第六十九話
ピピピピと室内に響く電子音がまどろんでいた意識を浮上させる。目を開けたアマネは寝返りを打ち、手を伸ばして置時計の頭を軽く叩いた。途端に室内は静寂に包まれる。
ぼすっと伸ばした手を布団の上に下ろし、目を閉じて息を吐き出した。
《おーい、早めに設定したとはいえ、二度寝は危険だぞー》
《分かってるわクオン。……おはよう》
「おう、おはようさん」
あいさつと同時に顕現したクオンがアマネの頭の上に落ちる。
「赤の坊主はもう、走りこみに行ったぞー」
ぴょんぴょんと跳ねられて、何度も頭が枕に沈む。重くも痛くもないが、執拗に揺さぶられれば、自然と眉間にしわが寄る。
「……クオン、わしづかみにされたいのかしら」
低めに言うと、ふっと重みがなくなった。やれやれと思いながら身を起こし、ベッドに腰かけた。膝に乗っかってきたクオンを見下ろす。
「運動したいなら、ヒイロと合流すればいいのに」
慣れない魔女が使い魔を顕現させ続けるのは一苦労になるが、前世の経験と生まれ持つ魔力量のおかげで、クオンがアマネと離れたところで長時間顕現する程度、どうってこはなかった。
「しようとも思ったさ。でもオレっちが何度話しかけても無視するんだぜ?!」
あいさつは大事なんだぞと憤慨するクオンの言葉に、だからヒイロが走りこみに行っていると知っていたのかと他人事のように納得した。
「やっぱりヒイロ、怒ってるよね……」
昨日、実戦室でウタと別れた後、学校に戻ってきたヒイロたちが一階の廊下の窓越しに見えたので合流した。
三人はもう、ボロボロのへとへとだった。髪は乱れ、制服はよれており、ヒイロとラキの頬や手には絆創膏が何枚も貼られていた。どうしたのかと訊ねたら猫同士のケンカに巻き込まれた、とのことだった。体を足場にされ、標的にかわされた猫の爪がその勢いのまま二人を襲ったのだという。薬剤師の店なので手当ては充分してもらえたらしいが、疲労まではさすがに治療しきれないようだった。
お疲れさまと苦笑しながらねぎらったアマネは、別行動の間にしていたことを話すことにした。理事長が絡む件なので関わらせたくはないが、隠すのはよくないと思ったからだ。
国家試験を受けさせられているという話を聞かされ、まずアイカの眉間にしわが刻まれた。
『納得したくはないけれど、あの理事長に目をかけられているのだからこういう特例もあるのかもしれませんわね』
『でもあの理事長さ。どこか胡散臭い感じが……アマネ一人になにかさせるつもりなんさね?』
同じく難しい顔を浮かべるラキは、最初の頃にクオンが捕らわれていたことを知らないものの、直感で怪しんでいるようだった。
そしてアマネだけ国家試験を受けることに怒りを見せるのではと予想していたヒイロの反応は、無理だけはするなよと、ただ一言発しただけだった。
そしてこの日はみんな疲れを癒すために解散することになり、アマネも自室に引き返したのだった。
「少なくともアマネには怒ってないだろうから安心しろ。さ、準備して朝飯食おうぜ。一週間ぶりの食堂だ」
「そうね」
夏休み中なので、大半の寮生が帰省していることもあり食堂もお休みだ。しかし週に一度だけ、希望者にのみ食事を用意してくれていた。
食べ物の摂取はしないのに、食べる当人以上にご機嫌なクオンを見ているとつい苦笑してしまう。
この後、身支度を整えてアマネとともに寮一階にある食堂に向かったクオンは、朝食のメニューが鳥のから揚げ定食だったことに絶句するのであった。
朝から揚げ物とはいえ、そこは食堂の方が食べやすいよう工夫がされている。残さず食べることができた。壁にかけられている時計をちらりと見やると、八時にさしかかろうとしていた。
他に何人か朝食を取っていた生徒がいたのだが、いつのまにかアマネとクオンだけになっている。
(さっさと片付けないと食堂の方がいつまでも終われないわね)
「お、アマネ。おはよう」
立ち上がったところで呼びかけられた。振り返るとタオルを首にかけたヒイロが入ってきたところだった。クオンが無視されたといっていたので気にかけていたが、さっぱりとした表情からはいつもと変わらないように見える。
「おはよう。クオンから走りこみに行ってるって聞いたけれど」
「あれ、クオン来てたのか。考え事してて気づかなかった……で、そのクオンはどうしたんだ?」
首を傾げるヒイロにひとつ頷き、机上を顧みる。
アマネが朝食をとっているときから、クオンは長机の片隅でずっとうずくまっていた。
「アマネの奴、おいしそうに食いやがって……いやちゃんと食うことは大事だけどよ……」
「朝食のメニューが、ね」
目を瞬かせたヒイロは、出入口にかけられている案内板をちらっと見る。
「ああ……」
納得した様子でヒイロは食堂のカウンターに向かう。
「すみません、俺にもから揚げ定食お願いします」
「坊主てめぇぇ!」
一変して飛びかかろうとするクオンを捕まえる。じたばたともがくクオンを撫でてなだめると、ふんっと鼻息を鳴らしてアマネの首元に顔を埋めて沈黙した。いじけてしまったようだ。
くすぐったいが、落ち着いてくれたのでよしとしよう。
少ししてできたてのから揚げ定食を受け取ったヒイロが近くの席に着く。アマネも近くに行って椅子に腰かけた。




