第三十四話
あれからトウカの体調は悪いままで、医師により面会の時間を制限されてしまっていた。
起き上がるのも億劫になってしまったというトウカは、ベッドに横たわってアマネに精一杯の笑みを向けている。
「心配かけてごめんなさい。来てもらうばかりになってしまったし」
「私は来るだけでも楽しいし、気にしないでください。…………部外者の私が聞くのもおこがましいんですが……あれからキシナ先生とはどうですか?」
二人とも激しく取り乱していて心配していたのだが、時間が経って少しは話し合いができただろうか。アマネの心配をよそに、トウカは驚きの表情を浮かべた。
「部外者だなんて。実は私、アマネさんのこと妹のように思ってるのよ。あれから話し合ったんだけど、ケンカしたってどうしようもないから、私はキシナの決定に従うことにしたわ」
確かにケンカになってしまうと結論はなかなか出ないだろうし、話し合いなんてまともにできなくなってしまうだろう。一方が譲れば、少なくとも衝突は避けられる。
「それじゃあ、トウカさんの意思は……?」
引き戸越しに耳にしてしまったあのとき、トウカの葛藤する声を聞いたのはアマネだけだ。本当にそれでいいのかと詰め寄りたい衝動に駆られる。
その心境が顔に出ていたらしく、トウカは嬉しそうに苦笑した。
「聞かされる少し前からなんとなく不調を感じていたのよ。はっきり言われたときはやっぱりショックで、一緒に頑張ってきた使い魔と離れたくないと思ったわ。でも、これ以上あの人の足手まといにはなりたくない」
「トウカさん……」
足を引っ張りたくないという思いはアマネも共感できた。重荷になるくらいならと、トウカは覚悟を決めているようだった。
「足手まといになりたくないことは伝えられたから、十分。あとはキシナを信じて待つわ」
待つと決めたというトウカの笑みは、とても穏やかだった。
別れを言って廊下に出ると、ヒイロと鉢合わせた。目を丸くしたヒイロは後頭部に手を置く。
「アマネが姉さんといたのか。じゃあ、今日はやめとくかな」
あまり疲れさせるわけにはいかないし、とさっさと踵を返すヒイロにアマネは慌てて声をかけた。
「待って。これからキシナ先生のところへ行くんだけど」
「悪いが、俺は行かない。帰って素振りでもしてるわ」
背を向けたまま片手をひらひらさせて、ヒイロは帰っていってしまった。
(ヒイロとキシナ先生の間でも、ぎくしゃくしてるみたいね)
アマネは肩をすくめ、階段へと足を向けた。
トウカに様子を見てきてくれないかと頼まれたアマネは、鉄製の扉を押し開けた。吹き込んできた風を身に受けながら屋上に出ると、干されている何枚ものシーツが揺らめいている。その奥にある手すりの前でキシナは、青空には目もくれずうなだれていた。この前のヒイロと似ている気がするのは、やはりいとこだからなのだろう。
扉が音を立てて閉まるが、聞こえていないのか微動だにしない。近づいて名前を呼んでようやく、キシナはびくりと肩を揺らして振り返った。
「アマネくん……びっくりさせないでくださいよ。どうかされましたか?」
「トウカさんにキシナ先生の居場所を聞いて、様子を見に来たんです」
「うーん、情けない先生を生徒に見させようとするなんて、トウカは厳しいなぁ」
苦笑するキシナの顔は疲労がにじみ出ていた。よく見ると目元に隈がうっすらと浮かんでいる。もう何日も教師をしながらトウカのことを考え続けているのだろう。これ以上無理をさせたら、倒れてしまいそうだとアマネは心配になった。
「相当、悩んでいるみたいですね」
「いや、答えはもう出ているんだ。ただ、面と向かってもう一度彼女に、魔女をやめろと言っていいものかと、ね」
まだ時間はあるだろうとはいえ、決まっているのなら早く言った方がいいはずだ。なにを理由に迷っているのか。
アマネは真剣な顔つきでキシナを見つめた。
「私でよければ話してください。誰かに聞いてもらうだけでも、なにか変わると、私は思います」
トウカがわざわざアマネに頼んできたのも、このためだろう。もっと別の悩みであればトウカが寄り添い、話を聞いてあげたかったはずだ。
アマネをじっと見つめていたキシナはやがて目を伏せ、長く息をついた。
「……トウカは、入院中も魔女の仕事をしてたんだ」
「それって、図書室での占い……知ってたんですか?」
「図書室でやってたんだね。僕はお見舞いに行ったときに、ベッドの下にカードが一枚落ちていたのを拾ったんだ。使われた形跡があったから、あのときは驚いた」
気づかれないように引き出しに入れるのが大変だったとこぼし、キシナは続ける。
「入院って、なかなか暇だろう? 本を読むでもいいはずなのに、トウカは魔女として占いをやっていた。魔女の仕事が好きなんだ」
確かに占ってもらったとき、トウカは生き生きとしていた。子供たちに慕われていた姿も、覚えている。
「好きなことを、彼女の使い魔を、僕の判断で奪っていいのだろうか。それで本当にトウカが元気になるのかも、分からないのに」
必ず元気になるという補償はない。万が一、使い魔を失い、魔女ですらなくなって、退院すらできなかったら。
キシナの胸の内を聞いたアマネも、胸が苦しくなった気がして目を閉じた。
クオンは目覚めるのか。ヒイロと仮契約したままでいいのか。前世と同じようなことが起こらないだろうか。アマネ自身も、不安は尽きない。
トウカたちの事情を知ってしまってから、その状況をアマネたちに置き換えて考えてみていた。確かに、アマネも不安を感じた。でも、騎士と魔女の立場が逆の場合であっても、何度考え直しても、アマネの結論は変わらなかった。
アマネは目を開き、葛藤するキシナの力になれるよう、伝わるとようにと思いを込めて口を開いた。
「分からないことだらけで、人の命が懸かっていて、選ぶ以上、責任は重い。私も先生たちのことを知ってから、自分なりに当てはめて考えてみたんです」
この状況で、なにが一番嫌なのか。譲りたくないものはなんなのか。
「不安でも恐ろしくても、ずっと立ち止まっているわけにはいかない。私は、魔女と騎士という関係でなくなっても、少しでも長生きできて大切な人の側にいられるのなら、なにもしないでいるよりは可能性に賭けたい。私はヒイロが選んだ道を信じます。トウカさんと同じように」
「……トウカ、が?」
顔を上げたキシナに、アマネはゆっくりと頷いてみせる。しばらく呆然としていたキシナはやがて、目元を手で覆って笑みを浮かべた。
「信じる、か。まったく、トウカには敵わない」
空を仰ぎアマネを見下ろしたときには、キシナの表情はすっきりとしていた。学校で見かける雰囲気に戻っている。
「ありがとう、アマネくん。おかげで決心がついたよ。トウカに会って、それから手続きしてこないとね。お先に失礼するよ」
足早に横を通り過ぎて階段に向かったキシナは、なにを思ったのかアマネのところまで引き返してきた。
「アマネくんの使い魔は、クオンくんだったよね。近いうちに絶対に目を覚ますから心配ないよ」
「え」
どうしてと聞き返す前にキシナの姿は見えなくなり、アマネは疑問と共に屋上に取り残された。




