番外編2「phantom&witch」
なにかきちんと自分の意思があって行動していたわけではない。
ただ白の魔女に、学校に潜伏するにはフヨウの魔法がうってつけだからと言われて、操られるままに学校に来たのが始まりだった。
面倒くさいと思うものの、身体はいうことを聞かない。白の魔女の命令に逆らいたいと思っていても、体内に入りこんだ白の魔女の魔力がそうはさせなかった。
白の魔女の命令はこうだった。
【近いうちにアマネという魔女の卵が転入してくる。アマネの行動を監視及びその力を見極めろ】
幻覚魔法という、固有魔法を使ってランシン専門学校に潜り込む。潜り込むのは案外簡単だった。今年の入学生を管理している人物の記憶を幻覚魔法で一部改ざんすればいいだけの話だからだ。ここで幻覚魔法に耐性がある、もしくは幻覚魔法の使い手がいればフヨウは白の魔女の手先であるとバレていただろう。正体がバレることを心の底から望んでいたのだが、残念なことにフヨウに違和感を抱く者はいなかった。
こうしてすんなりと『フウ』として入学できてしまったことに、大きくため息をつきたくなる。ランシン専門学校は有力な魔女や騎士をたくさん輩出してきた学校で有名だ。だからフヨウの存在に気づいて、歪であるこの命を絶ってくれると思っていた。
けれどこうなってしまっては仕方がない。入学してくる生徒一覧の名簿に目を通したが、アマネの名前はどこにもなかった。白の魔女の言う通り、なにかしらの理由があって遅れて入学してくるのだろう。
白の魔女の目的は、アマネに近づくこと。だったら、アマネ以外に関わる必要はないだろう。被害をなるべく出したくなかったフヨウは、友人を極力作らないようにしようと決めた。白の魔女に逆らうことはできないが、それ以外のことであればある程度自由に意思を持って動くことができる。
幻覚の魔法を自身にかけて、誰も振り向きもしないような影の薄い存在にかえた。これで誰も話しかけてこないだろうと一息ついて、割り当てられた席に座る。こうして座っていると、ふと数十年前のことを思い出す。
学校は違えど、これからの未来に目を輝かせる、やる気に満ち溢れた眼差しは、いつの時代も変わらない。
(あの頃は、まさか私がこんなふうになるなんて思いもしなかったなぁ)
幼馴染で騎士を目指すミカゼは、おっとりとマイペースなフヨウの傍にいつもいてくれた。皆と同じペースで物事を行うのが苦手なフヨウは、周囲からどんくさい子と思われ距離を置かれることが多かった。そんなフヨウをミカゼは見捨てることなく、フヨウができるまで根気よく付き合ってくれた。
ミカゼは同学年の騎士の中でも、容姿端麗、剣の腕も強く、性格良しと魔女の理想全てが揃っていた。パートナーに、と誘われている姿も何度も見かけたことがあった。だからフヨウはミカゼへの恋心を自覚しながらも、パートナーになることを諦めていた。フヨウはギリギリのラインで国家資格をとれた魔女で、つり合いがとれないと思っていたからだ。
けれどミカゼは有力な魔女の誘いを断って、なんとか魔女になれたフヨウの騎士になりたいと言ってくれた。
今でもその時のことを鮮明に覚えている。嬉しくて号泣するフヨウの目元を拭いながら、フヨウのことが好きだからずっと傍にいたいと照れながらもはっきりと言ってくれたのだ。
白の魔女という災厄に出会わなければ、今もずっと一緒にいられたはずだった。幸せな家庭を作れたはずだった。
