第七話
中庭に出ると、設置されているベンチはすでに占領されてしまっていた。人目に触れたくないこともあり、ごみを放置しなければ大丈夫だろうと植え込みを越えて奥へ立ち入る。
木々が生い茂っていて死角になっているちょうどいい場所を見つけ、アマネは木の根元に腰を下ろした。
《たくよぉ、日光浴くらいさせてくれたっていいのにな。羽がカビちまうぜ》
アマネの周囲にクオンの姿はない。不満の声だけがアマネの耳に届く。
膝上にハンカチを敷いて購買で買ったサンドイッチを置き、傍らのカバンを開いた。中から水筒を取り出して一息つき、サンドイッチに手を伸ばす。
《授業中だけの仮開放か。ほんと必要なときだけって感じね》
教室を出てまもなく、肩に乗っていたクオンが眠いと口にした。その瞬間、空気に溶けていくかのようにクオンの姿が透け、わけが分からないうちに消えた。
本来、実体化を解くには別れのあいさつが必要なのだ。互いの意思確認なくして解けることがあるとすれば、実態を保てないほどに傷を負ったときくらい。
蒼白になって辺りを見渡して捜していると、念話が聞こえて鳥籠に戻されたことが分かり、なんとか平静を取り戻すことができたのだった。
《やっぱりよぉ、タマゴじゃなくてカツサンドにすればよかったんじゃねーの? 肉食おうぜ、肉》
《私がカツサンドにしても、クオンは食べられないでしょう》
冷静に突っ込みながらタマゴサンドをほおばっていると、クオンがむくれているのが伝わってくる。
《雰囲気を楽しみたいんだよ。いいだろ別に》
使い魔の活動源は核となる魂を分けた魔女の魔力で、実体化しているだけで常に消費される。疲れてきて実体化を解いたとしても、再び名を呼べば顕現させることができる。
《クオン、お腹すいてる?》
《いや、さっきの授業でアマネの元に行けたから大丈夫だ》
仮に用事を頼まれた使い魔が遠くにいても、魔力を分けることはできる、しかしクオンは捕らわれているからか、触れられないと魔力の供給ができずにいたのだった。
《授業以外でも定期的に理事長にかけ合う必要がありそうね》
時間を潰せるだろうが、その度に理事長と顔を合わせなければいけないことになる。非常に億劫だが、しかたがない。
《悪いな。こっちもなにかつかめたらいいんだろうが》
《気にしないで。隙あらばあの男を殴りつけてやるだけよ》
《そりゃあ傑作だ。そのときはオレっちも、髪の毛引っこ抜いてハゲにしてやる》
思わず一部がはげた理事長を想像してしまい、笑いがこみ上げてくる。なかなか収まらないので落ち着かせようと、体勢を横に変えて幹に耳を当てる。
目を閉じ、中を静かにのぼっていく水の音に聞き入っていると心が穏やかになっていく。こぽこぽと心地よい音をずっと聞いていたらそのまま眠ってしまいそうだ。
《ありがとう。おかげで嫌なことも忘れられそう》
「大丈夫ですか!?」
突然聞こえた大きな声に目を開けると、なぜか一人の女子生徒が血相を変えて駆け寄ってくるところだった。水音の余韻に浸ってぼんやりしていると両手が頬に添えられ、やっと意識が覚醒する。至近距離でこげ茶の瞳に見つめられたかと思うと、今度は手を取られて脈を計られた。
目を白黒させるアマネに対し、女子生徒はほっと安堵の息をついて笑みを浮かべる。
「びっくりした。木に寄りかかってるし顔が白く見えたから具合でも悪いのかと」
「別に、ただ音を聞いていただけなのだけれど」
「なーんだ私の勘違いか。驚かせてごめん。私、普通科一年のウタっていうの」
よろしくと勢いよく手を出されたので思わず手を握と、ぶんぶんと上下に振られた。アマネは紺色のネクタイは普通科なのかと頭の片隅に留めておく。
手を離してもらえたと思ったら、瞳よりも明るい茶色のボブカットが動きに合わせて横に揺れだした。ウタはなにかに期待してそわそわしているようだ。
「ねぇねぇ、制服が薄灰色ってことは魔女科よね? 魔法具持ってる?」
「……持ってたら、なに」
「あっ、突然ごめんね。私、魔法具を作る加工技師を目指しててね、よかったら見せてもらえないかなって」
また魔法具か。こぞって弱みになりそうなところを狙っているのではないかと思うと、うんざりしてくる。
「私の魔法具を見たってつまらないと思うわ。他を当たったらどう」
「みんな魔法具が違ってるから勉強しなるし、もちろん他の人にも見せてもらうつもりだよ。ほんのちょっとでいいんだけど」
申し訳なさそうにウタの眉が下がる。わざとなのか天然なのか知らないが、しつこい上に媚びているように見えてしまって苛立ってきてしまう。
(私、こんなに短気だったっけ?)
冷静に見ているアマネがいるものの制御するまでに至らない。どう断ったら諦めてくれるだろうかと考えていると、ウタの視線がはずれて下を向いた。
「あれ、初心者用の杖なの?」
疑問に誘われてカバンを見下ろすと、開いたままになっていた。その隙間から魔法具が垣間見えている。水筒を出したときに閉め忘れていたようだった。
ウタは納得してひとつ頷く。
「専用の魔法具はまだだったから、つまらないって言ってたのね。うん、ここで出会ったのもなにかの縁だし、私が作ってあげるよ」
「余計なお世話よ、放っておいて」
冷たい発言をしてしまったことに気づいて内心焦るが、打たれ強いのかウタは両手を合わせて懇願してきた。
「いいじゃない。互いのためだと思って、ね。というわけでなにがいい? やっぱり杖? 魔導書? アクセサリーもいいよね」
自身のものを作るかのように候補がどんどん出てくる。と思ったら今度は石や木の種類など素材の話に変わり、一人で盛り上がっている。
「あの、本当に大丈夫だから」
「石の色は髪色に合わせたほうがいいよね。空色の石まだあったかなぁ」
ダメだ。自分の世界に入ってしまっていて声が届いていない。
《こいつ、アマネがそっと離れても気がつかないんじゃねぇの?》
《……そうね、行きましょうか》
立ち去ることを選択したアマネが腰を浮かしたそのとき、頭上から鐘の音が響いた。
「あ、予鈴! じゃあ、次に会うまでに似合いそうな魔法具を作ってくるから!」
捨て台詞のように言い置き、ウタは予鈴とともに走り去っていっていく。膝立ち状態のまま見送る形となったアマネは、校舎へと消えていった背を見つめたまま微動だにしない。
《またグイグイくる奴に目をつけられたな》
《……平穏に過ごす希望は、叶いそうにないわね》
溜息をついたアマネは立ち上がり、カバンを持って教室に戻った。