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陽の騎士と天の魔女  作者: 風鈴
第三章「薬剤師編」
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第九十話

(まず甘い香りが充満してもなぜ、誰も気づかなかったの? 原因はなに? ウタさんが来たから?)

 ウタがなにかしらの方法で扉を開けた際、甘い香りがしたとぼんやりと認識していた気がする。やはりウタが香りの大元なのだろうか。

(………………いいえ、この部屋の香りはウタさんが持ち込んだものじゃないわ)

 風が吹き込んだのだ。扉が開かれて、自然と空気が混ざり入れ替わろうとした。

 ウタが来る前に甘い香りで満たされていたのなら、資料室の香りについてウタは無関係だ。

(他に香りの原因となるものなんて、あったかしら)

 部屋にあるのは保管されている古臭い資料と、ミラが調査した際に回収してきたものが数点。

(……っ、あの灰! 確か甘い香りがするって)

 アマネに回収品を見せたときに一番気にしていたのも、あの灰の山だった。甘い香りがしていて、どこかで嗅いだような気がすると言っていなかったか。

「あの灰……使用済みではなくて、あのまま使うものだったというの……?」

 発見した当時、無造作に放置されていたようだったので、なにかを行った痕跡だと思い込んでいた。アマネにもなにかが燃えたものというあたかも使用済みのような推測しか伝えていないため、アマネもこのまま使うものだとは気づかなかったのだろう。

「おそらくは香り袋に使われる類の灰でしょうね。昔はよく厄除けなどお守りの意味を込めて作られていましたが」

「察しがついていたのならなぜ、言ってくれなかったのよ!」

 可能性のひとつとして挙がっていれば、もっと厳重に保管していた。暴走してしまうこともなく、生徒に魔法を向けてしまう事態も避けられたというのに。

 ミラが眉根を吊り上げても、理事長の表情に変化はない。

「これくらい知っているかと。香り袋は最初に魔女が作ったんですから」

「…………そんなこと、私が知っていると思うの? 師を仰ぐ暇もなく、混沌とした時世に独学でここまできた私が! そんな気休めのようなものを!」

 お守りなんて意味はない。そんなもので守られる世界だったのなら、母は狂うことも死ぬこともなかった。沢山の血が流れることも、悲しみに溺れることもなかった。

 ミラは息を詰めると同時に片手でこめかみを押さえ、顔をしかめる。

 後悔やら怒りやらで頭がぐるぐるしていた。ガンガンと響いてやまないのは自責の念からか、それともなにかの警鐘なのか。

 とりあえず椅子でも床でもいいから座りたくて横を向くと、かくりと膝の力が抜けた。

「……っ」

 倒れこんだ先には椅子と机がある。身を固くするも、硬い衝撃はなく倒れることもなかった。どうなったのか分からず茫然としていると、すぐ近くで声が響いた。

「………………俺も確信のない推測とはいえ、留めておかずに情報を共有するべきだった」

 うつむいていた顔を上げるとかなりの至近距離に理事長の横顔があり、どこか遠くを見ているかのようだった。

(……ほんと、いつもいつもどこ見てるのよ。遠くを見すぎて、いつか本当に遠くへ行っちゃう気じゃないでしょうね、――ジン)

 いつもは呼ばない、理事長の名前。それをあえて心の中で口にする。

 先を予測して動くことはなにをするにしても有効な手段だ。しかし彼の場合は次々と過去へ追いやって、先へ先へと生き急いでいるようにも見えるときがある。

 一瞥してきた理事長と目が合うと、満月のような瞳がわずかに細められた。

「ご気分はどうですか?」

 ここでようやく、抱きしめるようにして体を支えてもらっているのだと、脳が理解した。

「…………っ、よろしくないわよ! 甘い香りのせいで!」

 理事長を押しのけ、なんとか壁にもたれる形で避難する。

 一瞬どきりとしたのもなんとなく頬が熱いのも、あの香りのせいだと言い聞かせていたミラは、はっとした。

「……そうよ、あの甘い香りが原因なら、ウタさんは犯人ではなく利用されていて……アマネさんにも危険が迫って、いる?」

 アマネたちはミラや理事長からできるだけ離れられるよう、学校の外へ逃げていっただろう。寮の可能性も低いことから、町へ向かったと考えるべきだ。

「あの香りも、街のいたるところで発生していると情報が来ています。それに伴って諍いも多発していると」

「街って、そんな広範囲をどうやって」

「方法については後でいくらでも調べられるでしょう。今は諍いの沈静化、甘い香りの無効化が優先です。そのためには」

「私の水魔法とアマネさんの風魔法で雨を降らせる予定だったというわけね」

(そのために試験の補佐官としてアマネの側につけたっていうの? こうなるかもしれない可能性を、いつから予想していたのよ)

 調査の末に回収したものを報告したときに灰の用途に気づいていたのだから、そのときからもう、あらゆる事態に備えて対処法を練っていたに違いない。

「ええ、ですがそれは少し難しそうですね」

 理事長は顎に手を添えて考え込みはじめた。

 アマネとミラは今、敵対している状態にある。アマネは聞き分けのない子供ではないので事態の深刻さを見て協力はしてくれるだろうが、わだかまりは少ない方がいいだろう。

 それは協力するのならの話だが。

「別にアマネさんと協力しなくたって、本部に要請すればいいでしょう」

「本部は腰が重くて手遅れになる。刻は一刻を争うのでやはり彼女でなくては」

 確かに本部は遠いし、報告しても確認するとかでなかなか動いてくれない。ましてや甘い香りのせいで荒れているなどという報告の真偽を疑われる可能性だってある。

 そうなるとやはり、アマネとミラが動いた方が手っ取り早く、確実なのだ。

 別の方法を考えたものの結論は変わらず、ミラは観念して息をついた。

「アマネさんを探すわ。ここでうだうだ考えていても効率的な方法は変わらないもの」

「ええ、迅速に発見次第、合流してください。謝罪も忘れずに」

「分かってるわよ! チウ!」

 呼ぶと同時に水の塊が生じ、机上に落ちた。塊が身を起こすのに合わせてネズミの形になり、頭を振ると雫が飛び散った。

「ったくもっと早く呼べ! で、またあのアマネって女子を探せばいいんだよな。どこ行きやがったぁ!」

 指示をする間もなくチウは目にもとまらぬ速さで机から飛び降り、職員室を出て行ってしまった。顕現せず控えているときも様子は見知っていただろうから、説明する時間を割かなくてすんだのはいい。いいのだが、せっかちなところはなぜ治らないのかとため息をつきたくなる。

「あの速さなら数分もかからなさそうですね。香りも平気な様子でしたし、少し休みましょうか」

 椅子を促されてしまったので仕方なく座る。資料室にある回収物には危険だから近寄れないが、目を離すわけにもいかない。理事長も近くの椅子を引っ張ってきて居座るつもりのようだった。

 そういえば誰の席だったかと机上を見やると、立てかけられている集合写真が目に留まった。恥ずかしそうにアマネがヒイロの隣に並んでいる。その後ろには少し前に魔女の資格を返上したと聞いた女性が優しく笑い。隣では撮影時の閃光がまぶしかったのか、キシナが思い切り目を閉じていた。

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