その檸檬色に、攫われるかと思った
なななん様主催「夏の涼」企画参加作品です。
いつも通り勢いで書いた作品です。欠陥まみれだと思いますがご容赦ください。
今日は、あの人の誕生日。
俺は東京から電車で6時間かかる村を訪ねる。小学校3年の頃、俺は避暑地として知られている父親の故郷で夏休みを過ごした。その時に出会ったのがあの人、風南だった。
風南は出会ったときには、俺よりも背が高くて声も出来上がっていた。いつもサングラスと帽子を身に着けていたから顔はよく知らない。ただ、素朴で柔らかいソプラノは、ずっと聞いていられると思った。
風南とは8歳の夏休みを過ごして以来、会うことはなかった。その代わり、お互いの誕生日が近づくとバースデーカードを送る。12月の俺の誕生日と、8月の風南の誕生日。風南は確か、今年で30だ。
でも今年は、風南にバースデーカードを送らなかった。
今日はあの人の誕生日
俺はあの人に、これをプレゼントしてやる
俺は歩きながら、喉仏をさすった。
父親の実家から少し離れたところにある滝に着いた。深い滝壺には水を浴びる、黒髪の女性がいた。
「風南!」
ドーーーッ、滝の落ちる音を打ち消すように、俺は声を張った。
「だれ?」
彼女の声は、15年経とうが忘れもしない。高いけど、飾り気のない優しい声だった。
「風南、俺だよ。夕帆だよ」
彼女は濡れた髪をかきあげて俺を見た。
俺が驚いたのは、風南の素顔を見たからではなく、風南の瞳が信じられない色をしていたから。
「夕帆……」
見開いた彼女の瞳は、レモンシロップを落としたような色をしていた。ああ、初めて見た。風南の目。太陽に負けてしまいそうな、色素の薄い瞳を隠すように、前髪がぱらりと落ちた。
「そっか……15年も経ったからどんな顔だったか忘れてたよ」
「……っ! 冗談きついよ風南……!」
俺も風南も笑った。自分の声が震えているのは、気づかないふりをした。
風南はまだ滝壺に入っている。ひんやりとした空気が晒された腕をつつく感覚がすると、昔のことを思い出す。風南と俺は、よく滝壺で遊んでいた。冷たい水に喜んで、くしゃみが出るまで風南とはしゃいだ。
風南が落ちた前髪を後ろに払った。
「今日おじいちゃんに会いに来たの?」
親戚の用事だと思われたらしい。水を弄ぶ風南の手は柔らかい色をしている。
「あんた15年前、言ったよな? 『私を振り向かせたかったら、男の声になってからにしなさい』って」
「……。」
「あんたを攫いに来た」
澄んだ檸檬色の瞳がぱちぱちと瞬きをした。伝われ、伝われ。俺は服を着たまま滝壺に走って行った。水を含んだ服が重い。15年前から変わらない、細身の体を抱きしめる。
「好きなんだ、風南」
風南の瞳が、蕩けるように笑った。身体を押されて、水面に叩きつけられる。きゃらきゃら笑う風南に仕返しをする。「きゃー!」と倒れる風南は楽しげだった。
「あははっ! もー!」
「先にやったのはあんただ! ……くしゅっ!」
「ふふふっ!」
水をかけあいは、俺がくしゃみをしたと同時に止まった。
ドーーーッ、滝が落ちる音だけが聞こえる。風南がゆっくり近づいてきて、俺の前髪をかきあげた。その手を取って、また抱きしめる。水を浴びたのに、甘い香りがする。一度体を離されたと思ったら風南の両手が俺の肩に這い上がって来た。華奢な手が肩を撫でて、離れる前に俺は風南の頭を引き寄せて唇を合わせた。
たぶん俺は、風南を知りたかった。サングラスの奥がどうなってるか以外にも。でも風南は、どこかで傷ついてきた。傷ついてきたから、ここにいるんだ。だから、風南には大らかな村の人たちに囲まれて、穏やかに生きてほしい。今日ここに来て、そう思った。そう思って、苦しょっぱい水を飲み込んだ。
「上がろう」
「うん」と俺は頷いた。
「嬉しかった、すごく」
「うん」と俺は言った。
「キスの先は?」
「ばーか!」と俺は声を荒げた。
滝が俺たちを見送るように、大きく水を落としていた。
風南と会った翌日、俺は電車に揺られていた。俺の隣には誰もいない。俺は去年貰った、風南からのバースデーカードを取り出した。
『お誕生日おめでとう。映画観に行きました。あなたの演じたキャラクターがカッコいいと、娘も嬉しそうにしていました。これからも身体に気を付けて。夕帆をずっと応援しています』
私が馬鹿の一つ覚えのように登場させる、瞳の色が不思議キャラのお話でした。
もうどうしてストックもないのに飛び込んだのか……。
なにはともあれ、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。