第六話
念話で呼びかけてみるも、応答がない。
何度も呼びかけたが通じることなく、とうとう黒板側の引き戸ががらりと音を立てる。
入ってきたのはキシナではなく、白衣をまとった女性だった。肩より長いウェーブがかった緑髪を揺らし、ロングブーツのヒールをカツン、カツンと音を立てながら教壇の前に立った。
「はーい、使い魔生誕学の時間よ。今日は……ああ、転入生さんがいたのよね」
アマネの存在に気づいた女性教師は微笑みかけた。
「隣のクラスの担任、ミラよ。魔女専攻の授業のときは合同でやっているの。ちなみに男子は外でキシナ先生が授業しているわ」
言われてちらりと校庭を見下ろすと、それぞれの男子生徒が武器を持って整列していた。軍の小隊に見える男子生徒たちの前に立つキシナは、授業内容について説明しているようだ。列の中にいるヒイロをあっさり見つけだしてしまい、内心うんざりする。
(武器は大剣、か。そこも同じなのね)
「外が気になるかもしれないけれど、いいかしら。今日は使い魔生誕を実際にやるのだけれど、いきなりで大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫だと思います」
注意され、くすくすと笑い声が聞こえる。アマネは慌てて前を向いて姿勢を正した。転入生だからか、ことごとく目立ってしまっている。しばらくは行動に気をつけた方がよさそうだ。
「そう。分からないことがあったら私か、周りの席の子に聞いてね」
小さく頷いたミラは黒板に向かい、使い魔生誕の詠唱文などを簡単に書き記していく。中でも無理はしないこと、と太く大きく書かれた注意事項が黒板の中央を占めていた。
「一応、詠唱の文言は書いたけれど、私が言った後に復唱すればいいわ」
教材をしまうよう促され、机上はなにもない状態になる。ミラは事情を知らないのか、最初に聞かれたこと以外の助け舟はなさそうだ。本番が近づくにつれ、アマネの焦りは増していく。
(どうしよう。正直に言う? ダメ、もう使い魔はいますなんて言ったらまた悪目立ちするわ)
失敗したということにしても、後でアイカたちのネタにされるのが容易に想像できるので避けたい。事前にチェックして、非常に不服だがこの授業だけでもクオンを開放してほしいと理事長に頼むことができたはずなのに、今日は失敗してばかりだ。それに理事長も理事長だ。ほんの数時間前に人質にしたのだから、アマネの授業で使い魔を生誕させることくらい知っていたはずだ。人質にするなら、この授業が終わってからでも遅くはない。本当に性格が悪い、と心の中で舌打ちをする。
「詠唱の最後に自分の使い魔となる子の名前を忘れずにね。名は魂の形。難しく考える必要はないわ。ふっと浮かんだそれが、ふさわしい名前になるのだから」
教室内は静まり返り、空気が期待と緊張で満たされていく。
そんな空気の中、ふと膝の上になにかが乗った重みを感じた。慣れた感覚にはっとしてそっと窺うと、黄色の塊がもぞりと動き、半眼に見上げられた。
《よう》
《……っ、よう、じゃないわよ。どうしてここに? 呼んでも返事がないから寝てたんじゃないかって》
声を上げそうになるのをなんとか寸前でこらえ、念話に切り替えることに成功する。対して突然膝の上に現れたクオンは目をぱちくりさせて首を傾げる。
《わけ分かんねーよ。気がついたらこの部屋の床に転がっててよ。とりあえずアマネがいたしなんか困ってたみたいだから、周りのやつらにばれないようにここへ来たんだ》
《気がついたらここに? 拘束魔法は解けているの?》
《いや、鳥籠の外にいるってだけで魔法は解けてないな。どうなってんだ?》
タイミングを考えれば、理事長が授業のために一時的に拘束を緩めたのかもしれない。強制的に通わせている以上、授業だって問題なく受けさせたいのではないだろうか。よく分からない人だ。
《まぁ、いいわ。今から使い魔生誕の魔法を実践することになっているのだけれど》
手順を聞くふりをしつつ、かくかくしかじかと現状を説明する。その間にもミラの講義は進んでいった。