だというのに、ミカゼは白の魔女の手によってあっけなく殺されてしまった。反撃する余地すらなく、虫けらを手で軽く払いのけるように。ミカゼ単体だったら、まだ逃げ延びることができたのかもしれない。けれどその場にはフヨウがいた。いくら成長して幻覚魔法でずば抜けた才能を発揮できるようになったといえど、白の魔女にとってはなんてことない魔法。フヨウに襲いかかる白の魔女の魔法の前では無力だった。そんなフヨウの盾となって、身体のいたるところに穴を開けた。自分のことはどうでもいいと言わんばかりに心配そうにフヨウを瞳に映して、ミカゼはこの世を去った。ミカゼの瞳が光を失った瞬間の絶望は、数十年経った今でも大きな心の傷と白の魔女への憎悪となって消えることがない。
そんなことをつらつらと思い出しながら、ぼおっと窓の外を眺める。そうしているうちに粗方の説明は終わったらしく、気づけば半分以上の生徒が教室から消えていた。
(ああそっかぁ。入学式のあと説明だけ聞いたらもう自由だもんねぇ)
相変わらずマイペースな自身に内心苦笑し、大した荷物も入っていない鞄を持って、今日から住むことになる学生寮に足を向けた。
元々は空室だった学生寮の一室を、フヨウの一室であると学生寮監督者の記憶を改ざんし、予め用意されているベッドの上に座る。
「出ておいで」
一言空中に投げかければ、なにもない空間から一匹の牛が現れた。茶色い柔らかな毛並みを持ったフヨウの使い魔、スズだ。フヨウと揃いの赤の瞳を嬉しそうに細めると、フヨウの頬を大きな舌でペロリと舐め上げた。
「フヨウ、フヨウ」
何十年経っても変わらない可愛らしい声。その声で呼ばれるたびに、ちくりと胸が痛む。
「スズ、ごめんね」
だからこうして謝ることしかできなかった。どうしてフヨウがこんなことをしているのか、ミカゼはどうなったのか、スズは全てきちんと理解していた。
「大丈夫。スズはいつもフヨウの味方。ずっとフヨウの傍にいる」
こうしてスズの話すことができるのは、ほんの一時しかない。基本は白の魔女の魔力のせいで、スズの意識がもうろうとしているからだ。フヨウが話しかけても瞳をじっと見るばかりで、言葉を忘れてしまったかのようになにも言わない。たまにスズが正気を取り戻して、フヨウに話しかけてくれなければ、フヨウの心はもっと冷たい氷のように凍ってしまっていたことだろう。
今日こうして話せたのは運が良かったからなのか、はたまた白の魔女との距離が離れたからなのか。しかし理由はどちらでも構わなかった。こうして久しぶりに会って話すことができたのだから。
時間の許す限り、スズとの触れ合いや会話を楽しむ。しかし楽しい時間はあっという間に終わってしまう。部屋が暗くなったと感じて窓の外に瞳を向ければ、すっかり陽は傾いていた。眩いほどか輝いていた太陽が橙の光を大地に放出させ、逢魔時の始まりを告げる。
「スズ、もうお別れの時間よぉ」
「もうなの。嫌だな、寂しいよ」
「うん、私も。でもこれ以上は……」
一緒にいても話すことができない。
そう紡ぐはずだった口は途端にいうことを聞かなくなる。体内に渦巻いている白の魔女の魔力が、逢魔時につられるかのように威力を増したからだ。スズの瞳が赤から橙へと変わっていく。そして瞳には光が無くなり、ただの置物のようにじっとしたまま喋らなくなってしまった。フヨウの瞳もスズと同じように橙になっていることだろう。それでもフヨウはスズと違ってまだ自身の意思を保っていた。けれどもし白の魔女の命令を行使しなければいけないときがきたら、どれだけ抵抗してもフヨウの意思関係なく今までのように命令を遂行してしまうことだろう。
憎たらしい白の魔女の魔力を体内から感じて、吐き気すら催してきた。変わってしまったスズを見たくなくて、スズの召喚を解く。ベッドに座っていた態勢から、寝転ぶ態勢へ変えようとしたその時、部屋の扉がノックされた。
(この部屋に尋ねてくる人なんて、いるのかしらぁ。どう考えても、間違いよねぇ)
フヨウはそう判断し、聞こえなかったフリをしてベッドに背を預ける。しかし数秒経つとまたノックする音とともに声が聞こえてきた。
