第九十五話
「もうとっくに夜なんだよな」
言われて空を見上げると、一面真っ黒で星々がか細く光っていた。灰のせいなのか空気が桃色に染まっていて、いまだ夕方なのだと誤認してしまっていたようだ。
そしてわずかな光までも呑み込まんと浮かぶ満月は赤く、不気味さを醸し出している。
「……っ、猫!」
「びっくりした。猫?」
「そう。ミンは!? 目が赤くなっていたの。フウたちのように」
「なに?」
すっかり失念してしまっていた。思い返してみれば、ウタが杖を奪おうとしてきた辺りから見かけていない。ミンがこの事件に大きくかかわっていることは間違いないのに、みすみす逃がしてしまうとは。
周囲を見渡してみても白い姿はなく、木々に囲まれているため隠れられる場所が多すぎた。
「クオンは、見てない?」
「…………すまん」
更に縮こまるクオンをひと撫でし、自責の念を今は置いておいて頭を切り替える。
(責めてばかりではなにも解決できないわ。考えるの。どうしたらいいか。どうするのが最善なのか。ゼンさんの目的はなに? ……ゼンさんも、ミンのように操られている?)
「あの、ミンは空色の瞳なんですが、別の猫か見間違いだったのでは……?」
ユカリが不安そうに見上げてくる。ゼンの行方不明に加えてミンにも異変があったとなると、もう気が気ではないだろう。しかし今嘘をついたり誤魔化したりして疑念を残してしまうよりは、正直に見たことを話した方がいい。そう判断したアマネはユカリを真っ直ぐ見つめて口を開いた
「…………いえ、確かにあの猫は、ゼンさんが呼んでいたミンという白猫で間違いなかったわ。信じられないとは思うけれど目も赤くなっていたし、少し前までウタと一緒にいたの」
「ああ、ウタのやつ、親友だとも言ってたな。オレっちたちが公園に逃げてきて、気づいたらウタが抱き上げてた」
「ウタさんが……でも…………ありえません……」
瞳が揺れ、ウタを見下ろすユカリの表情が青ざめていく。
「とっ、とはいえ今回の原因がゼンさんたちなのかはまだ分からないから、確認しなければならないんだけれども……っ」
必死に言葉を選ぼうとしているアマネを再び見上げたユカリは、小さく首を振って微苦笑した。
「アマネさんたちの目が真剣なので、嘘じゃない、のは、分かります。でも……」
目を伏せ言い淀んだユカリの表情が混乱に満ちていく。
「ミンは高齢のおばあちゃんなんです。足腰が弱くて、店内でも定位置に座っていてほとんど歩かないんですよ……」
それがこんな遠くまで、と消え入る声にアマネは息を詰めた。
この公園からカヴァイまでは人間の足で急いでも十分ほどかかるだろうか。猫ならではの抜け道を知っているのかもしれないが、それでも足腰の弱っている状態ではかなりの時間がかかるだろう。
杖の奪い合いになったときに逃げたのだとしても、よろよろと歩いていたのならクオンが気づいたはずだ。
それでもアマネの中であの猫がミンだったという確信は揺るがなかった。
(本当にミンだったとしても、そうでなくても、探し出して原因を突き止めないと。いつまでもこんなところにいないで動かなければね)
「私がゼンさんとミンを探すのを引き継ぐから、ヒイロたちは先にウタを学校へ運んで行ってもらえないかしら」
「いや、アマネも一緒に来ればいいだろ。それから探せば」
「手分けした方が早く解決できるわ。クオンがいるから大丈夫よ」
「……っ、ダメだ。アマネを一人にさせられない。一緒に来い」
ヒイロに手首をつかまれたアマネは眉間にしわを寄せ、振り払った。目を見開くヒイロを見上げて軽く睨みつける。
「悠長に時間をかけてられないの。今はまだあちこちでのちょっとしたケンカで済んでいるかもしれないけれど、いつ怪我人が出るか分からないのよ?」
(怪我だけならまだしも、人死にが出る事態になったら……)
これ以上事態が悪化してしまったら、対処しきれなくなってしまうかもしれない。あの悲劇のようになってしまうかもしれないと思うと、焦らずにはいられなかった。
「なぁ……そんなに俺は……頼りないか?」




