第四十三話
学校の地下にある実戦室の使用者リストを職員室で見せてもらい、ヒイロの名前が書いてある部屋の元へ向かう。部屋は防音となっていて、いくつもの実戦室が全て使用中にも関わらず、廊下はしんとしていた。
目的の実戦室にたどり着くと、部屋の扉をノックする。しかし練習に集中しているせいか、中からの返事はなかった。仕方なく扉を開ければ、汗をびっしょりとかいたヒイロがすごい集中力で素振りを続けていた。部屋にアマネが入ってきたことにも、気が付いていないようだ。
ヒイロが大剣を振り下ろすたびに、風圧が部屋の中を駆け抜ける。
(前世のヒイロに本当に近づいてきたな……)
授業での試合のときは粗ばかりが目立っていたが、この数十日の間に随分な進歩を遂げている。おそらくアマネが入院しているときも、熱心にしていたから身に着いたのだろう。完璧とは言いがたいが、それでも同学年に負けることはそうそうない腕なのは確かなはずだ。
屋上での事件のことや、仮契約のことでなにか思うことがあったのかもしれない。日々成長していくヒイロから、前世にどんどん近づいていくヒイロから、いつの間にか目が離せなくなっていた。
そんな自身に自嘲しながら、空気に魔力を少しだけ混ぜて、声を乗せてヒイロの耳まで届ける。ベテラン魔女なら、誰でもできるとても便利な魔法にも満たない魔力の使い方だ。最も何十キロも遠くへ、という話なら適正が関わってくるのでまた変わってくるのだが。
「ヒイロ」
アマネの声がヒイロの耳元まで届くと、ヒイロは驚いたようにアマネの方を振り返った。
「うわっ、びっくりした。今のなんだよ」
耳元近くで話しているように聞こえたからこその反応に、くすりと笑ってしまう。
(そういえば、前世でもこんなことがあったっけ?)
よく耳元に声を飛ばしてからかったものだ。
「なんだよ」
笑ったことが気に食わなかったのか、ヒイロは眉を顰めた。
「別に。今のは空気に魔力を乗せて、耳元に届けたのよ。どうせここから呼んでも、ヒイロには届かないかなあと思って」
「ふうん、まあいいけど。それよりなんか用か?」
ヒイロは声の詳細を聞くと、興味をすぐに失った。ネタバレなんて、そんなものだ。それに、今回は前世と違ってヒイロで遊んでいる余裕はない。
アマネも笑みを消して、真剣な表情をする。
「アイカの場所が分かったわ。場所は港町ナギナミよ。最低でもここを三日留守にすることになるけれど、行けるかしら?」
「もちろん。ただ準備があるから先に行っててくれ。集合場所は?」
「校門前よ。それと武器はクオンをできれば使ってちょうだい。まだ眠ったままだけど、ただの大剣よりは丈夫だし、役に立つはずよ」
アマネはクオンをヒイロに差し出す。
「……いいのか?」
まだ眠ったままのクオンを使うことに抵抗があるのだろう。その手はなかなか柄へ伸びてこない。
「大丈夫。クオンを信じて」
絶大な信頼を置くアマネを目の前にして、ヒイロは一息吐く。そして腕を伸ばして、クオンの柄を握った。握ったことを確認して、そっと手を離せば、ヒイロがどこか感動したようにクオンを見つめる。
「あのときは気が付かなかったが、なんだこれ。重さも俺好みだし、手にもしっくりとくる。今まで使ってきた大剣とは比べものになれらねぇ」
「比べものになったら、それはそれで困るわよ。クオンはヒイロが一番使いやすい武器に変化したんだもの。クオンを舐めてもらったら困るわ」
クオンはアマネの自慢の使い魔だ。そんなクオンがそこらの大剣に劣るはずがない。
「クオンが目覚めるまでは、ただの大剣としてしか使えないけど、それでも十分でしょう?」
「ああ、十分すぎる」
ヒイロの言葉に満足し、アマネは先に校門前へと向かった。
校門前に行くと、すでにミツバたち三人がアマネたちの到着を待っていた。
「あれ、ヒイロくんは?」
「ヒイロは準備したら、すぐに来るわ。それよりもウタ、あなたは一緒に行かないの?」
ミツバとフウは大きな旅行バックを手にしていたのに対し、ウタは小さな紙袋一つしか持っていなかった。
「あー、実は授業の課題が結構出てて、今回は行けないんだ。本当にごめんね。だからせめて。これだけでも持っていって」
心底残念そうに溜息を吐き、ウタは手にもっていた紙袋をアマネに手渡す。
「開けても?」
「もちろん」
ウタに確認をとって中を覗いてみると、そこにはネックレスや、指輪、ブレスレットなどがたくさん入っていた。一目でそれが魔法具だと分かったが、不思議なことにどれも制御装置の石が付いていない。
「ウタ、これ……」
ウタが制御装置を付け忘れるなんて初歩的なミスを犯すはずがない。目を見開いて、顔を上げれば、ウタは人差し指を口元にあてていた。