「いるでしょう? 出てきてちょうだいな」
女性の声だった。声色からして歳はそういっていない。この学校の生徒かなにかだろう。居留守を使おうと瞼を閉じるが、それを邪魔するかのようにまた部屋にノックの音が響く。どうしてこうも諦めが悪いのだろうか。内心ため息をついて、扉の元まで歩いていった。そうして扉を開けると、制服に身を包んだ女生徒が赤の瞳をつりあげてた。長い赤の髪は、一部の隙もないよう、しっかりと両サイドで巻かれている。制服の色からして、フヨウが潜入した騎士・魔女科専攻の子だろう。
頭の中で過去の記憶を巡らせる。確か名前はアイカ。両親がそれなりに有名な魔女と騎士で、同じクラスだったはずだ。
しかし同じクラスといえど、一言も会話を交わした覚えがない。なぜアイカはフヨウを訪ねてきたのだろうか。
「あのぉ、なにかご用ですかぁ?」
できれば早くアイカに帰ってもらいたい。いつ自分がアイカに危害を加えるか不安で仕方がないからだ。
「用もなにも、これからあなたとはクラスメイト。挨拶するくらい当然というものですわ、フウさん」
「そう」
早く帰ってほしい、その一心で短く頷く。話題を広げることはしなかった。しかしアイカはそんなフヨウの内心を知らず、話を広げてくる。
「アイ、今日まであなたが入学することを知りませんでしたのよ。名簿には目を通したはずなのに、おかしな話ですわ。他の皆さまにはすでに挨拶したのに、あなたにだけ挨拶しないのは変でしょう? だからこうして立ち寄らせてもらったのですわ」
「そうなの」
いかにも興味なさげに返事をするのに、アイカの話は一向に終わらない。だんだんと焦燥や苛立ちとともに懐かしさが募ってくる。
(懐かしさ……。ああ、そっか。こうやってたくさん話しかけてくれるのは、ミカゼだけだったっけ……)
でも懐かしさを覚える相手なら、余計に自身には関わらせたくなかった。これから一緒に過ごすクラスメイトをないがしろにして、悪感情を持たれ目立つのは避けたかったが、アイカがフヨウの魔法によって攻撃を受けるよりはましだろう。そう判断して口を開こうとするが、もアイカの怒涛の話によって遮られてしまった。
「あなた、その前髪うっとうしくないの? それにその髪の短さ……髪には魔力が宿ると言われているのに、短くしてしまって」
存在感を薄くすることによって、髪型への意識も逸らしていたはずだが、一対一で話すアイカには悲しくも効いてはくれないらしい。
前髪はフヨウの瞳を隠すためにわざと伸ばしていた。後ろの髪は白の魔女との戦闘時に切られてしまい、以来は自身の戒めとしてこの髪型を保っていた。そんな色んな思いがつまった髪を、アイカはなにを思ったのか、触れてこようとした。これにはフヨウも驚いてその手をはねのけてしまった。けれど瞳を見られてしまよりは幾分かましだった。
しかし運命は無情にもフヨウに背を向けた。
「あなたのその瞳……」
今はちょうど逢魔時。瞳の色は橙に変わってしまっていた。橙の瞳を持つ魔女なんて、ほんの一握りだ。大体の魔女は赤や赤茶。アイカの口からフヨウの瞳の色がばれてしまえば、せっかく存在感を消す魔法を自身にかけていた意味がなくなってしまう。けれどそう思う反面、これでバレてしまえば、フヨウの存在も公になり誰か違和感に気づいて倒してくれるのでは、と考えてしまった。
しかしそう思ったのがいけなかったのだろう。
身体がフヨウの意思に反して勝手に動き、アイカに記憶消去の魔法をかけた。
(っ……。ごめんなさい、ごめんなさい)
魔法をかけられたせいで意識を失ってしまったアイカに、心の中で何度も詫びる。せめてアイカを介抱したかったが、そんな勝手は白の魔女が許しはしなかった。
倒れるアイカを前に呆然と立ち尽くす。
