第三十六話
「あらあら、もうこんなに髪が伸びてるわぁ」
少女は鏡の中の自身の姿を見て、億劫そうに呟いた。机に無造作に置いてあるハサミを手に取ると、躊躇うことなくばっさりと髪を切る。その髪をゴミ箱に捨てると思いきや、少女は使い魔を呼び出した。
大きな角に、大人二人分ほどの図体を持つ牛がそこに現れ、少女が手にしていた髪をまるで牧草を頬張るかのようにむしゃむしゃと食べはじめた。
それを満足げに見ると、口角を上げ鼻歌をはじめた。
すでに時は陽が落ちはじめ、 逢魔が時に差しかかろうとしている。それでも電気を点けず、鼻歌を歌う光景は見る人誰もが不気味だと言うだろう。
「もうすぐ、お遊びの時間がはじまるわ……楽しみだこと」
久しぶりに袖を通す制服に懐かしさを感じながら、姿鏡でおかしなところはないかと確認する。
「うん、ばっちり」
最初の頃はどうにも慣れなかったが、赤茶色の瞳も今ではすっかり慣れてきた。長く真っすぐな空色の髪を背に流し、姿鏡の近くに立てかけてある大剣に話しかけた。通常の剣より長めの柄に、広い剣幅。もちろんただの剣ではない。
「クオン、おはよう」
大剣の柄部分を優しく触れる。
クオンが屋上で暴走し、ヒイロと仮契約をして二週間。ようやく身体の傷が癒え、ある程度の魔力が回復して、自由に動けるようになった。けれどクオンはいまだに大剣のままだ。話しかけてもあの元気な声は返ってこず、寂しさが胸を占める。それでも話しかけるのをやめられないのは、いつかクオンが元気な姿で声を聞かせてくれることを信じているからだ。
「早くクオンとたくさん話をしたいよ」
クオンが目覚めない理由の一つとして、クオンを形成するアマネのもう半分の魂が深く傷ついていることが原因と言える。だから目覚めさせるには、その傷を癒すための魔力を分け与えなければいけない。傷は目に見えないから、あとどれくらいかかるのか予測はつかない。けれど魔力を分け与えるときに、確かな手ごたえは感じていた。
それにトウカがこっそりと占ってくれた結果では、近いうちに目覚めると出ていたのだ。ヒイロと手を繋ぐことが目覚めのヒントと言っていたが、まだ答えは見つからないまま。しかし魂の傷が癒え、トウカがくれたヒントの意味が真に分かるとき、クオンは長い眠りからようやく覚めることができるのだろう。
拘束魔法によって、手を触れなければ魔力を渡せない時と違って、今はクオンとの切れない繋がりを辿って魔力を渡すことができる。でもこうして触りながら魔力を渡してしまうのは、クオンがここにいるのだと感じたいからなのかもしれない。
「行ってくるね、クオン」
いつもと同じ量の魔力をクオンに渡すと、慈しむように柄を撫でで学校に向かった。
学生寮から学校まで歩いてくると、嫌でも遠慮のない視線がいくつも突き刺さった。ヒイロたちから聞いてはいたが、まさかこれほどとは予想もしなかった。その視線を全て無視して、教室に入り席につく。ここでもじろじろと不躾な視線が刺さるが、教室の外よりは幾分かましだった。
「おはよう、アマネ」
「ヒイロ、おはよう」
席に座って前を向くと、なぜかヒイロと目が合った。すぐ近くに座るヒイロは、背もたれを抱くように座りなおすと、そのままお喋りを続けてきた。
「ようやく復帰か、長かったな」
「あなたが早すぎるのよ。その回復力が羨ましいわ」
「そうか? まあ、俺はお前と違って鍛えてるからな」
「ああ、そう。そういうことにしておくわ。それより、なに? この視線……」
ふと視線の意味合いが変わっていることに気づき、眉を寄せる。ヒイロと話しはじめてから、先程までとは意味合いの違う視線が飛んでくるようになったのだ。
「あー、アマネの雰囲気が変わったからだろう? なんつーか、柔らかくなった、みたいな?」
