そらのそこのくに せかいのおわり 〈Vol,02 / Chapter 02〉
ゴヤが向かったという現場は、セントラルシティの中で最も格の高い住宅街、ブルーベルタウンの中にあった。ここは貴族らの邸宅だけで構成された町で、例えセントラル一の豪商であっても、ここに家を持つことはできない。爵位のない者は土地も物件も購入できないと、セントラルシティの条例に明文化されているのだ。
かの有名な貴族専用住宅街、ブルーベルタウン。話に聞けども、よほどのことが無ければ地方貴族が出入りする機会はない。農村育ちのマルコも御多分に漏れず、田舎者らしさ全開で顔を強張らせている。
「その……ここに『住宅街』という名称を使用して良いものか、考えさせられますね……」
どこまでも延々と続く広い道。道の両脇には、やはり延々と続く森や庭園。時折道沿いに建物が見受けられるが、それは使用人たちが寝起きする離れだったり、私兵隊の宿舎だったりする。どの家も、母屋は通りから遠く離れた場所にぽつんと建っている――ように見える。
遠近法の問題だ。実際には『家』ではなく『城』と形容すべき建物も、距離と空間の都合で、小ぢんまりとした家に見えてしまう。
つまりどの貴族も、それだけ広大な土地を所有しているということだ。
「マルコも早く金溜めて、自分の家買わねえとな」
「ええ、持ち家の無い王族なんて、格好悪いにも程があります。このままでは花嫁も募集できません」
「だよな。俺も自分名義の家買わないとな~。一応、ここにも一軒持ってるけど……」
「『ブラックキャッスル』ですね! 伝説の人狼、ネロが暮らしたという漆黒の城! セントラルシティの観光名所マップにも掲載されていますよね!」
「そう、そうなんだよ。中途半端に城下町からも見える場所に建ってるせいで、みんな見に来ちまうから……実際には築三百年超えの住み心地最悪オンボロ住宅なんだけどよ。観光スポットになっちまってる手前、取り壊すわけにもいかなくて……外観だけ、常に補修工事し続けてんだ。今度来てみるか? 中、かなりヤバいぜ?」
「夢が大破しそうなので、謹んで辞退させていただきます‼」
「だよね~♪」
二人はそんな雑談で盛り上がりながら、のんびりと馬車を走らせる。今日は二人とも馬車の中だ。例の新聞記事のこともあり、車両管理部の者が御者を引き受けてくれた。
ロドニーは前方の小窓を開け、御者席の眼鏡の青年、デニス・ロットンに声をかける。
「なあデニス、お前、あの話聞かせてやれよ」
「え、アレですか?」
「ああ。セントラルあるある話ってことで」
「まあ、そうですね。マルコさん、確か、学生時代はこちらにいらしたんですよね?」
「ええ、中学から大学までは」
「それでも、ブルーベルははじめてでしょう? ご友人の中に、貴族階級の方が大勢いらしても」
「はい。友人宅にお邪魔したこともありましたが、別の住宅街のほうでしたので」
「でしょうね。出るんですよ、ここ」
「出る?」
「はい。出るんです。だからどの貴族も、管理のために幾人かの使用人のみを置き、自分は絶対に足を踏み入れない。いや、実はですね? 僕ら毎年、ハドソンさんのブラックキャッスルに遊びに行くんですよ。夏の定番レジャーとして。いやぁ~、なかなか刺激的ですよ、あれは……」
「ええと……あの、この文脈は、もしかして……」
「築三百年超えのお屋敷、宮殿、城塞……なかには、かの大戦で竜族に焼かれ、一夜で千人が灰に変えられた悲劇の逸話も……さあ、何が出るんでしょうねぇ~?」
マルコは目に見えてわかるくらい頬を引きつらせている。おそらく、背中は冷や汗で濡れていることだろう。
「デ、デデ、デニスさん? あの、もしかして、これから向かうお屋敷にも……?」
「ええ、もちろんですよ。そうでなければ、ゴヤさんが出動するはずがありませんから」
「ど、どういうことでしょう?」
「おや? 御存知無い? 彼は特務部隊が誇る、唯一無二の対霊戦闘要員ですよ? 貴族のお屋敷で幽霊騒動が起こるたび、必ず彼が出動します。そして僕は、そんな彼の専属送迎員」
ニヤリと笑うデニスに続き、ロドニーが補足する。
「ゴヤは幽霊に触れるんだ。だから、死んでもまだ屋敷に居座る先代や先々代の当主を、力ずくで、素手で引っ掴んで強制退去させられる。かなり強烈な悪霊でも、あいつならサクッとやっつけてくれるぜ」
