第五十四話
アマネも自身がおこした強風に目を瞑ってしまう。それが止むのを待ち、やがて部屋がしんと静まった頃にそっと瞼を持ち上げる。
天井が綺麗さっぱり無くなり、窓側は壁はおろか床すらなかった。ヒイロたちはドアがある方で戦っていたので、被害はまだ少なかった方なのだろう。クオンがヒイロとラキを庇うように覆いかぶさっていた。対峙していたスズはなぜか被害の大きいフヨウの近くで倒れていた。フヨウの危機を察して、フヨウの元に駆け寄ったのだろうか。大きな角は両方とも折れてなくなり、大きな体躯は無数の傷が出来ていた。スズを中心として大きな血だまりができている。これではもうまともに立つことすら難しいだろう。
アイカはクーヘキのおかげで難を逃れ、最後に見たときと変わらず椅子に座っていた。ただクーヘキも全てを防ぐことはできず、アイカのいつも綺麗に巻かれている髪の毛はぐしゃぐしゃに乱れ、服や髪はぬれぼそっていた。意識があったら怒られそうだなと思っていたら、アイカの身体がピクリと動きを見せた。
「アイ、は……」
「アイカ!!」
アマネの魔法で目が覚めたのか、それとも薬かなにかの効果が切れたのかは定かではないが、目が覚めたことにほっと胸を撫で下ろす。
最初は別荘の惨状や、アマネたちがいることに目を白黒させていたが、フヨウが横に倒れていることに目を見開いて驚きの表情を見せる。
「フヨウは……死んで、いるの?」
アイカが一言口にしたフヨウという名前。その名前をアイカの口から聞くことで、フウの正体をどこかのタイミングで知ってしまったのだと察した。
アイカの真横で倒れていたフヨウは微動だもしなかった。顔を強張らせながら、アイカが椅子から立ち上がり、確認しようとする。
「アイカ、ちょっと待って!!」
アイカがフヨウの肩に手をかけようとしたところで、フヨウの異変に気づいたアマネは咄嗟にストップの声をかけた。肩に触れる数ミリ手前でアイカの手は止まり、どうしたのだとアマネに瞳で訴えてきた。
「……あらぁ、気づかれちゃったのねぇ」
全く動きを見せなかったフヨウが、倒れた状態のまま静かな声色で話しかけてきた。アイカはじりじりと後退して、フヨウから距離をとっていた。アマネはフヨウを睨みつけながら、今後の算段をとる。ウタにもらった制御装置がついていない魔法具は全て使い切ってしまった。現在手元に残っているのは、制御装置のついた一対のピアスの魔法具だけだ。魔力はまだ五分の一程度残っているのが、あまりにも心もとない戦力である。
あれだけの威力の魔法を当てれば、少なからず意識は刈り取れると思っていた。間違った計算をしてしまった過去の自分に悪態をつく。
「……まだ生きていたのね。結構な威力だと思ったのだけど」
「ええ、想像以上だったわぁ。だって、私ここから起き上がることができないんだもの。あなたたちに向けた魔法を防御に回して、尚且つスズが身を盾にして守ってくれていなかったら、今頃身体がばらばらになっていたでしょうねぇ」
本当に動けないのか、喋り方は流暢なくせに起き上がる気配すらない。魔力も空に近いのか、ミツバの方を一瞥すれば触手は綺麗さっぱり消えてなくなっていた。ミツバは意識を失っていたが、ヨウが顔の近くでミツバの様子を確かめている。ヨウがあれだけ動けているということは、ミツバも無事なのだろう。
(フヨウが言っていることが本当だとしたら……いえ、本当でなくても今が倒すチャンス)
スズは動けないだろうし、フヨウは隙だらけだ。全員無事に学校へ戻るには今しかない。制御装置つきの魔法具でもどうにかなるだろう。胸元にしまっていた一対のピアスを両耳につけ、なるべく殺傷能力の高い魔法を選ぶ。
「氷球よ、息づくものを速やかに凍らし破壊せよ――コオ」
「待ってちょうだい」
リダマ、その残り三文字が言えず、魔法は消え去ってしまった。それもこれも、アイカがいつの間にか手にしていた己の杖をアマネに向けていたからだ。
「……なんのつもり?」
「フヨウはアイがこの手でやりますわ。……あなたの手を汚させるわけにはいかないもの」
「人を殺したことがないでしょう? そんな覚悟が今のあなたにあるというの?」
