第四十一話
「はあ、気に食わねえ」
「え?」
アマネに突き付けた双剣をおろして、ぼそりとラキが呟いた。思わず呟いたラキに声を上げてしまう。ラキはなぜかアマネを睨んでいた。アマネに勝てたというのに、ちっとも嬉しそうにしていない。
「なにが気に食わねぇんだよ。お前は勝った、それじゃ駄目なのかよ」
ラキの態度が気に食わなかったのか、ヒイロが噛みつくように言葉を投げる。
「なにが、だと。そんなもん全部に決まってんさ。アマネ、なぜ本気を出さないさね。俺が弱いからさね? それとも侮っていたからさね?」
「っ……」
全力を出せないのは、クオンがいないから。
全力を出せないのは、アマネの魔力に見合った魔法具じゃないから。
そんな理由を心の中でつらつらと並べてみるが、そんなものは屁理屈でしかない。クオンやウタに失礼だ。
アマネは過信していたに過ぎない。ラキは自身よりも弱い、と。アマネの中で、どこかラキに対する侮りがあったのだろう。だから気を抜いてはならない場面で、勝ったのだと気を抜いてしまった。
現に図星を突かれて、なにも言い返せないのがその証拠だ。
そんな自身に腹が立って仕方がない。いくらなんでも調子に乗りすぎだ。傲慢すぎる。
俯いて、唇を噛みしめた。前世、今世と生きてきて、アマネはなにも変わっていない。アマネの騎士になりたいと言ってくれたラキや、前世と今世で騎士となってくれたヒイロに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
そう自己嫌悪に陥っていると、その姿をどう勘違いしたのか、ヒイロが苛立ちを隠さずにラキの名前を呼んだ。
「偉そうなこと言ってんじゃねぇよ」
今まで聞いたこともないような低い声だった。思わず俯いていた顔を上げてしまうほどに、吹雪のような冷たさを帯びる声をラキに吐きながら、ヒイロはラキの元へ歩いていく。そして互いの距離が数センチというところで、ラキの胸倉を掴みあげた。
「ちょ、ヒイロ!!」
「アマネは黙ってろ」
慌ててやめさせようとするが、ヒイロの怒りは頂点に達しており、耳も貸してくれない状態だ。対するラキもそれを辞めさせるそぶりをするどころか、ヒイロの胸倉を掴み返していた。
仕方なく、アマネは傍観することにした。もちろん荒事になった場合は全力で止めるつもりだ。そのために魔法具が壊れない範囲で、魔力を練り上げることも忘れない。
「……なんのマネさね?」
「それはこっちの台詞だっつうの。アマネと一時期一緒に暮らしてたからって、調子に乗んのもたいがいにしろ」
「はぁ?」
「アマネの今までの苦労を知らないで、そんな勝手なことを言うな。俺だってアマネの全部を知ってるわけじゃない。けどな、あいつが、アマネが一人で抱え込むには大きすぎる荷物をたくさん持ってるのは、一緒にいたら分かんだよ! 今のアマネは全力じゃないかもしれない。侮っていたかもしれない。侮っていたことは、アマネの傲慢が生み出したものだ。それは確かにアマネが悪い。でもそれ以外は、重すぎる荷物のせいだとは思わないのかよ。その荷物を一緒に持つってならないのかよ!!」
「ヒ、イロ……」
クオンが拘束魔法をかけられていた件、理事長に脅しをかけられている件。どちらもきちんとヒイロに話していない。けれど理事長の態度からして、薄々は気づいているに違いない。それでもアマネを問いただしたりしなかったのは、ヒイロなりの優しさだったのだろう。
ヒイロの言葉に涙腺が思わず緩んでしまう。震える声でヒイロの名前を呼べば、ラキから視線を外して、真っすぐにアマネの方を見る。その瞳は太陽のように、温かかった。穏やかな声音で語りかけてくる。
「アマネはさ、人に頼るのが苦手なんだよな。すぐ一人でどうにかしようとする。でもさ、そんなアマネだからこそ、助けたいと手を指し伸ばす人がいることを忘れないでくれ。その手をどうか取ってほしい」
どうしてヒイロはこんなにもアマネに優しいのだろう。そんなにも優しくされたら、手を指し伸ばされたら、取ってしまうではないか。抱えていること全て、打ち明けたくなってしまうではないか。
ヒイロは再びラキに視線を戻す。
「お前もさ、アマネに手を差し伸ばしてみろよ。いつまでもアマネが手を差し出してくれるって甘えてんじゃねえよ」