「私なりのコツだけれど、手の中に用意したコップへ自分の魂と魔力を注いで、そっと机に置くイメージを想像すると成功しやすいわね。それと目を閉じて行うとなおいいわ。生誕する際、ちょっと眩しいっていうのもあるけど」
《なるほどな。了解。光ってるときに机の上にいれば大丈夫だろ》
打ち合わせが済んだところで、ミラが教壇に両手をついて前のめりになる。
「それでは気持ちの準備はいいかしら? 気分が悪くなったら途中でやめること。では、はじめます」
他の生徒に合わせ、アマネも瞑目する。少し待つとミラから凛とした声音で詠唱された。
「我が魂よ、我の新たなる姿をここに現せ」
女子生徒全員が復唱し、最後に異なる名前が紡がれる。すると目を閉じていても眩みそうなほどの光が視界を白く染めた。やがて光は収束していき、ぽつぽつと喜びや戸惑いの声が上がる。アマネもゆっくり目を開けると、にやりと笑うクオンが視界に入ったので笑い返した。
周囲の女子生徒は目の前に現れた魂の分身に触れ、期待通りで笑顔だったり、予想と違っていたのか戸惑っていたり。中には机上になにも現れず、失敗している者もいた。
「今回失敗した子は、まだそのときではないということだから、落ち込む必要はないわ。使い魔の生誕に成功した子は、残りの授業時間を使ってコミュニケーションを。前の授業でも言ったけれど、使い魔が実体化している間は自身の魔力を消費し続けているから、辛くなったら一度お別れをして、魔法を解くのよ」
返事はまばらで、誰もが使い魔に夢中のようだ。ミラはやれやれと肩をすくめている。
「おーおー、懐かしいな」
《クオン、そういうことは》
《おっと、久しぶりに声出すと危ねぇな》
やべっと、口をつぐむクオンに苦笑して頭をなでる。初めてクオンに会ったときは前世でのことだったので、懐かしいという言葉がつい出てしまってもしかたがない。
「ミラ先生。この子が本当に武器になっちゃうんですか?」
ウサギの使い魔を前にしている一人の女子生徒が、不安そうな顔をしてミラを見つめる。
「そうね。そんなかわいい子がって思うと不安になるのは分かるわ。でもあなたと組んだ騎士と話し合って、ウサギちゃんのまま補佐として活躍してもらうこともできる。武器化は強制ではないし、あなたが嫌だと思うなら起こらないから大丈夫よ」
使い魔は騎士の武器にもなれる。パートナーの騎士が武器化した使い魔を使うことで魔女との繋がりが更に深くなり、魔女の系統魔法を帯びた武器の一撃は強力なものとなる。
気持ち次第だと言われた女子生徒は安心してウサギの頭をなでた。他の女子生徒数人もほっとした表情を見せている。
《まぁ、かわいいオレっちたちが刃物やらなにやら物騒なものになっちまうのは心穏やかじゃないよな》
《クオンは別だけれどね》
オレっちだってかわいいだろ、と眉を吊り上げるクオンをなだめながら疑問に思う。
(この姿のときはともかく、クオンはかわいいよりかっこいいの方が似合ってると思うのだけれど)
自分の使い魔との触れ合いも一通り済んだのか、席を立ち他の女子生徒と使い魔の見せ合いっこがあちこちで行われはじめた。
嫌な予感がすると同時に、近づく気配がする。
「どうもアマネさん。あなたも使い魔生誕に成功したみたいね」
「ええ、アイカさんも成功したのね、おめでとう」
自信満々にやってきたアイカの腕には朱色の毛並みをした猫が抱かれていた。
「あなたのは……ヒヨコかしら。ずいぶんとかわいらしいこと」
《ほー、こいつがちょっかい出してくる女か。どれ》
《やめなさい》
様子見がてら脅かすべく、飛びかかろうとするクオンの頭をわしづかみにして阻止する。
《ふぐっ、止めんじゃねぇアマネ。一矢報いたいとは思わねぇのか》
《運動したいだけでしょう、クオンは》
そう、クオンは別に怒ってはいない。が、怒ったふりをしてくれるおかげでアマネは冷静でいられた。ときどき本気で怒っているときもあるけれど、口は悪いがアマネよりも寛大なので、ヒヨコ呼ばわりされたぐらいで爪を引っかけはしない。
