第五十五話
フヨウとスズを包み込んだ炎が消え、その場に残ったのは、骨でも灰でもなく、さらさらとした白い砂だった。長い間白の魔女に操られていたせいなのか、それとも白の魔女の魔力のせいなのか、真相は謎のままだった。
けれど今はそんなことどうでもよかった。
アマネが見守る中、アイカはフヨウとスズであった白い砂の一部を、両手で優しく掬い上げる。そしてそれを握り込むと服が汚れるのも構わずに、胸の中へ抱いた。
沈黙が降りる部屋の中、ぽつりとアイカが疑問をこぼす。
「……フウは大切な人の元へ行けたのかしら?」
「行けるよ、絶対に」
死後の世界なんて、アマネのように禁忌中の禁忌である魔法を使わない限り知る人なんていない。そんなアマネだからこそ、確信を持って答えた。フヨウが大切な人に会えるのは、これから何十年、何百年先の未来のことかもしれない。けれどフヨウとその相手が望むのであれば、絶対に会えるとアマネは信じていた。
(だって私も、ヒイロにこうして会うことができたんだもの)
アイカにも誰にも話すことのできない、クオンとアマネだけの秘密。機会がこなければヒイロにだって話すつもりはない。
そんなことを思いながら白い砂を眺めていると、ふと白い砂の中に赤いなにかを見つけた。
(なんだろう……?)
不思議に思って、赤いなにかに手を伸ばす。そうして拾いあげたのは小指の爪ほどの小さな球体の形をした赤い石だった。それはとても透き通っていて、まるで赤い宝石のようだ。最期に見せたフヨウの瞳と同じ色合いをしていて、フヨウを彷彿とさせる。
「アイカ、これを」
「なんですの、この赤い石は」
「白い砂の中に落ちていたのを見つけたの。よかったらアイカが持っていて。なんだがアイカが持っていた方がいい、そんな気がするの」
これだけの事件になったのだ。これまでの経緯を聞かれるのはもちろんのこと、フヨウの持ち物だったものや、この現場での証拠は全て持っていかれてしまうだろう。それに白の魔女に繋がる七つの大罪と呼ばれる魔女が死亡したのだ。七つの大罪の魔女、という新たな情報とともに、上層部はあれもこれもと群がるに違いない。だからそうなる前にアイカへ渡しておきたかった。この赤い石のことは、アマネとアイカ以外知る者はいない。だからこそ持っていることがばれる心配もないだろう、と判断した上でのことだった。
アイカも馬鹿ではない。これからの起こることくらい簡単に想像できてしまうだろう。アマネが言っている意味を理解したのか、胸に抱いていた砂をそっと元に戻し、その赤い石を受け取ってくれた。
「アマネ、本当にありがとう」
涙を流しながら赤い石を受け取るアイカは、どこか儚げに映った。
フヨウたちが起こした事件は一週間後には世間に知られることとなり、アマネたちは時の人となってしまった。不幸中の幸いと言うべきなのは、渦中になる前にアイカたちとともにナギナミを出発し、王都に戻ってくることができたことだろう。
王都についたときは誰もが疲弊をしていたが、別荘破壊の件などを報告しなくてはならないため、アイカの実家を訪れることとなった。
その際に別荘を破壊してしまったことについて怒られるかと思ったが、そんなことは一切なかった。むしろアイカを助けてくれた上に失礼なことを言って申し訳なかったとクレナイたちに頭を下げられてしまった。その姿を見て、アイカは本当に愛されて育ったんだなと実感した。今世では孤児として育ったため、前世の両親を思い出してどこか寂しくなってしまったのかもしれない。互いに抱きしめあっている姿を見て、羨ましく思った。
上層部への報告はクレナイたちがしてくれるとのことだったので、アマネたちは疲弊した身体を休めるために学校の寮へと戻った。皆には休むようしっかりと釘をさして、理事長へ報告をしにいく。アマネも身体を休めたい気持ちでいっぱいだったが、あの理事長にはなるべく隙を与えない方がいいに決まっている。そう判断して、理事長室のドアをノックした。
中から憎たらしい声の持ち主、理事長が入室を促したので失礼します、と口にして中へ入る。相変わらず余計なものは一切ないシンプルな部屋だと内心思いながら、奥にある執務机のイスに腰かけている理事長と視線を合わせた。