「うん。アイカちゃんのお母さんなんか様子変だったし、なにかあるかもしれないと思って、念のためね。あ、でも、制御装置をつけてないのがばれたら、私退学になっちゃうから、そこは隠しておいてね?」
基本生徒が作る魔法具は、制御装置をつけて、先生に提出。それを誰に贈るのか、どこに売るのかなど明確に所在を明らかにしておかなければならない。今までアマネがもらっていた魔法具も、そのような手続きを取られていたはずだ。けれど今回は違う。おそらく無断での作製をしていたのだろう。でなければ、魔法に関する勉強が大好きな、ウタの課題が終わっていないはずがない。
「……ありがとう、ウタ」
紙袋を胸元に大事に抱いて、頭を下げる。
「そんな、頭を下げなくていいよ。私がやりたくて、やったことだから。でも、どういたしまして」
花のように笑うウタに再度礼を告げる。
正直、この贈り物がなければ、どうしようかと考えていたところだった。今アマネの手元にある魔法具は両耳につけているピアスのみ。戦闘にならなければ大丈夫だが、もし戦闘になった場合、制御装置のついたピアスだけでは心もとないからだ。
そうこう話しているうちに、ヒイロが走ってアマネたちの元までやってくる。
「あ、ヒイロ……とラキ?」
ヒイロの姿をみて、軽く手を上げようとすれば、ここにはいないはずのラキの姿があった。ラキはヒイロと同じように、普段使いには大きすぎる鞄を肩から下げている。目の前までやってきたヒイロにどういうことかと確認すれば、まさかの言葉が口から飛び出してきた。
「ああ、ラキも一緒に行くって言うから、連れてきた」
当たり前のように抜かすヒイロに、あんぐりと口を開けてしまう。
「ヒイロ、なにを勝手なこと言ってるの。遊びじゃないのよ?」
「もちろん重々承知してるさ。でももしなにかあった時、戦力は多い方がいいだろ? ラキの実力はアマネも知ってるはずだ」
「そ、れは……」
ヒイロに数日前の試合のことを持ち出され、反論できなくなる。あの試合で全力ではなかったとはいえ、アマネはヒイロに負けた。
ラキの実力はアマネも認める。クラスの中でも一、二を争うくらいは強いだろう。けれどそれは、学校のクラス内での話。現役の騎士にはまだ足元にも及ばない。
戦力を増強できることはありがたい。でもラキを危険に合わせたくない。二つの相反する気持ちがアマネの中で揺れ動く。
ちらっとラキの顔を見れば、そこには不機嫌そうな表情をしているラキがいた。
(なんで不機嫌なのについてくるのよ……)
どうしようか困り果てていると、ラキが唐突に口を開いた。
「俺も行くさね」
「……はい?」
行く。それだけの簡素な意思表示に、思わず聞き返してしまう。それが気に食わなかったのか、眉間に皺を寄せてアマネを睨んできた。
「だから、そのアイカというやつを連れ戻しにいくんだろ? 俺も行くって言ってるんさ」
「ラキの知らない人なのに?」
もしアマネだったら、見ず知らずの人を助けに行こうだなんて、すぐに思えない。危険がなければ話は別だが、今回は危険があるかもしれないのだ。
「知らない人でも関係ないさ。俺はアマネの荷物を少し持つだけだからな」
「私の……荷物?」
「そうさ。ヒイロに言われて気づいたんさ。俺は俺の理想を全てアマネにぶつけて、余計な荷物を背負わせようとしていた。だからそれをもうやめるさね。俺はアマネの力になりたいんさ。それにアマネの実力が、あんなもんじゃないことを俺は知っている。俺に本当の実力を見せてくれさね」
そう言って、頭二つ分ほど低いアマネの頭に、手の平を乗せる。
「アマネ、行かせてくれ」
「ラキ……」
その顔に、もう不機嫌さはなかった。代わりにくしゃっと顔を歪めて笑っている。どうやら先程までの不機嫌さは照れ隠しだったようだ。
ラキの覚悟はすでに決まっていたようだ。むしろ覚悟が決まっていなかったのは、アマネのほうだった。
(守る、と言ってたのは私。なのに、少し危険な橋を渡ると思ってただけで、すぐに遠ざけてた)
それによく考えてみれば、学校には理事長がいる。アマネが留守の間、ラキになにをしでかすか分かったもんじゃない。危険度はアイカを助けに行く方が圧倒的に高いが、アマネの近くにいてくれた方が、余計な心配をせずにすむ。
留守番をするウタのことも心配だが、ウタは屋上の一件で理事長を疑っている節がある。なるべく一人で行動しないように、と伝えておけば大丈夫だろう。理事長も馬鹿な人ではない。なにか事を起こす場合、必ず人目は避けるだろう。
頭に乗っかっているラキの手を両手で包み込み、それをアマネの胸元まで持ってくる。
「ラキ、あなたの力を借りてもいいかしら?」
「ああ、もちろんさ!」




