第四十五話
歩き始めて三十分ほど、といったところだろうか。ようやく男性が教えてくれたアイカがいる別荘の屋根の一部が見えてきた。今のところネズミの襲撃はないが、別荘に近づくにつれて、だんだんと良くない気配が大きくなってきている。空気はさらにどんよりとしていて、天気は変わらないはずなのに、どこか薄暗く感じる。それをヒイロたちも肌で感じ取っているのだろう。一瞥すれば、誰もが警戒を顕わにしていた。
しかしネズミが現れることはなく、別荘の門前までたどり着いてしまう。
「なにか変ね……」
これほどにまでネズミの気配があるというのに、襲ってこないことはありえるのだろうか。そう疑問に思ったのはアマネだけではなかったようで、それぞれが同意するように頷いていた。
「だよな。まるで自分たちの気配で不安を煽っているよな」
「ええ。もしくは――」
――嘲笑って誘っているのか。
どちらにせよ、アマネたちを侮ってることには違いない。
「だったら、好都合」
侮っているなら、もっと侮ればいい。
嘲笑っているなら、もっと嘲笑えばいい。
そうして油断してくれている方が、アマネたちの勝率が高くなるのだから。
王都の屋敷とは違って、門番はいなかった。おそらくこれもネズミの仕業なのだろう。生きていてほしいと願うが、その確率は限りなく低い。けれど顔も知らない赤の他人に、気をかけている余裕はない。悲しむのは、全てが終わってからでいい。
アマネは門に手をかけた。
「準備はいい?」
「ああ、開けてくれ」
皆を代表して、ヒイロが頷いた。
アマネの手によって、門が重い音を立てながら開く。
門が開くとともにさらに警戒を強めるが、ネズミは襲ってこなかった。それに油断したのか、ミツバがほっと息をついたのが後ろから聞こえる。
元からネズミはそれを狙っていたのだろう。土を蹴る音とともに、アマネたちの後ろから複数のネズミが現れた。
「ミツバ!!」
気を抜くのは命取りだ。しかしミツバはまだ学生。気を抜くなという方が無理なのかもしれない。咄嗟にミツバの名前を叫び、ミツバに危険を知らせる。しかし初めての戦闘、殺気にやられてしまったのか、ミツバは最初の態勢から動けないでいた。ネズミの一人、元騎士であろう他のネズミと揃いのフードを被った男性が、手にしていた剣をミツバへと振り下ろす。その剣が振り下ろされる前に、視界の端でミツバの近くにいたラキが動いた。ラキの行動を信じ、アマネはその剣を防ぐ魔法ではなく、攻撃へと移る。
キインと金属同士がぶつかり合う派手な音が鳴り、ラキの助けが間に合ったことをアマネに知らせてくる。それに小さく口角を上げ、すばやく魔力を練り上げる。
(カザタマ!)
制御装置がついていないせいか、いつもよりも素早く簡単に魔法を形成することができた。ただ制御装置無しの魔法具を前世ぶりに使用したせいで、過多な魔力を練り込んでしまい、早くも魔法具の一つである指輪に亀裂を走らせてしまった。しまった、と反省しながらも、そんな些細なことで攻撃の手を緩めることはできない。もらった制御装置無しの魔法具は全部で七つ。慎重に、そして大事に使おうと心の中で決める。
カザタマを周囲の風を器用に操りながら、遠慮なくネズミの腹に叩きつけた。
「ぐはっ」
ラキと鍔迫り合っていたネズミは、ふいうちの攻撃に耐えきれず、くの字の状態で数メートル吹き飛ばされる。そして地面へ投げ出され、砂埃をまき散らしながら何回か回転したのち、動きがようやく止まった。
魔力を過多に加え過ぎたせいで、カザタマの威力を想像していた二倍ほどに底上げされてしまったらしい。ネズミは、そこから起き上がることはなかった。ただ微かに肩が動いていることから、意識を失っていることだけ分かった。見る限り当分意識を取り戻すことはなさそうだと判断し、他のネズミに視線を走らせた。
視認できるだけでも、七人。対するアマネたちは五人。人数で分が悪い上に戦闘経験はアマネ以外はないと思って間違いないだろう。先手必勝、攻撃は最大の防御という言葉があるように、今回の場合は魔法で攻撃していって敵の数を減らす方がよさそうだ。
「ミツバ、フウ、ぼさっとしない! 武器をきちんと構えなさい!!」
「は、はい!」
「りょ、りょーかいですぅ」
ヒイロはクオンが暴走した件で荒事に慣れていたせいか、アマネが口にする前から構えをとっていた。しかし命の危険に人生初めて経験するミツバとフウは、目前で起こることにただ茫然としていた。脳の処理速度がまだ追いついていないのだろう。授業なら待ってあげられるが、実践ではそんな時間はない。アマネはミツバとフウの名前をできるだけ大きな声で呼び、これから行うことを指示した。
