第四話
ろくに周囲も見ずに飛び出してきたが、難なく教室まで戻ってくることができた。引き戸の前に立つと、中からなにかを説明しているキシナの声が聞こえる。さっさと入ればいいのに、飛び出してきたことと、授業を中断させてしまうという罪悪感から引き戸に手をかけられない。
やはり次の授業から出ればよかったと背を向けた瞬間、勢いよく引き戸が開かれた。
「アマネくん、心配しましたよ! みんな捜しに行ったけど見つからなかったと言っていて。迷子になったんじゃないかと」
振り返りざまに両手を握られ、困惑する。教室内をちらりと見やると案の定注目されていた。屋上でのことがすでに広まっているのか、何人か眉をひそめて隣の席どうしでひそひそと話している。
「迷子じゃなくても、私の授業に出るのが嫌だったらどう」
「そんなことありません。飛び出していってすみませんでした。もう、大丈夫ですから」
いつの間にか涙目になっているキシナに微苦笑してみせる。
「そうですか、よかった。それでは途中からですが授業に出て……あ、アマネくんの席は一番後ろの角ですので」
言われて顔を向けると、確かに一番後ろの窓際の席がひとつあいていた。ヒイロの席とも近い。彼はこちらを見ることなく、ノートにペンを走らせている。
(……うん、大丈夫。落ち着いてる)
もう見ただけで泣きそうになる心配はなくなった。少しずつ、慣れていける。
あてがわれた席に向かうと、飛び出していったときに放置してしまっていたカバンが机上に置かれていた。先生が置いてくれたのだろうかと思いつつ、イスに腰かける。
転入初日から問題を起こしたこともあり、クラスの居心地が良いとは言えない。しかしそれはアマネがしでかしてしまったこと。それにクラスメイトと仲良しこよしをするつもりは元々ない。
幾つもの視線を無視してカバンから教科書と筆記具を出していると、その中でも特に鋭い視線があることに気がついた。一種の殺気のようなものを感じて顔を上げると、斜め前の席の金髪の女子生徒が視界に入った。周囲を気にすることなく視線を送ってくる女子生徒のつりあがった眉と朱色の瞳は明白な怒りをにじませている。
先程席に向かう中、さりげなくクラスメイトを見やったが、ほとんどが茶色の瞳で、赤系はヒイロと金髪の女子生徒だけのようだった。
(確か屋上でも見かけた気がする)
今のアマネの瞳は赤茶で、女子生徒からしたら他のクラスメイトと同じ格下。しかもふらっとやってきた転入生をヒイロが気にかけていた、というのが気に食わなかったのだろう。おまけに屋上で冷たくあしらったのを目撃している。
(完全に嫌われてるなぁ)
前世にもいたが、ああいうタイプはことあるごとにつっかかってくる可能性が高い。休み時間になったらさっさと教室を出て、予鈴が鳴ったら戻るようにした方がよさそうだ。
アマネが視線に気づいて見つめ返しても相手は睨むことをやめなかったが、キシナの授業を再開しますよという言葉に促されてようやく前を向いた。
「次の授業に進む前にもう一度、先日の授業の復習をしましょう。魔女という国家資格が生まれるきっかけとなった、ソウランの悲劇。何年前にあったことなのか、分かる人?」
カタッカタンと音が反響する。はっと手元を見ると、持っていたはずのペンが床に転がっていた。目を丸くするキシナを筆頭に、また注目が集まる。
「アマネくん? どうしました」
「手が、滑っただけです。続けてください」
身をかがめて手を伸ばす。かすかに震える指でなんとか拾い上げたアマネは舌打ちしたい衝動に駆られるも、なんとか抑え込んでそっと息を吐いた。
「では、そのままアマネくんに答えてもらいましょうか。何年前に起きたことでしょう」
「…………三百十五年前」
「大正解です。近年習うのは約三百年前とだいたいの年数なのですが、細かい数字までよくご存知ですね」
当事者ですからと言うわけにもいかず、あいまいな笑みを浮かべる。視線がはずれたところで机に突っ伏そうかと思ったが、また心配して声をかけられると面倒なので、うつむくまでに留めた。
(なんてタイムリーな授業内容なのよ!)
