解放されたとは思えない自分がいた。これから、何をしたらいいのか、答えが出ないまま、ここへ来た。空気が澄んでいれば見えるというサハリンにジッと目を凝らした。白波がたつ水平線を見ていると、ボーボーと言う風の音だけが、僕を包んでいる。ひとりだ。僕は、一人なんだ。長い長い5年の時が過ぎたことを思う。

「今日は、見えないのかな。」

リュックを下ろして、うーんと、大きく伸びをした。


 実際に、離婚できるとは思っていなかった。あのプライドの高い、美佐子が離婚を承諾すると思っていなかったからだ。でも、彼女は、僕を開放してくれた。

美佐子との関係は、あまりにも自分の独りよがりで始まった。高校で出会った2年先輩の彼女。幼さが残る生徒の中で際立って、きらきらと輝いていて、自分もそんな人間になりたいとあこがれて、大学も選んだのは、やりたいことではなく、彼女のいる大学。ただただ、彼女を追いかけて、2年後には、彼女と同じ研究室に入って、このまま、どこまでも追いかけていくんだ。と思っていた僕に、大学でも人気者だった美佐子が

「付き合ってみない。」

と言った時、僕は有頂天になっていた。


 好きとあこがれをはき違えたまま、3年後には結婚していた。彼女は、院を卒業して研究室に残っていたが、僕は、特別やりたいことがあったわけではないので、研究室に残る選択肢はなかったから、大学卒業後高校教師になった。その後、彼女は研究を続け、大学開校以来のスピードで、准教授になった。そう、6年前、汐里と出会ったころだ。


 美佐子はどんどんと多忙になり、研究者にならなかった僕との距離が精神的にも物理的にも広がっていった。学生の頃は、美佐子がやろうとしていることが少し見えていた。それが社会人になってしまうと、僕には、理解できないことが多くなり、僕と美佐子との会話が減っていった。それでも、どんどん輝いていく彼女。そして、僕は家事全般をこなしながら、難しい生徒たちとの軋轢にへとへとになっていた。


 その頃、週に2回ほど通っていたスーパーのレジに汐里がパートとして働きだして、買い物の清算が済むと、人一倍大きな声で、

「ありがとうございました。」

と言って、にっこり笑ってくれた。何も、悩みがないんだなと半分バカにしながらも、また、彼女のレジに並んでしまう日々が続いていた。そうなんだ、その頃、僕は笑うことを忘れていた。そして、彼女の笑顔が、僕の心のささくれを治してくれていた。


 結婚してすぐは、美佐子も休日は家にいたから、映画に言ったり美味しいと評判のレストランへ行ったりしていたけど、忙しくなりだした彼女は、土曜日の講義を受け持ち、平日の水曜か木曜が休日となり、僕とは休日が合わなくなっていた。それぞれの休日は、一人で過ごすことが増えていった。僕は、近所の公園へカメラをもって出かけることを楽しみにしていて、ある時、公園の池のそばのベンチに座っている汐里と出会った。僕に気付いた彼女は、慌てて頬をぬぐう。えっ、泣いていた? 僕は、どうして良いかわからず足を止め、おずおずとハンカチを差し出した。驚いた彼女は、ポカンと僕を見上げ、その後クスリと笑って、

「何でもないの。大丈夫よ。」

と言って立ち上り、急いで歩き出そうとして、ほどけていた靴紐を踏んでよろけた。


 思わず抱きしめて、ばつの悪さで手を放す。僕は、そのまましゃがんで彼女の靴紐を結びなおした。

「ありがとう。」

小さな声の彼女。

「レジの前のような、大きな声じゃないんですね。」

と、僕。汐里が僕を見て、噴き出した。

「良かった。笑ってくれて。それじゃ、また。」

て、なんだよ。またって、友人でもないのに、と思いながら、恥ずかしくなってうつむいた。すると彼女も、

「ありがとう。それじゃ、またね。」

いたずらっぽい眼が、僕を見てる。と、

「あっ、トンボ!」

「えっ?、あー、アキアカネだね。」

「アキアカネ?」

「アキアカネは、赤とんぼと呼ばれる一種なんだ。」

「まだ、秋でもないのに、いるのね。」


「名前から秋に出てくるって印象だけど、実はアキアカネが出てくるのは6月末から7月初めにかけて、ちょうど今頃なんだよ。成虫になったアキアカネは、その後まもなく山を目指して飛んでいくんだ。梅雨があけ、真夏の日が照りつける頃には、アキアカネは山に移動してしまう為、平地で見かけることはなくなる。アキアカネが暑い夏を過ごすのは、標高が1000mを越す高い山なんだよ。アキアカネが夏を高い山で過ごすのは、避暑だと言うのが定説になっているけど、本当のところはよく分っていない。夏休みが終わり、暑さがやわらぐ9月初めから中頃になると、山から里へと降りて、平地に戻って来る頃のアキアカネは体ががっしりして、オスのしっぽは真っ赤で赤トンボらしくなっているんだ。」