アマネの鋭い返しに、うっとアイカが言葉をつまらせる。けれど少ししてぼそりと口にしたのは、不安定な覚悟だった。
「もちろんありませんわ。……けれどフヨウは、フウは敵だったといえど、アイの友人でしたから」
伏目がちに利き手に持った杖を見ていた。その杖をもう片方の手で優しく撫で、しばらくしてフヨウに向ける。その動作はやけに遅く、杖がとても重そうに見えた。その間、フヨウは逃げることなく、その場で静かに笑っていた。
「アイカさんにこんなことしたのに、私をまだ友人と言ってくれるのねぇ」
言葉を発することで体力を削ったのか、先程よりもどこか弱弱しく感じる。
「ええ。どんなことをされても、友人であったことには変わりないわ。それにあなたがアイの友人でいてくれた間、アイのために行動してくれたことが全て嘘なわけではないのでしょう?」
アイカの言葉は真っ直ぐで、それを受け止めたフヨウは間を空けてまた笑い出した。
「そうやってすぐに人を信じてしまうから、私みたいな人に捕まってしまうのよぉ。……本当にお節介な人」
「なんとでもいいないさい」
アイカは悲しみや怒り、様々な感情を堪えるように、ゆっくりと目を閉じた。そうしてそのまま、詠唱のために口を開く。
「……火球よ、邪を燃やすつぶてと成せ――タマヒ」
火球が杖の先端にぼっと小さく音を立てて現れる。アイカが一番得意とする火魔法だ。杖を少しでも動かせば、すぐにフヨウはタマヒに包まれ燃えることになるだろう。
「フヨウ……いえ、フウ。アイはね、あなたと過ごした時間、結構楽しかったのよ?」
瞼をゆっくりと上げたアイカの赤の瞳は潤み切っていた。ずっと微動だにしなかったフヨウは、そんなアイカの瞳を見て、初めて顔を歪めた。そして瞳からうっすらと涙を流した。
「……私も楽しかったわぁ」
夕陽と同じ色に染まった瞳が、涙を流すにつれて赤へ変化していく。それと同時にスズの禍々しかった巨体も元の大きさに戻り、ただの優しそうな牛の使い魔に戻っていった。
フヨウからも歪な禍々しさが抜け、学校で生活していたフウの雰囲気をまとっていた。
「アイカさん、それにみんなも。こんなに迷惑をかけてしまってごめんなさい」
「……フウ」
その言葉に嘘偽りではなく、心底申し訳ないという気持ちが伝わってきた。涙を流し謝る姿は、先程まで戦ってきた敵のフヨウとはまるきり別人のようだ。
(どういうこと……?)
頭の中が混乱し思わず眉が眉間に寄ってしまう。
そんなアマネとは裏腹に、アイカは杖を持っていないもう片方の手でフヨウの涙を拭った。
「こんなこと今更言っても仕方がないことなのかもしれないけれど、私こんなことしたくなかったの。友人と言ってくれたアイカさんにこんなことしたくなかったの」
「では、どうしてこんなことを……?」
アイカはその理由をフヨウに尋ねた。フヨウは聞かれると思っていたのか、正直に理由を打ち明けてくれた。
「私ね、一度白の魔女に負けているの。その時に私の騎士、ミカゼは死んでしまったわぁ。私やスズも殺されると思っていた。けれど白の魔女は私に魔法をかけたの。白の魔女の配下になる魔法を」
フヨウによると、その魔法が全ての事の発端らしい。白の魔女は強大な魔力を保有しており、その魔力を分け与える魔法によって、その魔女の寿命や意思を操れるという恐ろしい力の持ち主であることが判明した。魔女が魔女へ魔力を分け与えるなんて信じがたい話だが、フヨウの言葉に嘘偽りはなさそうに見えた。それにフヨウが操られている戦闘時に言っていたことを思い出す。
――七つの大罪の魔女はね、白の魔女から特別な魔力を分け与えられているのよぉ。その魔力はね、逢魔時から使うことができるの
その言葉を証明するように逢魔時からフヨウの瞳は夕陽色へと色彩を変化させた。
「白の魔女はネズミと呼ばれる下級魔女や騎士を操る他、七つの大罪という特別に魔力を分け与えた魔女がいる。それが私なのよ。おそらく私の幻覚魔法が目をつけられてしまったのねぇ」
幻覚魔法の使い手はそこまで多いわけではないが、珍しいわけでもない。