ソウランの悲劇はよくも悪くも、魔女や騎士の存在が世間に広まった事件。目指す者にとって重要な歴史だ。だが、小学校に入って一番最初に教わることをなぜここでも繰り返すのか。
「この事件の内容はどういったものでしたでしょうか、アイカくん」
「はい。白い魔女が放った使い魔が各地に悪意をばら撒き、混乱と無秩序を引き起こしたのですわ」
魔女という存在がまだ少なく、国家資格なんてものもない。ところによっては忌み嫌われ、攻撃されることもあった時代。
幸せなことに、前世で生まれ育った村では魔女と人間は平等で、助け合って生きていた。魔女は生まれた子供が恵まれるように名前をつけたり、病気で苦しむ者が出れば薬を調合したりして助け、村人はお礼に食べ物などを贈り、互いに尊敬しあっていた。安住の地を求めてやってくる魔女も多く、毎日が明るくにぎやかだった。幼いころはヒイロと一緒にやんちゃして、大人によく怒られていた。
当時、口が悪く魔女仲間と衝突が絶えないアマネにも心を許した親友がいた。親友も魔女で、誰に対しても思いやりを忘れない、腰まで長い深緑の三つ編みと白いワンピースの似合う村一番の美人だった。
(歴史書を読んで仮説を立てるのが好きで運動が苦手だったから、私とは逆のタイプだったけど、なぜか気があったのよね)
史実はこう記されているが本当はこうだったのではないか、この偉人はこう思ったからこんな行動に出たのではないか。日々をなんとなく過ごしていたアマネにとって、仮説を膨らませては楽しそうに語る親友は生き生きとしていて、眩しかった。
『謎が多い魔女について知ることができたら、争いはなくなって他の人ともっと仲良くなれるはずなのよ』
たびたびそう口にしていた親友は、成人を迎えた十五歳の年に魔女について調べるため、首都ランシンへ旅立った。
気をつけてね、と寂しさを我慢しながら見送った、その三年後に悲劇は起きた。分かっていたら、泣かれようが嫌われようが、引き止めたのに。
(いや、ついていけばよかったのかな。でももう、とっくに過ぎたこと)
村の外から入ってくる不穏な事件の話が増えてきて、親友は大丈夫だろうかと心配していた。手紙を送ろうかとも思ったが、がんばっているところを邪魔したくなくてやめた。毎日首都の方角を見上げることが習慣になってきたころ、呆れたヒイロが会いに行けばいいと旅支度をして現れたおかげで、一歩踏み出すことができたのだった。
首都まで数日はかかる道を歩いていった。使い魔のクオンに乗れば早いのだが、目立つのは避けたかった。途中の村で泊まらせてもらったり野宿したりしては、はやる気持ちが朝を待ちわびた。
そんな思いを胸に抱きながら丘を登りきったとき、遠くに見える首都のあちこちで火が出ているのを見たアマネは蒼白になった。目立つことすら厭わず、クオンの力を借りて一気に首都へ飛んだ。
上空から首都を見下ろすと、入り口で首都から脱出しようとしていた人たちが巨大なクマに襲われていた。とっさに倒したアマネたちは、クマだと思っていたそれが巨大なネズミだったことに息を詰める。息絶えたそのネズミが親友の使い魔に似ていたからだ。
それからは夢中で首都中を駆け回り、親友の姿を捜した。無事でいてほしい。あれはたまたま似ていただけだと言い聞かせながら。
親友は中央の広場にいた。先端が粉々に破壊された噴水の上に立ち、髪は乱れて白いワンピースを血で汚し、ケタケタと笑う変わり果てた姿で。
アマネに気づいた親友は、記憶にあるのと変わらない笑みを浮かべ、人間を憎み、世界を恨み、忌避してきた魔女という偉大な存在を知らしめてやるのよと、宣言した。
「そうでしたね。首謀者の白い魔女は強大で、協力者もいたため苦戦を強いられたようでしたが、ソウランと呼ばれる蒼髪の魔女とそのパートナーが食い止めました。しかし残念なことに救世主となった彼女たちも力尽きてしまう、悲しい幕引きとなってしまいました」
パートナーだったヒイロを失った喪失感と、親友だった魔女の思惑に気づけなかった悔しさと、殺すしかなかったのかという罪悪感にアマネは心を押しつぶされてしまった。魔力を限界の一歩手前まで使ったこともあり、後を追うようにこの世を去った。戒めに残りの魔力全てを使い切り、前世の記憶を引き継ぐ魔法をかけて。
親友の魔女の思惑通り、魔女という存在は世界に認知され、警戒されるようになった。その直後から年々、魔女の力を秘めた子供が生まれるようになり、全体的に平均寿命も飛躍的に延び、百歳以上が当たり前になっていく。魔力が多い男性の場合は、魔女と対となる存在として騎士という呼ばれ方をするようになった。それから十数年後に国家の管理下に置こうという提案が上がり、国家資格や学校という形で監視されることになって現在に至る。
「この事件で亡くなった方々、英雄となった彼女たちを失った悲しみも込めて、この事件はソウランの悲劇と呼ばれるようになったのです」
「キーちゃん先生、ほんとこの事件好きだよね。もう何回目?」
「好きとは少し違いますね。あなたたちにも魔女や騎士の希望と危険性を……」
「ちょっと、先生のスイッチが入っちゃったじゃないの!」
熱弁をはじめるキシナに呆れるクラスメイトたち。その中でアマネは後世に伝わっている悲劇の内容を反芻し、思考にふけっていた。
(まだ、三百年と少ししか経っていない。前世では生まれ変わるのにかかる年月はその人の持つ寿命の三倍だって教わっていたけれど)
当時の瞳の色は金。現在の研究結果によると平均寿命は五百年とされているが、平均と呼ばれるほど人数がおらず、ほとんどがまだ存命なのであくまで推測だ。だが仮にその通りであるとすれば、次に生まれ変われるのは千五百年後ということになる。
(別に千五百年後に生まれ変わりたかったわけじゃないからいいのだけど、なんかこう、引っかかるのよね)
「ああ、ちょうどいい時間ですね。今回はここまでにしておきましょう」
キシナの声にはっと顔を上げる。かなり集中して考え込んでいたようだ。遅れて終了を告げるチャイムが耳に届く。
クラスメイト全員が起立して一礼する。そしてすぐ教材を机の下の収納に片付け、教室を出ようと顔を上げた瞬間、目の前に金髪の女子生徒を中心とした数人が立ちはだかった。