第七十話
「家では食べてこなかったのね」
寮ではなく家から通っているヒイロが食堂にいるのが物珍しく、つい疑問が口からこぼれていた。
「夏休みぐらいはここのも食べてみたくて頼んであるんだ。いつもはもっと早い時間に食べてるんだけどな」
そう言ってヒイロはから揚げとご飯を頬ばる。おいしそうに食べる様子は、眺めていて飽きない光景だ。
今の時間になったことが普段でないのは、走りこみながら時間を忘れるほど考え事をしていたからということか。詮索するつもりはないが、悩み事であるなら力になりたいと思うのはわがままなのだろうかと、不安になる。
二個目のから揚げに箸を伸ばしたヒイロは、ふと顔を上げた。
「なにか用でもあるのか?」
「え?」
「いや、待ってもらって悪いんだけど、この後仲間と特訓の約束してて……」
「そうだったの。なんとなくいただけだから大丈夫よ」
申し訳なさそうにするヒイロに対し、首を振って微笑を返す。
一方的にしゃべるのもなんだし、ヒイロもゆっくり食べられないだろう。邪魔しないようにしようと決めたアマネは席を立った。
「じゃあ行くわ。ごゆっくり」
軽く手を振って出口へと向かう。部屋でくつろいで英気を養っておくことにしよう。
「アマネ」
振り返ると一瞬目が合って、逸らされた。なんだろうと待っていると、ヒイロは目を泳がせながら頬を掻く。
「あーその……第二実技試験、無理すんなよ」
「? ええ」
頷くとヒイロは食事を再開したので、改めて食堂を後にする。
廊下を進みながら、アマネは目を伏せた。
無理するなとは昨日も言っていたと思うが、そんなに心配なのだろうか。
(……心配させてばかりよね。そりゃあことあるごとに言いたくなるわ)
危険から遠ざけるべく一人で全部やろうとして、魔法を暴走させて。これをヒイロや他の誰かがやっていたら、アマネも注意せずにはいられないだろう。
(もっと力があれば、心配させないのに。そう思ってばかりで、理想に届く気配がない)
とはいえ担任のキシナ曰く、アマネは学校の中では優秀な方なのだという。この件については前世分の経験と知恵があるからそうでないと困るだろう。
しかし優秀ではあるが、誰も手の届かない高みにいるわけでなない。この歳になるまで魔法と敢えて触れ合おうとしてこなかったから、その分のブランクもある。その上、理想の魔道具である前世の杖は、基本的には博物館に展示されている。一週間だけ例外的にアマネの元へ返ってきているが、その期間も過ぎてしまえば返却しなくてはならない。ウタがアマネのために作ってくれている魔道具も素晴らしいが、悪い言い方をすれば前世で使用していた杖にはまだ遠く及ばない。別段性能が悪いわけではないのだ。そこらで市販されているよりも、ウタが作る魔道具の方が、アマネ個人に合わせて作ってくれているおかげで使いやすい。ただ、前世で使っていた杖の性能が良すぎるだけなのだから。
またどうでもいい情報ではあるが、優秀だと褒めるキシナの話には続きがあって、一年生なのに理事長に目をかけられているので、上級生の中でも羨ましがっている人がいるのだと夏休み前にこっそり教えてくれたことがある。
(まぁ、羨ましいのなら睨みつけてくる必要はないわよね)
気遣って言い換えてくれたのだろうが、正直言って上級生が羨ましかろうが妬まれようがちょっかいを出してこなければ関係ない。
「まーたアマネの悪い癖が出てるぞ。焦るとろくなことにならん。それに急激に力をつけようもんなら体が追いつかずにボロが出るぞ」
「そうねクオン。でも早いに越したことないから、諦めないわ」
少しずつ積み重ねていくしかない。ヒイロも仲間と特訓するというので負けていられなかった。
とりあえず部屋に戻り、第二実技試験の内容が通知されるまでどう練習するかを決めるべく気持ち足を速める。
階段を登っていくと、見慣れた小さな背中が視界の隅をよぎった。
「……ウタ?」
違和感を覚えて気になって追いかけると、制服ではなく簡易的な私服姿で廊下を歩いていた。外出する日を除き、は自室以外では制服の着用がルールとなっている。それを知らないはずはないのだが、と首を傾げつつあいさつがてら声をかけてみることにした。
「おはようウタ。ウタ?」
「…………あれ、アマネちゃん?」
呼び止めるため肩に手を置いたが、振り向くまでに一瞬間があった。こちらを向いたウタはどこかぼんやりとした表情を浮かべている。
「私服姿でどうしたの? 寮長さんに見つかったら怒られるわ」
「え…………あれ、やだ。私、寝ぼけちゃってたみたい」
自身を見下ろして目を丸くしているウタは、今の今まで事態に気づいていなかったようだった。よく見ると少し疲れたような顔をしている。
「もしかして、私がお願いしてしまった杖の作業で徹夜になったとか……」
「そ、そんなことないよ。確かに昨日さっそく杖の作業に取りかかったけど、遅くなる前に……ちゃんと寝たから」
「ほんとかぁ? 嬢ちゃんのことだから熱中して時間が分からなくなっちゃったーとかはないか?」
ところどころ言葉に詰まっているのが怪しかったが、肩の上からじとっと見据えるクオンが代弁してくれた。気づいたウタが慌てた様子で何度も頷く。
「寝たよクオンちゃん。この私服、寝巻き代わりにしてるんだから。ただ杖はもう少しかかりそうなんだよね……できるだけ急ぐけど……」
肩を落とす姿がどこか弱々しい。いつもならどうにかしてみせるからと、ポジティブなところを見せてくれるのに。彼女なら直してくれるだろうとは思っているが、半日でここまで消耗させてしまうとは思いもしなかった。
考えの甘さを責めると同時に、無理するなとかけられた言葉の重みを実感する。
「無理しないでくれたら、どれだけ時間がかかっても構わないわ。課題とか他にもやることがあるでしょう?」
「あ、そこは計画バッチリだから心配しないで。アマネちゃんは今日どうするの?」
「試験に向けてできる限りの予習をしようと思うの」
占いだった場合、方法によって手順が様々だ。手元でごちゃごちゃといじるのは得意ではないので、もう一度ひと通りやっておいた方がいいだろう。
「そっか。じゃあ私も戻ってがんばるね」
「あっ、ウタ」
第二実技試験の内容が占いか魔力循環治療だった場合は、杖なしでも受けられる。だから遅くても返却期限に間に合えばいいのだと伝えたかったのだが、ウタはさっさと自室へ帰っていってしまった。
「あーあ、行っちまったな。気になるなら嬢ちゃんの様子はオレっちがときどき見に行ってやるよ。今は戻ろうぜ」
「……そうね」
とっさに伸ばした手を引っ込め、踵を返す。みんなやれることをやっているのだから、立ち止まっていられない。