ふいに手の拘束から抜け出そうともがいていたクオンの動きが止まった。見やるとアイカの使い魔と目が合ったようだった。
「おいしそう」
「お前正気か!?」
アイカの使い魔から真顔で放たれた言葉にクオンが目を見開く。アイカも驚いた様子で取り繕うように自身の使い魔を抱え上げ、クオンから距離をとった。
「と、突然なにを言うのヒナタったら」
「いいじゃない。口にするのは自由よ」
それはそうですけれど、と顔を突き合わせて説得にかかるアイカ。その際、目の前で揺れるヒナタの尻尾に目がいく。
「尻尾が途中で分かれてる!」
誰かが驚嘆の声をあげ注目が集まる。女子生徒が言ったとおり、アイカの使い魔ヒナタの尾はYの字のように途中で二本になっていた。
「尾の数が多いのは有力な使い魔に多いわね。コンビネーションを鍛えていけば、優秀な魔女になれるわ」
ミラに太鼓判を押され、沸き立つ女子生徒たち。さすがアイカさんと褒められた当人は、羨望のまなざしを受けまんざらでもないようでヒナタを片腕に抱えて高笑いする。
《確かに二又は頭ひとつ上だけどよ、単純だな》
《誰だって、褒められて悪い気はしないでしょう》
絡みから開放されたアマネはほっとしつつ、席を立つことなく上機嫌なアイカたちの様子を見守る。
使い魔は普通の動物とは少し違う姿をしているが、その中でも格上とされる見分け方がある。それが尻尾の数だ。しかし尻尾のないカエルなどの使い魔も存在するので一概とはいえない。そして尾がない使い魔にも見分ける方法がひとつある。
「アマネさんの使い魔も優秀ね。黄金の毛並みはそうそういないもの」
一瞬で高揚していた空気が冷める。これまたタイミングが悪いことに、射し込む陽射しによってクオンの羽が黄色から黄金に輝いていた。
ちょうど終わりを告げるチャイムが鳴り、淡々とあいさつが終わると、ミラは優秀な子が二人もいるなんて嬉しいわと満足そうに教室を後にした。
気まずい雰囲気から逃げるように、隣のクラスの女子たちがそそくさと出ていく。
なぜ水を差すようなことを言ったのか問い詰めたいところだが、まずは目の前の修羅場をどうにか潜り抜けなければならない。
《わ、悪りぃアマネ》
《クオンが悪いわけじゃない。けどもう何度目かしら、この状況》
超ご機嫌から一変、阿修羅のごとく吊り上がった形相は簡単に収まりそうにない。取り囲んでいたクラスメイトの女子生徒たちは距離をとり、息を呑んで行く末を見守っている。
「いい汗かいたぜ! なぁ、女子はどう……かしたのか?」
開かれたままの前方の引き戸から、外で授業をしていた男子生徒たちが帰ってきた。しかしすぐ異様な雰囲気に気づき、出入り口に固まって困惑する。
遅れてやってきたヒイロが困惑している男子生徒と、対立している女子生徒を見比べて一箇所に目を留めた。
「アイカの使い魔は猫なんだな。目の色とおそろいか」
「そうなのですわ! 赤だからヒイロくんともおそろいで、パートナーになったら絶対にお似合いよ!」
険悪だった空気が一瞬で吹き飛んだ。
《怒ったり笑ったり、忙しい女》
《あはは……今回ばかりは助かったわね》
安堵したクラスメイトがそれぞれの席に戻っていく中、アイカの熱烈アタックに受け応えしているヒイロを見やる。
(やっぱり、同じ色の方がいいよね)
ちらりとよぎった思いに寂しさを感じ、我に返ってばかばかしいと首を振る。関わらないと決めて遠ざけたのはアマネ自身であって、寂しく思うのは筋違いだ。
それでもともう一度だけ盗み見ようと視線を向けると、気のせいか目が合った気がした。動揺もあってそらせずにいるとヒイロは口の端を上げ、アマネは息を詰める。
(なに、今の)
近くにいたクラスメイトの誰かに笑いかけたのかもしれない。アマネとヒイロの間には距離があって、クラスメイトが行き来している。なにより屋上でひどいことを言ったのだから、笑いかけられる理由がない。
《あいつ、わざとあっちに声かけたのか?》
《ありえない。ありえないから》
可能性を必死に振り払い、クラスメイトが弁当を取り出しているのを見て昼休憩だと気づいたアマネは、カバンを手に教室から逃げるように出ていった。