第九話
瞑目するアマネは、なんの魔法にしようか迷っていた。室内なので強力な風の魔法は使えない。
魔力を感じ取ってか、様子を窺うかのように空気が集まり、その動きが少しずつ風となっていく。
(考えてみれば、転生してから魔法を使ったのって、あの事件のときだけだったっけ)
当時の記憶が昨日のことのように蘇ってくる。両親がいないせいで、小さい頃からアマネは孤児院に住んでいた。しかし前世の記憶があったこともあり、両親がいなくて寂しいという感情はなかった。子供とはいっても、中身は十八歳を超えた大人。子供の遊びに興味を持てるはずもなく、ただつまらない日々を送っていた。そんなある日孤児院が、突然火事になった。その日は天気がよくて何日も雨が降っていなかったので木造の家はどんどん燃えていった。蓄えの飲み水を使うも高が知れており、炎は勢いを増していく。
前世のアマネであれば一瞬にして魔法で消し去ることができる炎。しかし今のアマネはまだ十歳の子供。ここで魔法を使用してしまえば、天才だと騒がれ避けていたはずの道に進まされるか、強大する力は恐れを呼び追い出されるかもしれない。孤児院だけの消失と、この先の人生。天秤がどちらに傾くかなんて決まっていた。
外へ避難して燃え崩れていくのを見ていることしかできずにいると、院長が子供の数が一人足りないことに気づいた。しかもまだ中にいるのだと言って、引き止める村人を振り払って燃え盛る孤児院に戻っていってしまう。
(え、ちょっと待ってよ、待ってってば)
入り口が崩れ、周りの大人はもうダメだと諦めて動かない。
心を開かず一人でい続けていたアマネに根気よく優しくしてくれた人が、炎に呑まれる姿を想像してしまい、命を失う恐怖でわけが分からなくなった。
ただ、何かの糸がぱちんと音を立てて切れたことだけはうっすらと覚えていた。
意識がいつ途切れたのだろうか。眠ってもいないのに、記憶がぽっかりと抜けていた。
ふいに頭をなでられたことに気づくと、目の前にすすけた顔をした院長がいて、滝のような雨を浴びて濡れ鼠になっていた。そこで分かったことが一つある。無意識のうちに魔法を使ってしまったということだ。
もう大丈夫よ、と優しい声音で言われた後のことは覚えていない。恐らくそのまま、意識を失ってしまったのだろう。目覚めたときはベッドの上で、高熱にうなされていたのだと教えられた。そして未熟な身体で不安定な魔力を使ったため、成長が緩やかになってしまったのだと体内に渦巻く魔力が教えてくれた。
後日、金銭的に孤児院の再建は難しいということで子供たちは散り散りになった。アマネは首都にある孤児院に配属され、そこにいられるのは中学卒業までとなっていたので働き口を探していた。そんなときに理事長が声をかけてきたのである。
胡散臭い顔を思い出して眉根を寄せると乱れた風に頬をなでられ、慌てて杖に意識を傾けた。
(集中しないと。えっと、なんの魔法にするか、よね)
一番簡単な魔法でいいだろう。魔力を見せつける必要はないし、少しの空気があれば発動できる。それにせっかく作ってもらった杖をすぐに壊したくもない。
(あれにしよう。あれなら小さいし、すぐできる)
ひとつの魔法に決め、意志を魔力と共に杖へ流した。魔力は順調に杖の掘り込みを伝って浸透していく。アマネを周回する風もやらんとしていることを汲み取り、徐々に勢いを増しながら杖の先に集まっていく。
あとは風を圧縮させて、打ち出す。
(――カザタマ!)
目を開き、壁に向かって杖を振るった。そのとき、びしりという亀裂音が耳に届く。驚いて杖を注視すると同時に砕け散り、寄り集まっていた風も行き場を失って霧散した。圧縮されていた風が解き放たれて強風となり、アマネたちを襲う。
「くっ」
「きゃあっ」
アマネと見守っていたヒイロは腕で顔をかばいながら踏ん張り、ウタはスカートがめくれないよう必死で押さえる。
幸い、吹き荒れる強風はすぐに収まった。
「ウタ、大丈夫?」
「へ、平気。ちょっとびっくりしただけ」
「俺は無視か」
口をへの字に曲げるヒイロをシカトして、アマネは砕け散った杖の破片の中に混ざって落ちている制御装置を拾う。よく見ると一箇所ひびが入り、赤い石とリングの間が緩くなってしまっていた。
「ごめんなさい、壊してしまって」
「いやーびっくりしたけど大丈夫だよ。でも見事に壊れたね。今度は壊れないように作るから」
やる気満々のウタに申し訳なくなってうつむく。粉々になった杖の残骸が視界に入り、片付けなければと思うのに行動に出る気力が出ない。
(今度また作ってもらっても、また壊れてしまう)
物とはいえ簡単に壊されていいはずがない。だから自分は、初心者用の杖でちょうどいいのだ。
「やっぱり作るなら私以外の人に作ってあげて。私では壊してしまうから、無駄にな」
「無駄じゃない!」
アマネの声を遮る大きな声に、アマネの肩がはねる。おそるおそる顔を上げると、ウタは眉を吊り上げていた。
「壊れてしまったなら原因を考えて、模索して次の製作に繋げる。無駄にはさせない。次は耐久重視で作ればいいってことよ。加工技師をなめないで」
ウタは仁王立ちでびしっとアマネを指し、首を洗って待ってなさいと言い放った。
怒られたのはずいぶんと久しぶりだった。怒ってくれたのは、親友だけだったから。親友もウタも怒っているのに怖さを感じられなかった。一瞬感じた親近感がおかしくて、笑みがこぼれる。
「そうね、ごめんなさい」
謝られたウタは目をしばたたかせた後、分かればよろしいっ、と頷きなぜかご機嫌になった。杖が壊れたのにと不思議に思って聞いてみると、にひっと歯を見せて笑った。
「アマネちゃん、笑うとかわいいなぁって」
予想外のことを言われ、どうしたらいいか分からず戸惑う。
「お前、まだ見習いだろ? 加工技師って名乗っていいのか?」
「いいのよ絶対になるんだから。て、それ掃除道具?」
じゃなかったらなんなんだよ、と呆れるヒイロの手にはいつの間にかほうきとちりとりが握られていた。話によると、部屋を出た廊下の突き当たりに掃除道具用のロッカーがあるらしい。道具を手にヒイロが近づいてくる。
「さっさと片付けるぞ」
「いい、自分でやる……ありがとう」
そっけないものの予想だにしないお礼の言葉に意表を突かれたヒイロは目を丸くし、遅れておう、と返事する。その間に掃除道具をひったくったアマネはさっさと散らばった破片をはき集め、ウタが持ってきてくれた袋に捨てた。
魔法を使うのはウタが次の魔法具を完成させてからということになり、帰ることになった。カギを返しに職員室へ行くとキシナがまだいた。ついでに制御装置が壊れてしまったことを報告すると、驚かれたもののすぐに新しいものを用意してくれた。
実家から通っているヒイロとは校門前で別れ、ウタはアマネと同じく学生寮だったこともあり並んで帰ることになった。
会話はアマネが次に使う魔法具のことばかりで、魔法具の種類やデザインの好みからよく使う魔法の系統などひたすら質問攻めにあった。流れで寮の部屋の場所まで知られてしまい、スキップで自室に戻っていくウタとは逆に、アマネは疲労を隠せない顔であてがわれた部屋のドアノブを回した。