「使い魔、元に戻ったんですね」
理事長は穏やかな笑みを浮かべながら、ヒヨコ姿で肩にちょこんと乗っているクオンを一瞥した。その飄々とした姿が気に食わなくて、苛立ちながらもクオンを理事長の視界から遠ざけようとクオンに手を差し伸ばす。しかしクオンはその手をひらりと躱し、柔らかな絨毯が敷いてある床へ本来の姿で降り立った。
誰もが委縮しそうな獰猛な視線を、クオンは惜しみなく理事長へ投げかける。その視線に理事長は臆することなく穏やかな空気を醸し出していた。
「オレっちはもうお前に捕まる気はない」
「でしょうね。私の方は、あなたに危害を加える気はありません」
「ふん、どうだが」
「本当なのですか。信じてもらえないのは残念で仕方がありません」
心底残念そうに溜息をはいて見せるが、その胡散臭い仕草がアマネたちをそうさせているのだとどうして分からないのだろうか。いや、この理事長のことだ。分かっていてやっているのかもしれない。だとしたら相当質が悪い。
内心クオンと理事長の会話にはらはらしてしまう。
「お前の思惑は正直どうでもいい。オレっちが大切なのは、こいつだけだからな」
「そうですか。……ではこの話は終わりとしましょう」
思ったよりもあっさりと引き下がった理事長に、アマネは知らずのうちに眉を寄せてしまう。しかしここで掘り返すほど馬鹿でもない。再びアマネへ視線を寄越した意味を理解し、簡潔に今回のことを報告することにした。
どこまでの情報を与えるべきか迷ったが、赤い石のこと以外を全て話すことにした。アマネが今回理事長に話さなくても、いずれは誰かの口から伝わってしまうことだ。だったら嘘の情報が入らないうちに、事実の情報を耳に入れておいた方がいいだろう。アマネからしてみれば、ヒイロやクオンを人質にした憎たらしい存在だが、他の人からしたら頼れる存在であることに間違いはないのだから。それにフヨウは殺されず操られ、フヨウの騎士であるミカゼが殺されたことを考えると、理事長が白の魔女側であることは考えにくい。そう結論に辿り着いた。
話を聞き終えた理事長は顎に手をあて、厳しい表情をした。理事長でもそんな表情をするのだと考えながらその姿を眺めていると、理事長から一つの提案をされた。
「アマネさん、ここは一つ私と取引をしませんか?」
「……嫌な予感しかしないわ」
あからさまに嫌な顔をして、理事長を睨みつけた。
「まあまあ、そう言わず。悪い条件ではないはずですよ。私からの取引は二つのみ。一つめは魔女の国家資格を特例で取ってほしいこと。二つめは白の魔女と七つの大罪の魔女狩りに、国家の魔女として参加していただきたいということです」
この学校にきたときから、国家資格を取って国家の魔女になってほしいとは言われていた。だからこの件は早まったと思えば、まだいい。国家の犬になるなんてごめんだが、ヒイロとこれからも騎士と魔女として生きていくには、必要な資格であるからだ。
けれど白の魔女と七つの大罪の魔女狩りに参加するのは、また別の問題が発生してくる。
「私にこの国のために命をかけろと?」
「そうは言っていませんよ。ただソウランのアマネさん、あなたはこの提案を受けるにしろ、受けないにしろ最終的には中心人物になることは避けられません。あなたは現在のどの魔女よりも強いはずですし、その金の瞳や天空魔法、そしてソウランの悲劇。関わるなという方が無理でしょう?」
(この人は一体私のことをどこまで知っているのよ)
謎の情報量に、得たいの知れない不気味さを感じる。
「それは前世の話。今世はどうかしらね」
「大丈夫ですよ。現にあなたは七つの大罪の魔女、フヨウを一人倒している。それがなによりの証拠となります」
提案を振り切ろうとしても、あの手この手で理事長は痛いところをついていた。舌打ちしたい衝動に駆られながらも、それを堪える。
「……それに対する私のメリットは?」
苛立ちを隠し、平坦な声で尋ねれば、理事長が笑みを乗せて答えてくれた。
「あなたの大事な人たち、全てを今後人質に取らないと約束しましょう。そして制御装置なしの魔法具を作成した彼女の件も、今回は見なかったこととします」