「なにそれ」
アマネ自身、変わった感覚が全くない。しかしヒイロがそう言うのだから、そうなのだろう。自身の変化がイマイチわからず、首を傾げた。
そうこう話しているうちに、授業のはじまりを知らせるチャイムが校内に鳴り響く。その合図が鳴り終わると同時くらいにキシナが教室に現れ、教室につく理由が遅くなった理由を説明しはじめた。
(遅くなったっていっても、数秒なのに。律儀な人)
数日前にキシナのことを少し知ってからは、どこか親近感がわいていた。だからなのか、以前までのアマネならば冷めた目でその姿を見ていたかもしれないのに、今では小さな笑みが浮かんでくる。おかしなものだ。
(それよりもこの時期に転入生って、私以外にもいるんだ)
キシナの説明によると、どうやら遅れたのはその転入生を迎えにいっていたかららしい。この短期間でアマネと合わせて二人目とは、どうにも多い気がしてならない。もしかしてこの学校ではよくあることなのだろうか。そう思って周囲をそれとなく窺うが、その反応はわくわくとした期待に満ち溢れていた。
(……てことは、私たちが珍しいってことなんだよね)
よくあることなら、クラス全体がどこか浮き足立っているなんてことにはならないだろう。
「さあ、入ってきてください」
キシナに促され、教室の外にいた転入生が靴音をコツコツと立てながら、教室の中に入ってきた。
(うそ、でしょ……)
紺色の髪に、一般的に騎士に多いとされる茶色の瞳。それだけだったら、クラスの女子生徒の視線を釘づけにはしなかっただろう。問題はその容姿だ。長い前髪を後ろへ流すために、黒のバンダナをつけていて、そのおかげで顔立ちがはっきりと見える。きりりとした瞳に、卵型の骨格、薄い唇。その顔立ちは容姿端麗だと十人中八人はいうだろう。男子生徒はキシナの隣に立つと、にっこりと甘い笑みを浮かべて自己紹介をした。
「俺はラキ、よろしくさね!」
ラキと名乗った男子生徒は、一人一人顔を見るように、その視線を様々な生徒へ向けていく。そしてアマネと視線がかみ合ったとき、その瞳を一瞬細めた。
(……なんで、ここまで)
その視線の意味はアマネが一番理解している。ラキが目を細める時は大抵怒っているときだ。ラキの細かな癖や好きな食べ物、当時の通りなら全て知っている。
――なぜなら五年前、燃えてしまった孤児院で過ごした家族だからだ。
ラキはアマネを見つけるや否や、キシナの驚いた声を無視して、アマネの元までつかつかと歩いてきた。瞳と瞳が正面からぶつかり合う。五年も経ったから、やはり成長はしているが、その面影はきちんと残っている。
「全然変わってないさ。……その瞳の色以外は」
ラキがどのような経緯で転入してきたのかは知らない。けれどアマネを捜すそぶりや、その態度からアマネを捜してきたのだと察することはできる。
「久しぶりね、ラキ。姿はしょうがないわ。あの時、私は魔法を使ってしまったんだもの」
あの火事の一件からアマネの成長はとても緩やかになった。だからたったの五年では、姿形は全くと言っていいほど変わらない。
「知っているさね。あの火の海の中、俺が助かったのは、アマネが魔法を使ってくれたからだからな。だからその恩に報いるために、俺はアマネの騎士になろうと思って、騎士を目指した。なのにアマネは中学を卒業したら働くと言った。残念だけどそれは仕方ない、そう諦めたさ。けど数週間前、風の噂で魔女の学校に通いはじめたって聞いたんさ。だからもしやと思って来てみれば……これはどういうことさね?」
どういうこと、とは噂を指しているのだろう。ヒイロとウタに聞いた話によれば、あの事件は劣等感を抱いたアイカに友人を傷つけられ、アマネが使い魔を暴走させたということになっているらしい。
