第六十六話
階段を上がって理事長室前に来たアマネは軽く深呼吸をした。
(夏休み中にまで呼び出すなんて、なにを考えているのかしら)
なによりミラを問い詰められるチャンスだったのに、邪魔をされたアマネは不機嫌になっている。
扉を軽くノックすると応答があった。通い慣れてしまった理事長室に、臆することなく足を踏み入れる。
部屋の最奥にある執務机の向こうで、理事長はコーヒーを片手に優雅に腰かけていた。
「おや、早かったですね。タイミングがよかったようだ」
こっちは最悪なタイミングだと内心毒づきながら、なんの用かと尋ねる。
「先日、君に話しましたよね。あなたに魔女の国家資格を取ってもらいたいと」
確かに、ナギナミで起きた事件の詳細を報告したときに、取引の条件のひとつとして提示されていた。互いのサインが書き込まれた書面も、部屋に隠してある。
「特例中の特例なのですが、申請が通ったのでさくっと合格してほしいのですよ」
「かなり重要な内容だと思うのだけれど、さらっと言うのね」
「取引を成立させたのですから早く実行しなくては。それともまだかまだかと焦らした方がよかったですか?」
「面倒ごとはさっさと片付けるに越したことはないわね」
「同意見です。では審査員の方が見えてますので、さっそく」
夏休み中でアマネが校舎にいるかどうかもわからなかった状態にも関わらず、すでに審査員まで用意していたようだ。アマネが所用で遠くに行くことなどを考えなかったのだろうか。たまたま校舎に立ち寄ったからいいものの、もしアマネがいなかったら審査員の人たちは徒労に終わるというのに。
用意周到さに飽きれつつ、そういえばと自身の現状を思い出す。
「ちょっと待って。今すぐに資格を取ることも急すぎだし、なにより魔法具を持ってないわ」
先程の魔法の暴走でウタに作ってもらった魔法具は壊してしまった。魔法を放つ媒体がなければ、試験の受けようがない。
「ああ、そのことでしたら問題ありません。試験にはこれを使うといいでしょう」
アマネの話を聞いてもさして動じるそぶりもなく、むしろ好都合と言わんばかりの表情をしていた。デスク袖の引き出しを開けた理事長は細長い箱を取り出した。箱自体も古めかしく、ところどころ日焼けしている。
机上に置かれて蓋が開かれたとき、アマネは中にあったものを疑った。
木製の杖で、デザインはいたってシンプルな彫り込みのみ。先端が何重にも丸められているものの、一本の木から造られていることが分かる。
「こ、れ………………博物館に、展示してあるはずじゃ」
歴史的価値があるものを一般公開している博物館の、目玉となるような位置に飾られているはずのものだ。
「レプリカかと疑うようでしたら、持ってみればいいでしょう。これは本来、あなたのものなのですから」
そう、この杖はソウランの悲劇で命を賭して人々を守ったソウランの魔女が使っていた魔道具。当時のアマネが愛用していた、騎士でも使い魔でもない、もうひとつの相棒だ。
手を伸ばし、掴むと同時に懐かしい感触がした。馴染むように持ちやすいのは、持ち主の手の形にあわせて作られているから。
「見れば本物だってことくらい分かるわよ。でも今日も博物館はやっているでしょう。どうやって持ってこられたのよ」
「これも交渉がものすごく大変だったんですよ? あちらへは今、調整中ということでレプリカを展示してもらっています」
交渉がと言いつつ、弱みを握って半ば脅したに決まっている。にこやかに話しているが、博物館にとっては大打撃だろう。早く返してほしいに違いない。
魔法具を、それも二度と手にすることはないと思っていた相棒を渡されてはやらないわけにはいかない。
(それにこの杖なら、リューカンも暴走させることなくできるわね)
「……実技試験は、どこでやればいいのかしら?」
「実戦室へ。審査員の方もそこで待っていてもらっています。ああ、ちなみに」
即座に踵を返して扉に手をかけたところでアマネが振り返ると、席を立った理事長が笑みを深めた。
「見学は自由ですよ」
言葉の意味が分からず、眉根を寄せて扉を押し開く。
「ひゃっ」
一瞬、目の前で発せられた声の正体を認知するのに時間がかかってしまった。なぜなら今は、ヒイロたちと一緒にカヴァイにいるはずなのだから。
「…………ウタ、どうして」
瞠目するアマネに対し、ウタは上目遣いで申し訳なさそうに頬を引きつらせている。
「ご、ごめんね。盗み聞きするつもりはなかったんだけど……」
盗み聞きと聞いて息を呑む。一体どこから聞いていたのか。もし博物館のくだりを聞いてしまっていたのなら。
(前世がソウランの悲劇の魔女だったって、気づかれたかもしれない)
実は前世では歴史上の人物だったであろうとも、驚かれはするだろうがウタやヒイロたちは態度を変えるような人ではない。ただ知ってしまっただけで余計なことに巻き込まれる可能性が大きくなり、それだけで危険性が増す。そのことをアマネは心配していた
「…………あの、アマネちゃん? 怒って、る?」
「え、あ、いえ、怒ってないわ。カヴァイにいるものだと思っていたから、驚きはしたけれど」
「そっか、よかったぁ。一人追い出される形になっちゃってたでしょ? 心配になって追いかけたら、ミラ先生が理事長室に向かったって教えてくれて」
心配するウタの意志を汲み取ったのか、わざと鉢合わせるように仕向けたのか。ミラの真意を知る術はないが、見送られたときの微笑が胡散臭い理事長と重なって見えてしかたがない。
「それでアマネちゃん……試験受けるって、ほんと?」
「ええ、この前のネズミ狩りした功績が認められたらしくて特例で。聞いていたのはその辺りかしら?」
「う、うん。ほんと、ごめんなさい……」
「あ、違うの。ちょっと確認したかっただけだから」
言い方がきつかったかと焦っていると、背後でくすくす笑っている声が耳に届いた。
(元凶はあいつなのに、なに笑ってるのよ!)
頬を引きつらせたら、またウタに怒ってないのが嘘だと誤解されかねないと我慢する。
「アマネちゃん、その杖ってもしかして」
ウタの指摘にはっとする。右手に持っている杖は誰もが知る魔道具そのものだ。特に加工技師を目指すウタなら見逃すはずもない。
「そ、そう。あのソウランの魔女が使っていたとされる杖の…………レプリカなの。理事長がそういうのを集めるのが趣味らしくてね、今、魔道具を持ってないって言ったら貸してくれたのよ」
両手で胸の前に持ち、出てきた言葉をそのまま吐き出して取り繕う。本物だといってもよかったかもしれないが、頭の片隅では高みの見物をしている理事長をなんとかして巻き込みたい気持ちがあった。
「へぇー、よくできてるなぁ。あっ、邪魔しちゃってごめんね。これから試験だってのに」
「ただ待ってるのもなんだし、見学は自由だそうだからウタも来る?」
「えっ、いいの? ぜひとも見学したいです!」
目を輝かせて挙手するウタを尻目に後方をちらりと見やると、理事長はなんともいえない顔をしていた。
「じゃ、行きましょうか」
理事長の表情を崩せたのでとりあえずよしとして、アマネはウタを連れて実戦室へ足を向けた。