「え……そ、そんな能力の方が、実在するのですか? そういうのは、映画や小説の中だけのお話かと……?」
「目の前にも一人いるぜ」
「目の前?」
キョトンとするマルコに、デニスは胸を張って宣言する。
「僕もゴヤさんと同系の能力者です。彼ほどではありませんが、ちょっとした霊なら祓えますので。その辺の交差点で事故死した霊なんかに取り憑かれたら、どうぞ僕にお任せください。ウイスキー一杯とフィッシュ&チップスで承りましょう!」
「それは頼もしい! その際は、是非ともお願い申し上げます」
社交辞令的な言葉ではなく、心の底からホッとしている様子である。どうやらマルコは、この手の話が苦手なようだ。
そう、ベイカーはこの案件について、『しばらく使っていなかった屋敷に、何者かが出入りしている気配がある』と話していた。廃屋に浮浪者が住み着いてしまうことはよくある。マルコはてっきり、そういった類の問題と思っていたのだ。
この案件の真の問題点に気付き、不安そうな様子のマルコ。しかし馬車は、情け容赦なく現場の屋敷へと到着する。
門の鍵は魔法式だが、所有者から暗証コードを教えてもらっている。錆びた鉄門をくぐり、鬱蒼とした林道を抜け、母屋の前で馬車を停める。
敷地内、どこを見ても草、草、草。元は花壇に植えられていたのだろうが、もはやどこまでが花壇でどこからが芝生だったのか、区別をつけることは難しかった。
「酷い有り様ですね……」
「放置されてから二か月も経ってねえハズだけど……こんなになっちまうもんなんだな……」
所有権が現在のフェンネル伯に移譲されて、まだ一ヶ月半。かなり遠縁のヘンケルス家に不幸があり、後を継ぐ者が誰もいなかったため、フェンネル伯が譲り受けたというのだが――。
「なんつーか、居心地悪いな、ここ」
「ええ、非常に……」
「それじゃ、僕は万一に備えて、外から結界張ってますから。行ってらっしゃ~い♪」
デニスに明るく送り出されて、二人は屋敷に入った。
屋敷の鍵も、門と同様に暗証コードを入力して解除する。二人の前にゴヤが入ったはずなのだが、それでも、開けた途端に感じた澱んだ空気には形容しがたい気味の悪さがあった。
屋敷は二百年ほど前に流行した建築様式で、地上部分は四階建。外から見た限り、屋根にも幾つか窓があった。四階が吹き抜けの高天井でなければ、屋根裏部屋もあるということだ。
この屋敷は住人が引っ越したわけでも、計画的に売却されたわけでもない。当主が遠乗りに出かけたまま行方不明になり、法的に死亡が認められるまでの十年間、使用人と古参の執事だけで、いつか帰宅するであろう当主のために維持された。
しかし、結局当主は行方不明のまま。跡取りのいないヘンケルス家は取り潰しとなり、屋敷はフェンネル伯に譲渡された。
そう、問題はそのとき発生した。
フェンネル伯は地方の小貴族。中央には一軒の屋敷も所有していない。それがなんと、かの有名な超高級住宅街、ブルーベルタウンの物件を手に入れることができたのだ。周囲は王国屈指の名門貴族の城ばかり。取り潰されたというヘンケルス家には申し訳ないが、フェンネル伯にとってはまたとないチャンスだった。屋敷を改築し、『完成祝い』と称してパーティーを催せば、一気に中央社交界に進出できる。
フェンネル伯とその夫人は、小躍りするように馬車に乗り込んだ。これから先の、薔薇色の生活を夢見て。しかし、現実はそれほど甘くない。問題の屋敷に到着し、扉を開けると、そこにはむせかえるような血の臭い。何事かと訝しみながらも、恐る恐る廊下を進んでいくと――。
「ここが、第一の死体発見現場だ」
ロドニーとマルコはシガールームにいた。床には、掃除してもなお残る血だまりの痕跡。人体に含まれる油脂分が床板に染みてしまっている。くっきりと人型に油染みが残るということは、少なくとも一週間以上、この場に死体が置かれ続けたことを意味する。
マルコは顔をしかめつつ、室内の状況を確認する。
「殺人事件……というお話ですが、争った痕跡はありませんね?」
「ああ。屋敷の所有権がフェンネル伯に移されたその日、ヘンケルス家の執事は、主への忠誠心から凶行に及んだ。その日、そのときまで共に働いていたメイドや庭師、料理人たちを、その手で皆殺しにしたんだ」
