第八十三話
校舎に戻っていくアマネを見送っていたヒイロは、その小さな背中が見えなくなると同時に盛大な溜息をついてしゃがみこんだ。
「はぁ――……」
片手で無造作に頭をかき回す。空回りした自分が恥ずかしくて、力になれないことが悔しかった。
それを顔に出せばアマネは余計に意識してしまう。そう思ってできるだけ平静をよそっていたつもりだったが、最後の最後に申し訳なさそうな顔をさせてしまった。
(試験中は忙しいって分かってるのに、ちょっとでも話せたらって……)
おしゃべりはなにも今でなくたってできるのに、久しぶりに顔を見たら離れがたくなってしまった。これでは気を遣わせてしまうに決まっている。
(なんでうまくいかないかなぁ……)
今のこともだが、自身の実力も思うように伸びていない。
夏休みに入っても変わらず特訓は続けている。むしろ時間が自由に取れるので増やしたぐらいだ。都合があう仲間とも手合わせをした。それでも力がついている気が全くしない。
昨日、久しぶりに兄であり教師でもあるキシナと手合わせをしてもらった。結果は完敗。一撃くらいは入れられると思っていたのだが、手も足も出なかった。
さすがは元騎士というべきなのだろう。とはいえ実力差が少しも縮まっていないのはどうなのか。焦るなと、キシナは言ってくれはしたが、目標が遠いままではいけないのだ。
特訓を再開したらとアマネに言われたのも、実力不足を見透かされたからかもしれない。
(続きするか……)
うだうだ考えているだけより、素振りでもなんでもして少しでも動いていたい。
大剣はクオンに呼ばれたときに階段沿いに並んでいる木陰に立てかけておいていた。荷物も一緒に置いてあるのだが、木の幹が壁になってアマネの突風に飛ばされずにすんでいたようだ。
その荷物の傍らに、かわいらしい花柄で彩られたボトルが転がっていた。拾い上げると、合間から覗く薄茶色の液体が揺れる。
通りかかったのでつい声をかけ、話をしていくうちにユカリが置いていったものだ。筋肉疲労を和らげる効能がある茶葉と塩を少し加えて作ったお茶らしい。薬剤師科なのに筋肉疲労するのかと思わず口にすると、薬草の栽培も調合も意外と体力勝負なんですよと教えてくれた。そしてよかったらと一本くれたのだ。
すごいんだなぁと眺めていると、ユカリの衝動に火がついてしまったらしく、あれやこれやと効能がある薬草の説明がはじまってしまった。どう止めようかと苦笑していたヒイロだったが、いろいろな効能があるということは、と試しに聞いてみることにしたのだ。
魔女に効くようなものもあるのかと。
もちろんとユカリは笑みを深くした。心なしかテンションが更に上がっているような気もしたが、彼女の口は止まることなく次々と代表的な効能を並べ立ててくれた。
精神集中、安眠効果、風邪の引きはじめに効くものや、魔力疲労に効果があるものもあるという。まさか筋肉のように魔力も疲労するとは知らなかった。いや単にそう思っただけで本当の意味は違うかもしれないので、そのことはまた調べるか聞いてみることにしよう。
(あれについてまとめるってことは、資料を作ってきますねってことなんだろうな。ユカリも忙しそうにしていたのに悪いことしたな)
アマネといいユカリといい、どたばたと急がしそうにしていた。それは一歩先へ進むためであって、単に特訓しているだけのヒイロは置いていかれてしまっているような錯覚になる。
(ああもう変な方向に考えるな。魔女と騎士じゃ、やることが違うんだっての)
眉根を寄せながらボトルのふたを開け、ぐいっとボトルを傾けてお茶を喉に流し込んだ。薬草だからおいしくはないのではと身構えていたものの、ほんのり甘みがありつつも後味はさっぱりとした不思議な味だった。
一気飲みしてからもう少し味わえばよかったと思ったが、後の祭りだ。今度会ったときに訊ねて、買うなり作り方を教わるなりしてみんなにも分けてあげようと思う。
ボトルをカバンにしまおうとして、ちょっと待てと動きを止める。
お茶は大変おいしかった。借りたボトルは洗って返すのが当然だろう。しかしこれを持ち帰って洗った場合、乾かさなければならない。ということはキシナの目に触れる。この花柄が。男が花柄を持ってはいけないわけではないが、絶対に、変な勘ぐりを入れてくるだろう。
(……お茶だったし、すすげばいい……かな)
返すときに軽くすすいだだけになってしまったと謝ろう。それにボトルを数本持っていたということは、それだけ必要なのではないだろうか。
この後のことと心の負担を天秤にかけ、それらしい理由も思い当たったので、ヒイロはまずボトルを返しに行こうと決めた。
(まだそんなに時間はたってないから、まだカヴァイにいるはずだ)
ユカリが学校に戻る予定なら、前に通ったカヴァイへの道を行けば入れ違いになることはないだろう。
忘れかけていたが、アマネが持ってきた灰を調べていたときにユカリが一瞬表情を強張らせた気がしたので、少し気になったのだった。
(見間違いかもしれないけど、アマネの力になれるかもしれない。聞くだけ聞いてみるか)
手早く荷物をまとめて大剣を背負い、近くの流し場へ移動した。入念に中をすすぎ全体も洗ったボトルを使っていないタオルできれいに拭く。そして念のためもう一枚の未使用のタオルでボトルを包み、カバンにしまった。
「よし、と。行くか」
カバンを肩に提げなおし、足早に校外へと向かう。お茶が効いているのか、疲れているはずの足が心なしか軽かった。