メリットというよりも、元から理事長が人質をとるのがおかしい。だというのにそれをメリットと言ってしまう辺り、理事長に弱みを握られている証拠なのだろう。
それにウタが作った魔法具の件がこうも早く知られてしまうと思ってもみなかった。確かに魔法具を作成するには、材料をそろえて、専用の場所でなければ作ることができない。ウタ自身、違反していることを理解して作成していたから、周囲の目を十分に警戒していたはずだ。それなのにこうして知られてしまったということは、理事長が持つ情報網が学校全体に敷かれているということなのだろう。
ウタが目指すのは魔法具を作る技術職だ。ここで理事長がウタは違反したと公の場で口にすれば、ウタは信用を失い、その職に就くことが難しくなってしまう。それだけはどうしても避けたかった。
「っ、性格の悪い」
「元からこういう性分ですので、諦めてください。どうしますか? アマネさん」
いかにも決定権はアマネにあるかのように尋ねてくるが、選択肢は一つしかない。
毎回後手に回ってしまう自身の器量のなさに、怒りがこみあげてくる。
「わかったわ、取引しましょう。きちんと取引内容を違えないように、書面にしてくれるわよね?」
「もちろんです」
理事長は予め作成していたのか、執務机の上から対となる二枚の紙をとってアマネに渡した。そこには先程理事長が口にした内容全てが記入されており、サインもきちんと書かれていた。残るはアマネのサインだけなのだろう。
その内容に変なところがないか、じっくりと確認をし執務机に置いてあった羽根ペンを勝手に拝借して、立ちながらサインを書きなぐった。二枚のうち一枚を理事長に渡し、もう一枚を手にしたまま扉の方へ歩みを進める。
クオンがグリフォン姿からヒヨコの姿に戻り、アマネの肩に乗ったことを確認すると、扉を開けて廊下に出た。
扉を閉める際に、背後にいる理事長から声をかけられる。
「今回の件で休んだ分は、私の方で上手いことやっておきますよ」
「……それくらい当たり前でしょう」
今回の取引でアマネは随分と割に合わない条件をのんだのだ。それくらいしてくれなくては困る。
ナギナミでの戦闘や理事長との対決。疲弊しきったアマネは寮の自室に戻ってくるなり、ベッドに倒れ込んだ。柔らかなシーツに顔をうずめ、大きなため息をつく。そんなアマネを労わるかのように、クオンが金色の羽毛に包まれた手でぽんぽんと頭を撫でてくれた。
「あー、もう本当に嫌だ」
「それはオレっちも同感だ。けどよ、アマネの立ち回りが悪かったわけじゃないことだけは、きちんと理解しろよ? アマネはなんでも全部自分のせいだって思い込むくせがある」
「……うん」
自身のせいにする前にクオンに釘を刺されて、アマネのことを誰よりも理解していることに、心のどこかが温かくなるのを感じる。
ヒイロと仮契約するまでも色々なことがあったけれど、それに勝るほどアイカ奪還の件では色々なことがあった。頭の中で回想しているうちに、たくさんの事が起こりすぎてごちゃごちゃになっていることに気づく。身体は休みたいとずっと前から訴えてきているが、休ませる前に考えなければいけないことが多すぎた。
「……眠い」
一つ一つのことに向き合わなくていけないことは十分分かっている。けれどそのことを考えているうちに、ベッドの上で横になっているせいか瞼が重たくなってきた。ぼそりとそのことを口に出せば、その眠りを助長するかのように、クオンがアマネの頬近くに腰を降ろした。その柔らかな羽毛が頬にあたり、くすぐったさと気持ちよさを感じる。
「今日のところはもう寝ようぜ? 坊主たちに休めって言ってただろ? だったらアマネだって休まなくっちゃな。休んだ方が頭の回転もよくなるに決まってる。考えるのはそれからでも遅くないさ」
「そう、かな」
「オレっちが言うんだ。間違いない!!」
クオンが口にすることは全て正しい、というガキ大将みたいな言葉にくすりと笑ってしまう。でもクオンがそう言うと、なぜかそんな気もしてくるから不思議だ。気を許している証拠なのだろう。
「そうだね……」
クオンの言う通り、アマネはゆっくりと瞼をおろした。




