第九十四話
「……え?」
茫然とするアマネに対し、ウタが恨みのこもった視線を杖に送った。つられてアマネも杖に視線を落とす。
「私の目の前で壊して。そうしたら、特別にまたアマネちゃんのために作ってあげる」
「それは……できない」
「ほらね。私の魔道具なんかより、古臭い杖の方がいいんだわ」
「……借り物だって知ってるでしょう?」
本物だからとも、かつての相棒だったからともいえない。かろうじてあの場に居合わせていたこと思い出してなんとか理由を口にするが、本当のことは隠さなければいけないことに心が痛む。
「そんなの関係ない! いいわ、そんな棒切れ、私が壊してあげる!」
がっと杖をつかまれ勢いよく引っ張られた。驚いたものの、今壊されるわけにはいかないと、杖を両手で握りしめる。
気づけばウタとの奪い合いになっていた。
「放してよ! こんなもの壊してあげるって言ってるでしょ!」
「やめてウタ! あなたはこんなことする人じゃないでしょう」
ウタほど魔道具に真剣で真っ直ぐ向き合い、大切にしている人を他に知らない。たとえ誰かが作ったものでも壊すなんて行為は絶対にしない優しい子なのだ。
(ウタをおかしくさせたのも、香りのせい。なんとか正気に戻らせないといけないのに!)
どうやったらいいのか分からない。炎はダメだとアイカが教えてくれたが、解決方法は見つかっていないようだった。
奪い合いによりウタも杖をつかんではいるが、杖から溢れる風に触れても変化はない。風は防ぎはするが、すでに影響を受けてしまった者は治せないようだ。
「くそっ、オレっちはどうしたら……」
いまだに本性のままのクオンがうろたえている。彼が下手に手を出せばウタが怪我をしかねない。
「お願い、ウタ……こんなことしたくない……」
体格の差からか腕が震えはじめ、徐々に力負けしはじめてきた。
「ウタさん!」
ユカリの声とともにウタが横に突き飛ばされる。その拍子にウタの手が杖から離れ、体勢を崩したアマネは仰向けに体勢を崩した。
背中をぶつけてしまうと焦ったが、ひっくり返る前にヒイロに受け止められた。
「こんなところでなにやってたんだよ。ずいぶん探したんだからな」
「ヒ、イロ…………」
ふぅと息をつくヒイロも、アイカたちと同じように口元を布で覆い隠していた。見やるとユカリも同様で、彼女の腕の中でウタは目を閉じていた。
奪い合いを止めてくれたユカリは、あいている手に青く透き通った液体の入った細長い小瓶を手にしている。
「ユカリさん……ウタは……」
「気を失っていますが、薬を飲ませたのでもう大丈夫ですよ。空気のいいところで休ませれば症状も回復します」
ほっと安堵すると同時になぜ一緒に行動しているのかすごく気になった。運動場で楽しそうにしていた光景が脳裏によぎる。
「アマネ、ちょっと痛い」
「えっ、あ、ごめんなさい」
無意識のうちに回されていた腕を強く握ってしまっていたらしい。慌てて離れると小さくなったクオンが肩に飛び乗ってきた。
《すまねぇ……アマネを悲しませることを、オレっちは》
《もう気にしてないから大丈夫よ。私のために、ウタのためにしていたんだって分かっているから》
後悔の底に沈んでいるのが伝わってくる。そして香りの影響なのか頭痛がするらしい。
(私も。気づけなくてごめんね)
首筋にすり寄るクオンを謝罪と感謝の意を込めながら撫でていると、ヒイロがじっと見つめてきていることに気づいた。
(……なにかしら。私に言いたいことかなにか……ああ)
「私は杖のおかげで香りの影響を受けていないから大丈夫よ」
「え? …………あ、ああそうか。それは、よかった」
「?」
予想していた反応と異なり、アマネは首を傾げる。そんな二人の様子を見て小さく笑ったユカリは、手にしている小瓶を差し出してきた。
「これを持っていってください。この甘い香りを相殺する薬です。使い方はヒイロくんが知っていますから」
「薬……いつの間にこんなすごいものを」
「……作ったのは私ではありません」
目を伏せ消沈するユカリの話を引き継いで、ヒイロが口を開いた。
「ゼンさんが作ったらしいんだ。カヴァイに置いてあった。ただ、本人の姿がどこにもない」
「いないって、薬だけ作ってゼンさんは一体どこに……ユカリさん、心当たりは」
「ありません。あんな人の真意なんて、私は……私には、分からなくなってしまった」
(どういうこと? こんな非常事態であっても、薬剤師として表へ出たくないってことなの?)
解決方法を知っていながら姿を消したゼン。なにか理由があるのだろうか。一番近しいユカリですら分からないとなると、捜し出すのは難しいかもしれない。
沈黙してしまったユカリに代わり、眉根を寄せるヒイロが再び話を続ける。
「昼ぐらいにアマネが持ってきた灰も、ゼンさんが作ったものらしい」
「それって…………原因も、解決方法も同じ人が作ったってこと?」
「ああ。ユカリが灰のことを訊ねたら破門にされて、そこに俺も居合わせたんだ。カヴァイを飛び出して、少ししてもう一度話し合おうと戻ったら……床が大量の血で汚れていた」
ゼンの姿も猫たちの姿もなく、奥の調合室にこの青い液体が入った小瓶が二つ残されていたのだという。ゼンを探すべく外に出ると、街の人たちの様子がおかしい。そしてなにに使う液体なのかに気づいたユカリは、ヒイロと一緒にゼンを探して街中を駆け巡っていたのだという。
「相殺するといっても、街全体に対して量が足りないんです。材料はなんとか分かっても、調合方法が分からないと増やせませんから……」
「もう心当たりのある場所は捜しつくしたんだ。でもどうしても見つからない」
(手がかりゼロということなのね……私がカヴァイを見に行っても無駄足になりそう……)
沈静化のために動いてくれているアイカたちと合流し、手分けして捜した方がいいだろう。もしかしたらなにか見ているかもしれない。
「ちなみにだけどな」
話しかけてきたヒイロを横目で見やると、彼は真上を指さしていた。




