第五十七話
ごりごりと固いもの同士を擦り合わせる音が薄暗い室内に響いている。部屋の主は額に汗を滲ませながら、黙々と作業に徹していた。
大小様々な薬瓶が置かれた棚横の窓からは、赤に近い夕日の光が射し込んでいる。その向こうでは、夕飯はなにかとはしゃぐ子供と母親の会話が遠のいていった。
ヌァーン、と特徴的な猫の鳴き声が足元から聞こえる。
「…………時間がないんだ。早く……っ、ごほっ……ぅぐ」
慌てて作業を中断し、こみ上がるものを片手で受け止める。数滴こぼれて作業台に滴り落ち、赤い斑模様が描かれる。
「早く………………ひひっ」
部屋の主は血に染まった手のひらを見下ろしながら、嗤った。
本日は雲ひとつない快晴。陽射しは輝きを増し、地上をこれでもかと照らしている。
周囲が熱気と活気を増していく中、ほぼ均一に平らげられている砂上で、アマネは腕を組み目を伏せていた。
数日前に向けられた目が、自分に突きつけてきた声なき言葉が頭から離れない。
白の魔女の目的は。ミラがアマネに向けて『人殺し』と伝えてきた意味は。アマネが人を殺したのは前世のソウランの悲劇のときだけだ。『母を返して』と言ってきたのもミラだとしたら、ミラは『アマネが殺した親友の娘』なのだろうか。
しかし白の魔女に操られていたというフウは、別荘で対峙したときに『数週間前に会った』と言っていた。それが本当ならば、あのソウランの悲劇の後も親友は生きていたということになる。しかしそれではミラの言葉と矛盾が生じてしまう。
分からないことが多すぎた。可能性の分岐がいくつもあるがその先が正しいとはいえない。出口のない迷路をさ迷っているみたいだ。情報が、圧倒的に足りない。
ミラに真意を聞こうとしたが、避けられているのか、会っても他の人がいて話せる状況ではない状況ばかり。気づけば夏季休暇に入っていた。
「…………ネ……マネ、アマネ!」
肩を揺すられて、アマネははっと顔を上げた。目の前には眉根を寄せるヒイロがいて、赤い瞳に心配そうに見つめられていた。
アマネと目が合ったヒイロは息をつく。
「どうしたんだよ。さっきから呼んでも反応ないし」
「ごめんなさい、ちょっと考え事を」
素直に謝ったのに、ヒイロは更に顔をしかめて声音を下げた。
「考え事? また一人で抱えこんでるんじゃないだろうな」
「……そこまでたいしたことじゃないから、大丈夫よ」
白の魔女のことはともかく、ミラに人殺しだと言われただなんて話せることではない。
それは前世でのことで、今のヒイロには関係ない。背負わせたくないことだ。
「たいしたことない、ねぇ。ま、いいや。せっかく校庭使えるんだしさ、試合しようってことになったんだけど」
アマネたちがいる校庭には、双剣使いのラキと炎系魔法が得意なアイカもいる。目を向けて初めて二人がなにか言い合っていることに気づいたが、口喧嘩は今にはじまったことではなかった。いらぬ火の粉を浴びる必要もないだろう。
「そう。じゃあ、少し離れておくわ」
「アマネも参加するんだよ」
「……私も?」
「当たり前だろ、パートナーなんだから。それにせっかく外にいるんだし、運動しないと損だぞ?」
ヒイロはどこかそわそわしていて、早く試合がしたくてたまらない様子だ。彼の背後からひょっこりと茶色い頭が現れた。
「お邪魔して大変恐縮ですが、やっほーアマネちゃん。お待ちかねの新作だよ!」
ふわりと内側に巻かれたボブカットを揺らしながら、ウタは生き生きと手にしていたものをアマネへ差し出す。
「そういえばこのタイプの魔法具は試してもらったことがないなぁと思って。これまで杖やアクセサリー系ばかりだったから、ちょっと不便に思うかもしれないけど……」
今回ウタが造って来てくれたのは魔導書だった。青い装丁で下から広がるようなデザインが深緑の糸で刺繍され、中央には制御装置である赤い石がはめ込まれている。
一瞬かすめた親友の面差しを胸の奥に押し込め、丁寧に縫われた刺繍にそっと触れた。
「……ウタは刺繍もできるのね。アクセサリーも彫り込みや装飾が細かかったし、すごいわ」
「えへへ、造る系はだいたい得意なんだ。片手が塞がっちゃうけど、金属系じゃないから、アクセサリーよりかは耐久力あると思うの」
「そうね、ウタも授業や課題で忙しいのに、私がどんどん壊して作らせてるから……」
「まーたそうやって。私は別にアマネちゃんを責めてるわけじゃないよ。造ってるのは私がやりたいからだし、似たようなものばかり渡してアマネちゃんの可能性の選択肢を減らしたくないだけ。なにより加工技師としての経験値になるしね!」
だから自責も遠慮もするなと言ってくれるウタに、アマネはそうするわ、と微笑した。
試合形式は魔女と騎士のチーム戦。アマネとヒイロ、アイカとラキがそれぞれ組んで戦うことになった。ウタは新作の観察も兼ねて審判をしてくれるという。
対峙する位置につき、いざ試合開始というところでアマネは首を傾げた。
「で、勝敗はどうするの? 風船の的はここにはないわよ」
「あー、うん。……まぁ、負けたと思ったら申請するってことで」
「それ、ヒイロたちがバテるまでってことになるじゃない……ウタ、観察が済んだところで止めてちょうだい」
授業でも休日でも、普段から鍛錬しているヒイロたちに体力でついていくのは、かなり厳しいものがある。
溜息混じりでウタに頼むと、ノート片手に快く頷き手を振ってくれた。
「はいはーい。それではさっそく試合を……の前に作戦タイムを設けた方がいいかな? では三分ほどどうぞー」
ウタが校舎に取り付けられている時計を見上げて時間を確認する。
対戦相手を横目に、アマネは大剣の具合を確認しているヒイロに向き直った。




