第九十六話
異常事態だから引き下がってくれると思っていたアマネは、ヒイロが悲し気に顔を歪ませたのを目の当たりにしてとっさに言葉が出てこなかった。
「クオンがいれば大丈夫ってことは、俺は必要ない、足手まといだっていうことだよな」
「……ちょ、ちょっと待って。どうしてそんな話になるの?」
(ヒイロがウタについて行ってくれれば安心だって思ったから、お願いしたのに)
ユカリだけではウタを運べない。アマネでも無理だ。七つの大罪がかかわっている可能性を考慮して、ユカリとウタは理事長たちのいる学校へ避難させた方がいい。戦力的にはウタを運びながらになってしまうがヒイロがいるし、必要とあればクオンを向かわせることもできる。学校についてからは応援を頼めばよりいい。
アマネは一人になってしまうが、心強い相棒である杖が手元にあるので再びケンカに巻き込まれたり襲われたりしても逃げることに専念していれば大丈夫だろう。
この場における最善な行動だというのに、反対するヒイロの気持ちが理解できなかった。突然足手まといだなんて言い出されて、訳が分からなくなる。
(焦っていたせいで言い方がきつかったのかもしれないわ)
とにかくうつむくヒイロにも納得してもらおうと、言葉に気をつけながら説得を試みた。
「ウタを運ぶのに女性では無理があるでしょう? それにこの魔道具は簡単に壊れないから大丈……」
「俺は……っ! アマネはたまに無茶するけど、大丈夫なんだろうなって分かってる。でも俺は、アマネの騎士なのに……アマネはいつも一人で先に進んで、追いつけなくて。後でなにがあったのか知ってるんじゃあ、そんなの……いらないだろ」
ヒイロの心の叫びに、アマネは息が詰まった。個人的な事情に巻き込まないように、彼らの平和な学校生活を乱さないようにと行動してきた。
(まさか今までずっと、ヒイロを苦しめていたなんて……)
後悔がどっと押し寄せてアマネの体を呑み込んだ。なんと詫びればいいのかも分からず、混乱して声が震える。
「ご、ごめんなさい……そんな風に思っていたなんて、お、追い詰めてしまうつもりはなかったの」
心臓が早鐘を打っているというのに、手先の血の気は引いていく。
「ヒイロは、頼りなくないなんて、ない……ヒイロがいなかったら私……全部私が悪いの。私が」
(前世のことが離れられなくて、同じことを繰り返してしまうんじゃないかって怯えて、距離を取っていた)
結局ヒイロたちのためだという口実で、自分を守っていたのだ。
ふいに全身を温もりが包み込んだ。ヒイロの腕が腰に、大きな手のひらが頭に添えられている。身動きができなくなったのにとても居心地がよくて、いつの間にか強張っていた肩の力が自然と抜けた。
「ごめん。アマネを責めたいわけじゃなくて……その、アマネもいろいろ考えてのことだったんだよな。なのに一方的に、ごめん」
「ヒイロは悪くないわ。いつだって助けようと、力になろうとしてくれているでしょう。それだけで前へ進もうって思えるの。ウタのことだって、ヒイロがついてくれれば安心だから」
「…………そっか」
顔を上げると、微苦笑するヒイロと目が合った。わずかに潤む赤が、宝石のように美しく見える。
「じゃあ、お互いさまってことで」
「……そうね、今回はお互いさまってことで」
ふっと笑みがこぼれる。
「あのぅ……無事仲直りできたようなので、そろそろ」
第三者の声にハッとしたアマネは、一転して全身の血が沸騰したかのように熱くなった。
「ごっ、ごめんなさい! あのやっぱりここは手分けし、て……」
ばっとヒイロから離れて、ずっと待ってくれていたユカリを見やったアマネは目の前の光景に目をしばたたかせた。
「はい。手分けしていきましょうか。私はウタさんを学校へ運びますので、お二方は事件の調査をお願いできますか?」
「えっと、ユカリさん。気を使ってくれるのは嬉しいけど、俺が背負っていった方が……」
アマネたちが口論している間に、ユカリはウタを運ぶ態勢を整えていた。ウタを横抱きにし、スカートの部分はユカリの制服が巻かれていて防備は万全。
キャミソール姿になったユカリはどや顔でヒイロたちを見やる。
「ヒイロくんにはお話ししましたが、薬剤師科って体力勝負で力仕事も多いんです。とくにウタさんはすごく軽いですから、学校までは平気です。というわけで、お先に失礼します!」
「あ、ちょっ」
軽くお辞儀したかと思ったら小走りであっという間に去って行ってしまった。
「…………薬剤師科にいたら、女性でもあんな力持ちになれるのかしら」
「なれるのか、もともとかは分からないけど、試薬するには都合がいいとも言ってたな……」
(それって薬の効果で力持ちになったって可能性も……いえ、変に考えるのはやめておいた方がいいわね)
学校に辿り着くまでに暴漢と遭遇しないか心配だが、ユカリの気遣いを無駄にしたくない。
「一刻も早く事件の犯人を見つけ出さないとね」
「あー、その前にもうひとつだけいいか」
「なに?」
なにか気づいたことでもあったのだろうか。魔女視点では見逃してしまうことも、騎士の目線なら気づくことはあるだろう。今はどんなに些細な情報でも集めておくに越したことはない。
「逃げてきたって、なんだ」