アマネに名前を呼ばれてはっとしたミツバとフウは、授業で習った通りに魔法具を構える。本来であれば使い魔を呼び出して、共に戦うのが一般的であるが、ミツバとフウにはまだ契約している騎士がいない。それに使い魔との共闘も数週間前に習ったばかりだ。そんな不安定な状態で共に戦うよりも、己の魔法だけで戦った方が勝率はアップするはずだ。
「焦らなくていいから、落ち着いて。自分が出来ることを思い出しなさい!」
これは前世ではじめて実践を経験したときに、先輩魔女から言われたことだった。
どんなに焦っても、初戦なんて五十パーセントの力が出せればいい方だ。だから落ち着いて、そのパーセントを少しでも上げられるように、自分が出来ることを思い出す。前世の先輩魔女みたく、現在のアマネは頼りにできるほど強くないかもしれない。けれど、手が届く限り必ず守ってみせる。
その想いが伝わったのか、魔法具を持つ手は震えているものの、目は真っすぐ前を見据えていた。ミツバとフウの姿に安心し、アマネも敵であるネズミを見据える。
ネズミはいきなり仲間の一人が倒されたことに動揺する素振りを見せることなく、アマネたちを襲ってきた。
(フウソウ、フウバク!)
同時に二つの天空魔法を行使する。亀裂がすでに入っていた指輪は魔法を行使するために必要な魔力を受け止めきれず、パキンと小さな音を立てて砕け散った。けれどこれは予想の範囲内だ。そこからの魔法の維持はすぐに二つ目の指輪に切り替える。普通の魔女ではできない荒業だが、アマネは強引にも魔力で二つの魔法具を一時的に共鳴させ、魔法の引き継ぎをした。
魔法は無事に引き継がれ風がアマネの味方となって、周囲の状況を伝え、視覚に入る七人のネズミの身体の一部を拘束する。
「まだ隠れているネズミがいるわ! 三時の方角に一人、六時の方角に二人、十一時の方角に一人よ!!」
アマネが位置を口にした途端、隠れていたネズミが一斉に飛び出してくる。居場所を見破られ、隠れていても無駄だと判断したのだろう。
「ヒイロ、ラキ!」
「分かってる!!」
「はいさ!!」
ヒイロとラキは、アマネが名前を呼ぶよりも前に行動を起こしていた。最初からこの場にいたネズミの動きがおかしいことに気づいたのだろう。フウバクという魔法の存在、効果をあらかじめ知っていたからこその反応なのかもしれない。
互いに一番近いネズミに自身の得物で攻撃を繰り出した。しかし相手は元騎士や魔女。フウバクで身体の一部を拘束されているとはいえ、そうやすやすとやられてはくれなかった。ヒイロが攻撃を放った相手は元騎士のネズミ。剣捌きは見事なもので、左腕をフウバクで封じているにも関わらず、それを慣れた手つきで捌いていた。ラキの方も同じく封じられている片足をものともせず弾き返している。
「本当に嫌になるわね」
ヒイロやラキが弱いわけではない。けれどそれは学校内での話。ネズミや本物の騎士との力の差をまじまじと見せつけられる形となってしまった。それをヒイロとラキは現在進行形で痛感しているのだろう。悔しいという気持ちがまじまじと伝わってくる。
けれどそれは元より承知していた。そしてクオンがまだ目覚めていないせいで、アマネの力もネズミとよくて互角だということも。
初めのうちはヒイロもラキも繰り出される攻撃を、どうにか防いでいた。しかし技術面や戦闘経験では圧倒的にネズミの方が上だ。途中から徐々に押されはじめ、頬や腕に切り傷が増えてきていた。
本当はすぐにでも魔法を放って、ラキたちを援護したかったが、他のネズミがそんなことをさせてくれるはずがなかった。
ネズミは基本、元魔女と元騎士のパートナー同士で動く。だからこの場にいる元魔女のネズミが六人、元騎士のネズミ一人は最初の段階で倒したから残るは五人。この場でのネズミは全員で十一人となる。そのうち元騎士の二人をヒイロとラキが、元魔女の一人をミツバとフウが相対している。となると残り八人をアマネが相手をしなければならなくなるのだ。人数を把握した時点で元よりそのつもりだったが、フウバクを使用した時点でネズミの標的がアマネに定まったのだろう。こちらからアピールせずとも七人がアマネに攻撃を仕掛けてきていた。
(ヒイロ、ラキ、ミツバ、フウ、どうにか耐えて!!)




