第五十二話
――時を少しさかのぼること数十分前。
ヒイロたちへと襲いかかるフヨウの使い魔スズに対抗できるのは、素晴らしい強度を誇るアマネの使い魔クオンとその使い手であるヒイロしかいない。
「クオン、ヒイロっ!」
「分かってる!!」
《任せとけ! アマネはボブのやつを頼んだぜ!!》
アマネに名前を呼ばれる前に、右足を前に出した。
ヒイロは身体全体に強化魔法をかけると、先制攻撃を放った。
ガキンと重たい音とともに、尋常ではない重さが腕にのしかかってきた。ヒイロの攻撃をスズはその大きな角で簡単に受け止め、反撃してきたのだ。もしこれがただの大剣だったら、今頃は簡単に折られて、ヒイロの身体は宙を舞っているころだろう。そんな自身の姿が簡単に想像できて、乾いた笑いしか出てこない。
負けじとヒイロもその場で踏ん張ってみせるが、やはり体重の面ではスズに分がある上、強化魔法をかけていても腕への負担が大きい。おそらくそう長くは持たないはずだ。だからやられる前になにか打開策を打たなければならない。
アマネがどうにかヒイロへフォローをしてくれようとしているが、アマネにはフヨウという敵がいる。そのフォローはないものだと考えた方がよさそうだ。それに使い魔一匹くらいアマネの力を借りなくても、どうにかしたいと思ってしまう。余計な足は引っ張りたくない。
再度足と腕、手に強化魔法をかけ、スズの攻撃に耐える。先程まではじりじりと後退していたが、強化魔法をかけることでどうにかこれ以上の後退は防げたようだ。しかし強化魔法を何重にもかけることはできない。強化魔法が発動している最中はずっと魔力を消耗し続ける。魔女が行使する魔法よりは魔力を少なく行使できるらしいが、それでもヒイロの魔力では現在の二重にかかっている状態で持って三十分といったところだろう。これ以上かければ十分に満たない時間になってしまう。それだけは避けたかった。
しかし現在均衡を保てているとはいえ、防御に徹している状態に過ぎない。スズに勝つには、ヒイロが攻撃に転じなければならない。最悪クオンが武器化を解いて、使い魔同士の戦いになることも考えたが、それではヒイロは武器を失って足手まといになるだけだ。今でも十分足手まといであることを承知している。だからこそ、これ以上足手まといにはなりたくなかった。その気持ちがクオンにも伝わっているのか、決してその提案はしてこなかった。変わりにクオンは的確なアドバイスをくれた。
《右足に重心を傾けろ》
《弱気になるな》
《目の前の敵だけに集中しろ》
《腕の筋肉を変な使い方するな。もっと肩の力を抜け》
なぜクオンがこれだけのアドバイスをできるのかは分からない。けれどこのアドバイスがなかったら、とっくにヒイロはやられてしまっていただろう。
「クオン、悪いな」
《謝るくらいなら、強くなれ。じゃないとオレっちは、お前がアマネのパートナーだって認めない》
「そう、だな」
《それに余計な事を口にするな。体力が余計に減るだけだ。減らす体力と魔力は最小限にしろ》
ここで声を出せば、またクオンから説教がくるだろう。ヒイロは頭を軽く下げ、スズを睨んだ。
その赤の瞳は濁っていて、悲しそうな雰囲気をまとっていた。殺気を向けてきているのに、なぜそんな瞳をするのだろうか。そんなことを考えながら睨んでいると、その瞳の視線がふいにヒイロからその背後へ移った。
「っはあああ!!」
そして移ったと同時に、背後から気合のこもった声が近づいてくるのがわかった。
ヒイロが大剣で鍔ぜりあっている角とは違うもう片方の角を、両手に持つ双剣で攻撃していた。双剣をこの場で持つ者は一人しかいない。
「援護するさね!」
「助かる」
頼もしい味方に、短く礼を告げる。
ラキの攻撃のおかげで、その攻撃を受けきる準備ができていなかったスズは、わずかながらに後退をした。その隙に鍔ぜりあいを一旦やめ、スズとの距離をあける。
「あの角はやっかいさ。二人でかく乱させて、倒すさね」
「ああ、その方がよさそうだ」
互いに目で合図を出し、同時にスズの元へ走り出した。初めての共闘にわずかな興奮を覚えながらも、手応えを感じる。
ラキがスズの視線を奪っているうちに、胴体を大剣で切ったり、ラキへの攻撃を防いだり。もちろんその逆も然りだ。ぎくしゃくするところもあるにはあったが、そこはクオンがフォローをして、いい共闘になりつつあった。
かすり傷程度ではあるものの、攻撃が一発、また一発と決まるごとに、士気は高まっていく。スズの方は力は有り余っているというのに、ヒイロたちへ当てることのできない悔しさからか、雄たけびを上げながら怒り狂っていた。
《怒り狂ってるときはチャンスだ。物事を冷静に見れないうちに、攻撃をどんどん叩き込め!》
「もとより、そのつもりだよ! はああああっ!!」
渾身の一撃を、スズの頭をめがけて振り下ろす。
その一撃は見事に決まるものの、硬い皮膚が邪魔をして、僅かに肉がえぐれて血を流させるくらいで終わってしまった。
「嫌に、なるくらいの、硬ささね!」
双剣を舞うように振るいながら、その傷口を視認してラキが苦虫を噛み潰したような声を出した。
「本当にな。けどこのままいけば、倒せない相手じゃ……ない!!」
ラキの意見にはヒイロも同意だった。
「そう、さねっっ!!」
僅かながらとはいえ、スズは傷を負っていっている。致命傷にはならずとも、大量の血を全身から流せばいくら使い魔とはいえ、無事ではすまないだろう。そう自身を鼓舞して、スズを見据える。
そして次の攻撃に移ろうと態勢を低くしたとき、スズの瞳の色が橙へと変化しているのに気がついた。最初は外から入る夕陽の光のせいかと思ったが、スズはちょうど影になる部分に立っていて、夕陽の光に照らされてはいない。ならば最初から橙なのか、と考えたりもしたが、それも違う。幾度もあの濁った赤の瞳と対峙してきたのだ。見間違えるはずがない。
嫌な予感がした。それはラキも同じなのか、攻撃をやめて、ヒイロと同様にスズから離れた位置で武器を構えていた。
スズの瞳がさらに濁っていく。まるで闇に落ちていくような、そんな濁り方だった。そこには最初に感じた悲しいという感情が混ざっている気がした。けれどすぐに殺気に消されて、それはすぐに消えた。同時にスズの身体がみしみしと音を立て、みるみるうちに膨張していく。
二倍ほどに膨れ上がったスズは耳をつんざくような雄たけびをあげ、ヒイロたちへ突進してきた。それを避けようとするが先程とは段違いのスピードにクオンを構えて、衝撃を和らげることしかできなかった。
鈍い痛みが全身に広がる。地面についていた足は、重力に逆らって、宙を舞った。
投げ出されたときに手放してしまったのか、持っていたはずの大剣の感覚がない。アマネの悲愴な叫び声が僅かに耳に届く。大丈夫だと伝えたいのに、痛みで声すら出なかった。
手放しそうな意識を必死に繋ぎ止め、次は重力に従って地面へと落ちていく身体の衝撃に身構える。しかしその衝撃はいつまでたってもやってこなかった。変わりに聞こえてきたのは、なにか重たいものが壁に思い切りぶつかる音や崩れる音。そして肌へ伝わってきたのは、優しい羽毛だった。