「なるほど。加害者が、信頼している相手だったのですね」
「被害者に警戒されずに、一撃で殺せる。事実、どの遺体にも致命傷となった切創以外、一つの傷も残されていなかったんだ」
「お詳しいですね。この現場も、特務が受け持ったのですか?」
「いいや。取り潰された家の事後処理だからな。治安維持部隊が、一般の殺人事件として処理した。俺はその報告書を読んだだけ。でもまあ、随分ひどい有り様だったらしいぜ……」
ロドニーは報告書の内容を思い出し、かいつまんで話す。
最終的にこの屋敷から運び出された遺体は八体。発見までに二週間以上も放置されていたため、いずれも腐敗が進んでいたという。そのうち一体は加害者である執事本人。仲間を皆殺しにしてから、自ら命を絶ったらしい。
フェンネル伯にとって、ヘンケルス家は血縁も何もない遠縁の遠縁。屋敷の所有権変更手続きも、国から送付された書類にサインしただけ。この屋敷の人々がどんな思いで十年も主を待ったのか。執事はなぜこんな事件を起こしたのか。理由は何一つ分からない。
治安維持部隊も方々訊いて回ったようだが、いくら探せど、ヘンケルス家とその使用人の友人・知人は見つからない。誰からも、何の情報も得られぬまま、被疑者死亡の殺人事件は書類上のみで処理された。
後に残されたのは、腐臭の染みついた事故物件のみである。
「信頼していた執事に裏切られたとなれば……殺された皆さんは、さぞかし無念だったでしょうね……」
「そりゃあ、化けて出たくもなるだろうな。まあ俺たちは霊感ないから、今ここに何かいてもわかんねーけど」
「ええ、そうですね。生まれてこの方、幽霊なんて見たこともありませんし……あの、ところで、先に入ったゴヤさんという方はどちらに……?」
「そういえばどこだろうな? ちょっと本人に聞いてみよう」
ロドニーは通信機を取り出し、ゴヤに掛ける。
「今度は出るかな~」
馬車の中からも掛けてみたのだが、忙しかったのか、繋がったと同時に切られてしまった。任務中はよくあることとはいえ、できることなら、屋敷に入る前に話をしたかったところである。
「……ん~? 呼び出し音オフにしてるのかな? 聞こえないよな?」
自分たち以外誰もいない廃墟。同じフロアにいれば、呼び出し音くらい聞こえそうなものなのだが――。
「他の階にいらっしゃるのかもしれませんよ?」
「そうだな。ま、いいや。後でまた掛けるか」
通信機を仕舞うロドニーに、マルコは何気なく愚痴をこぼす。
「この通信機、便利ですよね。セントラル以外でも使えるようになれば良いのですが……」
今ロドニーが使用している端末は、地方任務に持っていく長距離通信機とは別物である。長距離用が魔法で音声を届けるのに対し、こちらは電波式。電波塔から五キロメートル以上離れると通話が途絶えてしまう。中継局が充実したセントラルシティならではの通信手段なのだ。
学生時代を中央で過ごしたマルコにとっては、地元に戻ってからの数年間は、文明レベルが一気に数十年後退したようなものである。
マルコのボヤキに、ロドニーは苦笑する。
「分かるぜ。個人端末に慣れてると、田舎の連絡網がのんびり過ぎてな~……」
「緊急事態でも、農民たちは自分の足で走って知らせに来ますからね」
「ああ、みんな魔法なんか使えねえもんな。魔導式通信端末は馬鹿みてえに高いし。もう少し安くなんねーのかな?」
「無理ではないでしょうか。あれは貴金属と貴石の塊ですから。農民の年収三十年分で足りるかどうか……」
「だよな~。でも電波式のほうは、端末は安くてもインフラの問題がな~。地方のハイテク音痴領主たちが、電波塔建設予算なんか出してくれると思うか?」
地方の貴族領では、公的予算のすべてが領主の裁量で各事業に割り振られる。セントラルでは当たり前になった『魔法に頼らない科学通信技術』も、地方ではその存在すら知られていないのが実情だ。
「ご理解いただくまでに、膨大な時間と莫大な労力を要するでしょうね」
「誰かパパッと説明してくれないかな?」
「それは不可能でしょう」
「だな。そんじゃ、とりあえず別の部屋も見ておこうぜ」