 すると、くすくす笑い出す、汐里。けげんそうに、話をやめた僕に

「ごめんなさい。スーパーで見かけるあなたは、なんか無口そうなのに、けっこうおしゃべりなんだなって思ったら、おかしくなっちゃって。」

「本当は、昆虫の研究がしたかったんだよ。」

「え、そんなに詳しくて、今は、何をやっているの。」

「高校教師。数学の。」

「ふーん、どっちにしろ、頭いいのね。」

からかっているようでなく、素直に、言っていることがわかる。汐里の言葉が、僕のざらざらした心に優しく浸みこんで、どんどん潤ってくるのがわかった。


 この場を離れることを恐れるかのように、夢中になって話題をつないでいると感じていたのは僕だけじゃないと思った。それでも、時間は過ぎてしまって、5時を知らせる音楽が鳴って、はっと気づいた。お互い慌てて、そのまま別れてきたけど、また会えたら、また話をしてみたいな、なんて、初めて抱いた感情に、僕は少し戸惑ったけど、久しぶりの高揚感がうれしかった。今、振り返るとおそらく初めての恋心だったんだ。随分ぎこちない恋だったけど。そう、思う。


 その後、公園で偶然会ったことが、二人を急接近させた。いつもの時間に池の近くのベンチに座り、鳥の話をしたり昆虫の話をしたり。無口といわれる僕なのに、会話が途切れると、

「それじゃあ」

と、彼女が言うことを恐れるあまり多弁になっている。いい年をして可笑しいけど、僕は汐里とのこの時間が待ち遠しくて、土曜日の朝は、ソワソワとして、家事も手につかない状態だった。何度も時計を見て、午後2時になると家を出た。何を彼女に望んでいるわけでもなく、たわいない話をしている時間が宝石のような輝きになって、今の自分のすべてのような、そんな気持ちだった。


 汐里も、きっと同じように思っていると思えた。だから約束しているわけじゃないけど、毎週、公園に来てくれているはずだ。何も壊さずに、このままでいいんだ。1週間に一度のその時間だけでいいんだ。僕は、自分の都合の良いように目も耳もふさいだまま、結婚以来、今までで一番幸せな1年がたとうとしていた。


 季節は巡り、公園の桜が満開になっていた。その日も、午後2時になるのを待って、急いで家を出た。急いだって、汐里が来ているとは限らない。約束しているわけではない。暗黙の約束。30分ほどかかって、公園に着いた。桜の咲く池のそばのベンチに、彼女を見つけた。雲が抜けてお日様が顔を出した。眩しそうに、見上げているその顔に見とれた。きれいだ。思わず、持っていたカメラのシャッターを切る。


 彼女が僕に気付いて、ペコンと頭を下げて笑っている。

「今日も、会えてうれしいよ。」

僕は、今、満面の笑みを浮かべている、きっと。今日は、何の話をしようかと毎週1週間考えているけど、いつも、鳥や昆虫の話しかできない自分が、うらめしくなっていた。結局、今日も同じような話をしていたが、ふと、彼女の顔が少し、陰っていることに気付いて、じっと彼女の顔を覗き込んだ。


「あのね、夫が、漣とのこと知ってしまったの。」

「漣とは、何でもないと言っても、信用してくれないの。ただ、公園で話をするだけだと言っても、ダメ。」

「結婚して、もうすぐ5年がたつわ。私、幸せだった、彼と結婚して。だから、すぐに子供を産んで、ママになることを楽しみにしてたの。」

「でも、無理だった。私たち、本当の夫婦じゃないのよ。」


 それ以上は、口にしなかったけど、その理由は何となく判った。汐里には汐里の悩みを抱えて、生きていた。それは初めて公園であった時から、うすうす感じていたことだけど、お互いの生活に踏み込まないことが、僕と汐里との関係を続けていけると、勝手に思って、ずるいけど聞かなかった。そうだよね。汐里はやっぱり結婚していたんだ。

「どうする?もう会うことはできないかな?」

「そうだね。きっと、会ってはいけないんだね。」

そういう僕を、汐里は悲しそうに見上げた。






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