正式に魔女と認められるためには、自分だけの特化した魔法が必要になる。それは学校で習う火魔法や水魔法、土魔法、風魔法の四大基礎魔法でも可能だが、魔女のほとんどが使用できる魔法のため、クレナイのように周囲を圧倒させる威力を持ち合わせていなければ魔女になることはできない。
だから必然的に魔女は自身の魔力でなにができるのかを見極める必要がある。その段階で幻覚魔法が使えるのだと気づき、極めていく魔女は少なくない。しかしフヨウのように、あれほどリアルでたくさんの幻覚を創り出せる魔女は中々いないだろう。だからこそ白の魔女に目をつけられたのかもしれない。
「アマネさん、ありがとう」
「え……?」
ずっとアイカに向けられていた赤の瞳が、いつの間にかアマネに向けられていた。その瞳はとても穏やかで、どこかほっとした色を宿していた。
「白の魔女に魔力を強制的に分け与えられてから、私は私の意思を保てなかった。こんなことしたくないと思っていても、身体が勝手に行動してしまうことや口にしてしまうことは幾度もあったわぁ。だから人を傷つけるくらいなら死にたいと思っても、死ねなかった。けれどアマネさんと戦って、白の魔女の魔力を使い切ったことでこうして自我を取り戻すことができた。……もう人を傷つけることなく、ようやくあの人の元へ行くことができるの」
「フヨウ……」
フヨウはアマネの瞳の奥を見つめながら、他の誰かを思って呟いていた。あの人、とはもしかしたら、白の魔女に殺された騎士、ミカゼのことなのかもしれない。その呟きにはアマネに計り知れないほどの愛情が含まれていた。
「アイカさん、その魔法を私にかけてくれないかしらぁ? 今はアマネさんのおかげで自我を保てているけれど、いつ自我が無くなってしまうのか私では分からないの。もうあなたたちを傷つけたくはないから、お願い」
「アイは、アイ、は…………」
フヨウの話を聞いて決心が揺らぎかけているのだろう。無理もない。アイカはまだ十五歳の女の子なのだから。
フヨウはそんなアイカに仕方ないなぁという苦笑をしながらも、動かない身体を懸命に動かして、杖を握りしめる手の上に自身の手を重ねた。
「ミツバに伝えてくれないかしらぁ? 学校生活は短かったけれど、三人でいられてとても楽しかったと。そしてアイカさん、あなたに会えて本当によかったわぁ」
フヨウは杖の先端を自身の胸部へ強引に押し付けた。タマヒはあっという間にフヨウの身体を包み込んだ。
「フウ、フウ!!」
唐突なフヨウの行動を避けることができず、タマヒを放ってしまったアイカは、フヨウの火を消そうとその身体に縋りつこうとした。
「アマネ、離して! 離しなさい!!」
涙を流しながら、アマネを押しのけようとするアイカを、必死にその場に押しとどめる。
「嫌よ! 今ここでアイカを離したら、絶対にフヨウは悲しい思いをするもの!!」
アイカの気持ちは痛いほどわかる。けれどここでアイカを離してしまったら、アイカが後悔するのも、フヨウがまた自身の意思関係なく人を傷つけてしまうのもわかっていた。だから離すことはできない。
「フウっ!!」
「アイカさん、私のために涙を流してくれてありがとう。本当に大好きよぉ」
フヨウは燃え盛る炎の中、心からの笑顔を向ける。そんなフヨウの元に、茶色の毛並みをした牛の使い魔、スズが重たい身体を引きずりながらよたよたと歩いてきた。アマネたちが話している間に目を覚ましたのだろう。
「フヨウ、フヨウ」
まるで鈴が転がるような可愛らしい声で、炎に包まれたフヨウを母親を慕う子供のように呼びかける。そして自身の身体が炎に包まれるのも構わずに、フヨウの隣に寄り添った。
「スズ、いつも苦労をかけてごめんなさい」
「いいの。僕はいつもフヨウと一緒。だって僕はフヨウの使い魔だもん。でもね、ちょっと疲れちゃったの」
「そうね。スズ、一緒に眠りましょうか」
「うん。フヨウと久しぶりに一緒に寝れて、僕嬉しいや。……おやすみ、フヨウ」
「……おやすみなさい、スズ」
フヨウとスズは炎の中、ゆっくりと瞼をおろした。それを境に炎は一段と威力を上げ、フヨウとスズを永久の眠りへと誘った。