二人は屋敷の中を一周した。つい最近まで人が住んでいたにもかかわらず、たった一ヶ月半で、屋敷はすっかり廃墟と化していた。壁紙や絨毯は、元々経年劣化で傷んでいたのであろう。しかし今は、それすら気味の悪いものに見えてしまう。どこの部屋も不気味な雰囲気を漂わせているのだが、特に酷いのは死体のあった部屋だ。床の油染みのせいか、なんとも異様な臭いがする。
けれど、それ以上のことは無い。霊感の無い二人にとって、ここはお化け屋敷などではなく、ただの事件現場でしかなかった。
マルコはどこか拍子抜けしたような面持ちで、気になっていたことを口にする。
「ゴヤさんがいらっしゃいませんね?」
「ああ。変だよな。隊長の話じゃ、間違いなくここにいるって……」
そう言いかけたロドニーの胸元で、通信機が軽快な着信音を響かせた。
「お! 来た来た! もしもーし! おいゴヤ! お前連絡遅ぇよ!」
出ると同時にキレ始めるロドニーに、軽薄そうな男の声が言い訳する。
「サーセン! マジでサーセン先輩! さっきはちょっと立て込んでたもんで!」
「うっせえ! 俺からの通信は秒速キャッチで『先輩宇宙一やべえッス、ヒャッハー☆』って馬鹿っぽい声で叫んでろ馬鹿! で、お前今どこだ?」
「地下ッス!」
「あ? 地下? そんなもん、この家にあったか?」
「あ、いえ、中からは入れなかったんスよ。家の中に何もなかったんで、外側調べてみたら、ボイラー室があったんス。床が隠し扉になってて……」
「分かった! じゃ、俺たちもそっち行って手伝うから、さっさと終わらせて……」
「あ、いやいやいや! 大丈夫ッス! 先輩は母屋のほうにいてくださいッス!」
「ん? なんでだ?」
「いやー、今こっちに、幽霊さんたちが勢揃いしてらっしゃるんで~。先輩、新人さんとご一緒なんスよねぇ? 新人さんの研修には、ちょ~っと不向きな現場だと思うんスよ~。で、これから俺がボス戦しますんで、その他大勢の相手、お願いしちゃっていいッスかね?」
「おう、そりゃあ構わねえが……どのくらいいる? 使用人の霊か?」
「使用人には違いないんスけどね……百年以上前の人たちも混ざってるんスよ。三十は覚悟してほしいッス」
「そんなにか。まあいいや。外でデニスが結界張ってる。遠慮なくかませ」
「あざっす! そんじゃ、先輩」
「ああ。健闘を」
「吉報をお待ちあれッス♪」
双方、軽い口調で通信を終える。しかしロドニーの表情は、声とは裏腹に真剣そのものだった。
通信機を仕舞うと、素早く腰の短銃を抜いた。
「マルコ! お前も銃を! 今から言う言葉を、そのまま繰り返せ!」
「は、はい!」
有無を言わさぬ表情に、マルコは素直に従った。
「魔弾装填、《サンスクリプター》!」
所有者の声に反応し、魔導式短銃がエネルギーチャージを開始する。チキチキという機械音はいつも通り。しかしこの魔弾の場合は、それとは別に、人の声のような音も聞こえてくる。
荘厳な讃美歌か、神聖な祝詞か――心の奥底まで洗い清められるような、不思議な音だった。
「あの、これは?」
「特務部隊の魔導式短銃にのみ組み込まれた隠し機能。《サンスクリプター》っつって……ま、その名の通り『聖なる脚本家』だな。この音が聞こえる範囲内は、誰でも幽霊を見て、触れるように条件が書き換えられる。ただし、こちらから触れるということは、向こうからも物理攻撃が可能っつーことだ。気を付けろよ」
「ええと……チャージも行っているようなのですが、これでゴーストを?」
「ああ。攻撃できる。ちゃんと浄化してくれるぜ……こんな感じにな!」
「えっ……?」
マルコは、何が起こったか理解できなかった。ロドニーが自分に銃口を向け、引き金を引いた――と、思えたのだが。
魔弾はマルコの顔をかすめるように飛び、耳元で何かに当たった。
「……こ、これは……」
目だけで、恐々とそれを見る。
自分の顔の横に、人の手がある。
手だけだ。肘から向こう、身体はどこにも見当たらない。
魔弾の効果か、青白く発光し、凍りついたように宙に留まっている。
蒼白な面持ちでそれを見るマルコに、ロドニーは苦笑しながら教えてやる。
「残念ながら、撃っただけじゃあこんなもんだ。凍らせて、物理的に叩く。ほれ、やってみ?」
ロドニーは、ジェスチャーでやり方を示す。マルコはその通り、凍りついた手を短銃の台尻で殴った。
霊の手は、パリンと軽い音を立てて壊れた。