アマネに語りかけた声と違って、ずいぶんと厳しめの声音だった、けれど怒鳴っていたときのような苛烈さはなく、代わりにそこには芯がしっかりと通ったものがあった。
どちらからともなく、互いの胸倉を離す。
ラキはヒイロの言葉をどう受け止めたのか、ヒイロの胸倉を掴んでいた手と反対の手にずっと持っていた双剣をずっと見つめている。そして長い溜息をつくと、アマネに背を向けて部屋の外へ通じる扉に向かって歩きはじめた。
「……聞かなくていいの?」
思わずそう声をかけてしまう。
呼び止めるアマネに、ラキは足を止めた。けれど決してアマネの方を見ようとはしなかった。
「今は……まだいいさね」
そう一言だけ告げると、ラキは部屋をあとにした。その後ろ姿を、今度は黙って見送った。二人きりになった静かな部屋で、ヒイロに背を向けたまま話しかける。
「今回は私が悪いの。最後の最後で気を抜いたのは、ラキを心の底では侮っていたからなの」
独白に近いアマネに、ヒイロはただ短く頷く。
「でもね、全力を出せないのは侮っていたからじゃないの」
「わかってる」
「ヒイロ、私は――」
ヒイロは差し伸ばした手を取ってほしい、と言ってくれた。その手はとても甘い誘惑で、気を抜いたらすぐに取ってしまいそうになる。現に今も、喉のすぐ近くまで出かかっている。
このまま甘えてしまっていいのだろうか。理事長やクオンの暴走の件を口にしてしまってもいいのだろうか。
手を取ってしまえば、もう戻れない。確実にヒイロを巻き込んでしまう。
喉が一瞬にしてカラカラに乾く。
「わ、たし、は……」
「いいよ、無理しなくても」
そんなアマネの背中をみて、ヒイロは苦笑交じりに頭を撫でた。その撫で方は男らしく雑な癖に、ぽんぽんと頭に触れる度に、ヒイロの優しい感情が伝わってくる。
「焦らなくていい。ゆっくり一歩ずつでいいから。アマネの心が大丈夫だってなったときに教えてくれないか?」
「――っ」
なぜこれほどにも、ヒイロはアマネに対して優しいのか。
鼻の奥がツンと痛む。
「アマネの言いたいときでいい。そのときがきたら、俺に教えてくれよ。荷物一緒に背わせてくれな?」
涙腺は決壊間近だった。それを意地でも食い止めようと、歯を食いしばって、天井を見上げる。
(ああ、私はやっぱり……ヒイロが好きだ)
鼓動を刻む音がいつもより少しだけ早くなる。その鼓動が今はとても心地よかった。
試合が終わったあと、ラキは自室に戻って自己嫌悪に陥っていた。
「本当、なんだよ、俺は馬鹿か……」
双剣を定位置に置いて、ベッドに倒れ込む。
ヒイロに言われるまで、自身の馬鹿さに気付きもしなかった。
アマネのいる学校に転校したのは、火事の中、ラキを救ってくれたアマネを守りたいから。自身のせいで成長が止まってしまったアマネの力に、少しでもなりたいから。
だというのに転校する数日前、劣等感を抱いたクラスメイトに友人を傷つけられ、アマネが使い魔を暴走させたという噂を耳にした。あのアマネがそんなことするはずない。だってアマネは、ラキを助けてくれたヒーローなのだから。そう自身の中で思い込んでいたラキは、教室内でアマネを視界に入れた途端問いただしていた。
本当は心の奥底で分かっていた。
アマネはラキと同じ子供で、決して偉大な人物ではない。少し力が強いだけで、普通の女の子と変わらないのだと。
けれどその真実を信じようとしないラキは、その真実に蓋をして、自身の理想をアマネにぶつけた。試合だってそうだ。勝ったというのに、気に食わなかったのは本当。でも勝てたことに嬉しさが全くなかったわけじゃない。
アマネが実力を出せていないのは、瞳の色からしてなにか事情があるのだと察していた。なのにその事情を見てみないふりをしたのは、紛れもないラキ自身だ。
「くそっ」
拳を布団に叩きつける。
「俺はアマネに、理想という名の荷物を背負わせてだけだったんさ……!」
これでは子供の我がままとなにも変わらないではないか。
アマネから手を差し伸ばしてもらうことを当然と思っていた。けれどそうではないのだ。手を差し伸べることだって大切だと、ヒイロに言われてはじめて気が付いた。
「あーもう。本当に俺は馬鹿さね」
守りたい、力になりたい。そう思っていた人物に、余計な荷物を背負わせてどうするのだ。これではアマネの騎士になりたい、と思う以前の問題だ。
「アマネ、ごめん。ごめんな」
ラキは瞼の裏に浮かぶ、アマネに謝り続けた。