少しして、アイカの瞼がピクリと動いて、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
「アイは一体……」
アイカの記憶が一体どこまで消えているのか、フヨウでは判断がつかず、アイカの様子を観察する。
「……ああ、そうよ。アイはフウさんに挨拶をしにきたのだわ。どうしてこんなところで倒れているのかしら?」
アイカの呟きから、記憶はフヨウを訪ねる直前まで消去されていることを知る。ならばフヨウがとる行動は簡単だ。アイカの目的である挨拶をすればいい。主導権をこちらが握れば、長い話にはならないはずだ。白の魔女の魔力もそれが最善であると判断したのか、邪魔はしてこなかった。
廊下に座っているアイカに手を差し伸ばす。
「私が廊下に出たときは、すでに倒れていましたよぉ。はじめまして、アイカさん……で名前は間違いないわよねぇ? 私はフウ。これからよろしくねぇ」
「そうなの。失態を見せてしまって申し訳ないですわ。ええ、合ってますわ。こちらこそよろしく、フウさん。アイのことはアイカと呼んでくれてちょうだいな」
「では私のこともフウと」
こうして主導権を握れたこともあって簡単に会話は終わった。その会話の中にフヨウの髪型に触れるものは一切なかった。おそらく記憶消去と並行して、フヨウの髪型の件について違和感を持たせないようにしたのだろう。
アイカとの会話が終わって部屋に戻ると、扉を背に座り込んだ。立てた膝に頭を押し付け、両腕で膝を囲う。
(本当にもういや、こんな生活。誰か私を殺して……)
泣きたくても、そんな弱弱しい行為を白の魔女は許してはくれない。どれだけ心が泣いていても、瞳からは一滴も零れることはなかった。
あれからアイカは、誰ともつるもうとしないフヨウを気にしてか、友人のミツバとよく話しかけてくるようになった。最初のうちフヨウは、なるべく関わらないようにと距離を置いていた。でもアイカがそんなフヨウの行為を全てはねのけて、フヨウを何度も誘ってくる。先に折れたのはフヨウだった。初対面で感じた懐かしさんの通り、アイカはどこかミカゼに通じるところがあったからだ。アイカやミツバと一緒にいることがいつの間にか楽しく感じてしまっていた。
そんなある日、起点が訪れる。
アマネがランシン専門学校に入学してきたのだ。
まるで十歳児のように幼い容姿に低い身長。外見だけを観察する限り、とても白の魔女が気にするような子には見えなかった。けれど観察しているうちに、白の魔女が気にする理由が分かった。
まだ十五歳という年齢にも関わらず、授業で行う魔法をいとも簡単にクリアし、使い魔との連携も完璧。学年内ではアイカが一番強いと思っていたのに、簡単に勝利してしまった。それだけではない。フヨウが仕向けた屋上での件でも、その才能の一部を発揮。暴走する使い魔を友人たちと協力したとはいえ、見事に抑えてしまった。
明らかにランシン専門学校の生徒とは比べものにならない才能を抱えていた。
(なんなのあの子……)
アマネの監視を命令されたとはいえ、なぜ観察対象なのか理由は教えてもらっていない。けれどフヨウにはこの一件で、確信を持てたことがあった。
(あの子なら……アマネさんなら、私を殺してくれるかもしれない)
だから屋上での一件を伝えに白の魔女の元へ行ったとき、アイカを誘拐しろと言われたのはチャンスだと思った。アイカに対して心苦しくものの、運のいいことにアイカを殺せとは言われていない。だったらアマネがアイカ誘拐の事件に気づいて、訪れるその時まで殺すのではなく意識を奪えばいい。
(お願い、私を殺して……)
そう祈りながら、白の魔女の命令を実行するために、実家で謹慎するアイカの元へ足を向けた。