「……幽霊を殴ったのは、生まれてはじめての体験です……」
いかにも神聖そうなBGMに包まれて、引きつった顔でそう話す王子様。そんなものを見るのは、ロドニーにとっても初めてのことである。マルコがあまりにも情けない顔をしているものだから、ロドニーは、今にも吹き出しそうになるのを必死にこらえていた。
「そんじゃ、初心者向けチュートリアルはこのくらいにしとこうか? ゴヤがボスをぶっ叩いてるせいで、み~んな戦闘モードに突入しちまったみてえだからよ! うるぁっ!」
霊の接近に気付かないふりをしながら、何気ない口調で話していたのだ。霊のほうは、まさか真後ろからの攻撃が防がれるとは思ってもいない。驚いた表情で飛び退く。
「おせえよ!」
霊の頭に一発、胴体に二発。三発分の発射音がたった一発のように聞こえる、恐るべき早撃ちだった。
霊は頭と胴が凍りつき、「あっ」と声を出したその表情のまま、空中に静止している。
異様な光景である。
ロドニーは止めを後に回し、素早く周囲を見渡した。
マルコもそれに倣って警戒するが、他に霊がいる様子はない。
「……チッ。もう一体いたと思ったんだけどな。逃げられたか」
「え? 霊も、逃げるのですか?」
「ああ、目の前で仲間がやられたりするとな。狂暴化して人間だったころの自我を失くしちまっても、えーと……なんて言うのかな? 闘争本能とか、恐怖心とか、仲間意識とか、そういうものは消えないらしいんだ。だから、仲間がやられた場合のリアクションは二つに一つ。今みたいに尻尾を巻いて逃げだすか、さもなくば……」
「逆上して襲いかかってくるか、ですか?」
「そう。霊が狂暴化するメカニズムとか、自我がある奴とない奴の違いとか、細かいことは解明されてねえけど……たった一つ、確かなことがある」
ロドニーは一度言葉を切ってから、重々しく告げる。
「彼らは人間だ。オカルト映画に出てくる、都合のいい雑魚ゾンビとは違う。みんなそれぞれ、自分の人生を生きて、何らかの理由で死んでいった人たちだ。好きで死ぬ奴なんかいねえし、いつまでもさ迷い続けたい奴なんかいねえ。死んでもまだ、心はある。一人一人、個性もあるし、主義や主張もある。『幽霊』って括りで一緒くたに考えることは、彼らの人生そのものへの冒涜だ。それだけは、絶対に忘れんなよ」
「は……はい!」
マルコは、頭から冷水を浴びせられたような気分だった。鳥肌が立ち、寒気を感じる。恐怖からくる悪寒とは違う。己の過ちに気付いた瞬間の、底冷えするほどの心の寒さである。
自分がこれから戦おうとしているものが何者か、認識を改めさせられる。
これはヒト対ヒトの戦い。自分はどこか浮ついた気持ちで、肝試しにでも連れて来られたような気分になっていたのではあるまいか。『幽霊』というものが、そもそも何者であったか。指摘されるまで気付かないとは、なんたる無様。
そう思った瞬間、怒りがこみ上げた。
(なんと……なんと愚かな!)
心の中で、自分自身を罵倒する。
(マルコ・ファレル! 貴様はそれでも騎士か! 騎士たるもの、誇り高く清廉なる精神を持ち、主に忠誠を誓い、臣民を守らねばならない! それがなんだ! その『臣民』らが、人ならざる者になり果て、地上をさ迷い続けているというのに! 彼らの魂を救おうともせず、ただ恐れていたなど……恥じよ! 恥じて心を入れ替えよ! そして学べ! 無知なる者こそ最も悪辣で、最も赦し難き罪人と心得よ!)
マルコの瞳に火が付いた。
それを感じ取ったロドニーは、マルコの目を真っ直ぐ見て、簡潔に言う。
「楽にしてやれ」
マルコは無言で頷く。そして空中に静止した霊を、先程同様、短銃の台尻で殴り飛ばす。
氷の塊のように、コォンと澄んだ音がした。
霊は粉々に砕け、飛散し、光の粒となり――音も無く、静かに消えていった。
ロドニーはそれを見届けると、サッと身を翻し、次の部屋へ向かう。
「全部仕留めるぞ。どうせ霊たちは、この屋敷の外には出られねえ。隅から隅まで、徹底的に探す。いいな?」
「はい」
ロドニーが前を。マルコが後ろを。敵の奇襲に警戒しつつ進む。
これはゴーストハントではない。
行うべきことは索敵と殲滅。魔弾によって条件を書き換えられた今、ここは暴力的で物理的な『潰し合い』の戦場と化した。