ラキはアマネの全てとまではいかないものの、本来の力を身をもって知っている。だからこそ、その噂に納得していないのだろう。内容はほぼ虚実だが、アマネは積極的にその噂を消しにかかっていなかった。それにラキに事実を説明する気もない。全てを語ってしまえば、ラキを理事長とのことに深く巻き込んでしまうからだ。
「アマネ」
その口調は問い詰めるようなもので、アマネに拒否権を与えてはくれない。その証拠に声音は低く、瞳もアマネを捕らえて離そうとしない。
けれどそんなことで屈するアマネではなかった。前世と合わせてどれだけの困難を乗り越えてきたのか、数えたらキリがないほどある。十五歳の怒りなんて、まだ優しいものだ。
「それには答えられない」
「なんでさね!!」
声を荒げるラキに対し、冷静に言葉を返す。
「それだけは、答えられないの」
クオンが人質に取られ、クオンが開放された現在はヒイロたちを人質に取られているだなんて、こんな公な場では特に言えない。ましてやその人質の中にラキが加わったなんて、口が裂けてもラキには言えない。責任感が強いラキのことだ。絶対にいらない責任感と罪悪感を抱いてしまうから。
「ああ、そうかよ。俺にも言えないっていうのさね。だったらもういい。俺にも考えがあるさ」
ラキはそう言い残して、空いている席にどっかりと座った。
比較的近い席のヒイロが、ラキの態度に眉を寄せてなにか言いたげな雰囲気を出していたが、ここでヒイロが口を出せば余計にややこしいことになる。ヒイロが口を出していいかと判断を視線でアマネに仰いできたので、首を横に振って今は駄目だと制した。
気まずい沈黙が教室内を占める中、一人の生徒が恐る恐る手を上げて発言をした。
「あの、先生。アイカさんはまだ学校に出てこれないのですか?」
その生徒の発言によって、アマネはふとアイカがいないことに気がついた。朝からなにか物足りないと思っていたら、原因はそこにあったらしい。アマネの姿を見たら、すぐに絡んでくるのがアイカだ。普段なら一番に気づくはずなのに、たくさんの視線やラキのことで気をとられすぎていたようだ。
ヒイロの情報によると、アイカに対して学校側がなにもしない訳にはいかず、昨日まで自宅謹慎だったはずだ。
「ええ、ご両親の意向もあってしばらくは」
しかし自宅謹慎が終わったあとも、自主的に謹慎をしているらしい。
「そうですか……」
そう落ち込む生徒の名前は、確かミツバだったはずだ。アイカといつも一緒にいる取り巻きの一人で、アイカのことを尊敬している節がいくつも見られる女子生徒だ。後悔を滲ませながら俯くその姿は、まるで懺悔をしているように見えた。
屋上での事件のあと、ウタを閉じ込めた経緯をこっそりとヒイロから聞いた話では、どうやらアイカが主犯ではなく、ミツバたちが主犯だったということだった。ヒイロは屋上でアマネの意識が朦朧としているときに、アイカの使い魔であるヒナタから聞いたらしい。
しかしアイカは頑なにそれを事実として認めようとはせず、アマネにもアイカが主犯であると嘘をついた。あとで分かってしまう事実なのに、そこまで庇うのはアイカが友人としてミツバたちを大切にしているからなのだろう。
アイカを想う気持ちはわかるが、ウタが被害にあっている時点で同情はできそうになかった。
ミツバの隣にいるもう一人のアイカの友人フウを一瞥すれば、気にしないでとでもいうように軽く手を振ってきた。フウは魔女の学校に通っている女子生徒としては珍しい、ボブカットのオレンジがかった髪の持ち主だ。瞳は前髪が長いせいでわからないが、口角が微かに上がっているので、おおよその表情は把握できる。
そんな二人の姿に内心溜息をつきながら、授業を受けるために視線を教壇の方へと向けた。




