第九十二話
「その様子じゃ、風魔法のおかげで香りの影響は受けないようですわね」
「……魔法なんて発動させてないけど」
「でもその杖からわずかに出てますわよ」
アイカの視線を追って手元を見下ろして、わずかに目を見開いた。包んでいた布がいつの間にか外れていて、むき出しになっている。
柔らかな風は確かに杖から溢れるように出ていた。腕を伝い、身体全体を薄い膜のように包み込んでいるということに今更気づく。
(どういうこと? 魔法を発動させた覚えはないし、隠していた布はどこへ行ったの?)
ミラと別れてから、学校の外へ向かいながら布を巻いていたはずだ。この杖が人目に触れるのはまずい。しかし今隠すようなことをすれば間違いなく怪しまれてしまう。
「その様子だと無意識のうちにやっていたのね。ほんと、どこまで優秀なのかしら……」
「はいアイカ、ペナルティ追加さ」
「う、こ、これくらいいつものことでしょう。香りのせいではありませんわ!」
「いーや、ペナルティさー」
譲らないラキに対して眉根を寄せるアイカだったが、香りがどうのと言っているので正気を保ってはいるようだが。
「ペナルティって、なに?」
「私たちも香りの影響を受けて、この方たちのようになってしまう可能性がありますわ」
「で、そうならないための対策として、互いに見張ってるんさ。ちなみにアイカはもう三つ目さね」
「貴方はへらへらしすぎなんですわ。口元の布なんて必要ないんじゃなくて?」
嫌味を言われてもラキはどこ吹く風だ。相手をしてくれていた男はいまだ不機嫌そうだが、おとなしくしていてくれている。ふと目が合うと、男は忌々しげに口を開いた。
「お前らその制服、ランシン専門学校の生徒だよな。あとで抗議してやる……!」
「あーはいはい、抗議なら好きなだけすればいいさ」
「そんなことより、アマネはどこかに向かっていたのではありませんの?」
「……っ、そうだ、ウタとクオン見なかった?」
「いえ、見てませんけれど、使い魔なら気配を追えば」
アイカが言い終わる前に地響きが生じた。重量のあるなにかが地面に落ちたような音が、すぐ近くだと伝えてくる。
「なんですの、今のは」
「行かないと……!」
クオンはあそこにいる。方角からして公園で間違いない。足止めされている間になにかあったのだ。クオンと連絡がつかない焦りが、アマネを急かす。
「あっ、アマネ! 炎系は香りを強めてしまうから使ってはいけませんわよ!」
返事をするのももどかしくて片手を挙げて応じ、角を曲がると全速力で走った。
《クオン、なにがあったの。お願いだから返事をして!》
念話で呼びかけるも、やはり応答がない。夕日がいつもより赤いからなのか、甘い香りが漂っているせいなのか、空気が桃色に染まっているように見えた。
やっとのことで公園に辿り着いた。遊具が設置されているエリアには人影はなく、再び伝わってきた地響きは木々が生い茂る散策エリアの方からだった。
(クオン、ウタ、どうか無事で……!)
息が上がっているが、そんなことはどうでもいいと走り出す。木材が埋め込まれている道を駆けていくと、木々に囲まれた広い場所に出た。
一面芝生でベンチもあり、座ってくつろげる憩いの場だ。天気のいい日は森林浴でもすると気持ちがいいだろう。しかしアマネが駆けつけると、いくつものベンチが地面に横たわり、あるいは真っ二つに破壊され無残な姿をさらしていた。
それよりも信じられない光景に喉が震え、止めに入るのに一拍かかった。
「……オ、ン…………?」
地響きの原因は前足を叩きつけていた音。本来の姿に戻っていたクオンが追いかけまわしていたのは、ウタだった。ウタは逃げまどい、転んだのか制服のところどころが汚れ、髪が乱れてしまっている。
「クオンなにやってるの!?」
悲鳴に近い声を上げながらアマネは、クオンとウタの間に割って入った。前足が振り下ろされる直前にクオンの動きが止まる。
「ア、マネ……? 遅いぞアマネ! お前も早くウタを捕まえろ!」




