第三十二話
「ちょっと回復が遅いくらいで、誰も彼も過保護すぎじゃないかしら」
ぶつくさ言いながら廊下を歩くアマネは、腕に数冊の本を抱えていた。病院にある図書室から借りた本で、養生という名の暇を潰すのに読んでいたものだ。
読書に時間を割いたのは、中庭に出たことがばれてしまったからだ。しかも主治医に怒られたのは担当の看護師さんで、これ以上迷惑をかけるわけにもいかなかった。窓からの風を受けながら景色を眺めていても、また悪い方向に考えがいってしまいそうだったので看護師に暇つぶしできるものはないかと訊ねた結果、図書室があることを教えてもらったのだった。
読書が好きというわけではないが、余計な考えをしなくてすんだのはよかった。
(二冊じゃすぐだったから、今度はもう何冊か借りていこうかしら)
病室から少し歩いたところに図書室はあり、出入り自由だった。本の種類も子供用から大人用の小難しいものまであり、病室まで持っていかなくてもすぐ読めるよう、机と椅子まで完備されている。
(ここで読みたいところだけれど、様子を見に来られたときに病室にいないと、後で小言を言われるのよね)
面倒くさいと溜息をつきながら、アマネは図書室の扉を押しあけた。
「…………う、……を。ええ。そうすると、きっといいことがあるわ」
「分かった。部屋に戻ったらやってみる!」
「……トウカさん?」
聞き覚えのある声がした方を見ると、机の前に数人の子供が集まり、その奥でトウカが腰かけていた。名を呼ばれたことに気づいたトウカは入り口にいるアマネを発見し、にこやかに手招いた。誘われるがまま歩み寄ると、トウカはそのあいだに子供たちになにかささやいた。
「じゃーねー、お姉さん」
「今度は私も占ってねー」
子供たちは元気よくアマネとすれ違いに図書室を後にした。おかげで机上が見えるようになり、そこにはカードがいくつか並べられていた。
「こんにちは、アマネさん」
「こんにちは。トウカさん、占いって、これ、専用の魔法具じゃないですか」
思わず手に取ったカードからかすかに魔力を感じ取ったアマネは、目を見開いた。トウカが使っていたのは、魔女の資格を持つ者が扱う、魔力を込めるカードだったからだ。
(これを使うときは仕事のとき。ということは……)
顔をカードからトウカに向けると、しーっと人差し指を口元に置いていた。
「キシナには、内緒ね」
キシナが知ったら止めるだろうということはアマネでも察せられたので、素直に頷いた。
「でも、入院中なのに魔女の仕事なんて」
「そうねぇ、ボランティアでやれたらよかったんだけど。私がここにいるためにもね」
明言はしないが、入院費を稼いでいるということなのだろう。机上にお金らしきものはないが、どうやって稼いでいるというのだろうか。
疑問が顔に出ていたらしく、トウカはくすりと笑った。
「ここの人たちからお金をもらいはしないわ。国家に申請した時間の分を後でもらうの。その代わり、ノルマがあるけれどね」
「ヒイロは、このことを知っているんですか?」
「いいえ、ヒーちゃんも知らないわ。あの子は口が堅いけれど、知ってるとその雰囲気からキシナに悟られてしまうかもしれないから」
あの子、私か戦闘に関することには勘が鋭いのよね、とトウカは苦笑した。
(ということは、私からヒイロに話すわけにもいかないわね。まぁ、べらべらと話すつもりはないけれど)
内緒と言われたからには黙っているが、アマネとしても具合がよくなさそうなのでやめさせたい。しかし入院を維持するにも必要なことで、部外者が口にしていいことでもない。
あごに手を当て立ち尽くしていると、さぁどうぞ、とイスを勧められた。思わず座ってしまったアマネは、カードを切りはじめたトウカを目の当たりにしてふと我に返る。
「え、私も占うんですか?」
「ふふ、あと三十分以内にあと一人見なきゃいけないの。せっかくだからどう? 無理にとは言わないけれど」
仕事の邪魔をしてしまったとあれば断りづらいし、仮にトウカが倒れそうになったときに誰かいた方がいいだろう。仕方なく頷くとトウカは笑みを浮かべ、カードを三つの山に分けた。
「カードの山からひとつずつ引いてもらうのだけれど、その前に知りたいことか悩んでいることはある? あればカードに聞いてから引いてみて」
「知りたいことか、悩み、ですか」
呟くと同時に浮かんだのがヒイロで、アマネは驚いて頭を振った。恋愛でもいいわよと、くすくすと正面から笑い声が聞こえ、気恥ずかしさを感じながらも改めて考えてみる。
知りたいことは、次々と浮んできた。クオンはいつ目覚めるのか。理事長が人質を取ってまで学校に通わせる理由。そして避けたいのにどうして前世と似たような状況になってしまうのか。
「あら、沢山あって決まらないみたいね。じゃあ、まとめて聞いてみましょうか」
「え、一つに絞った方がいいんじゃ」
聞かれる側にしても、一度に複数訊ねられたら困るだろう。まとめて聞くのはぞんざいすぎるというか、欲張りな気もする。
「そうね、一つにした方が確実性は増すわね。でも絞れないのならまとめて聞いて、結果から、あのことかもしれないと関連づけることもできるわ」
すべてはその人の受け取り方次第よ、と言われ、そういうものなのかと思うことにした。
アマネは改めてカードの山に目を落とした。
「心を落ち着けて、聞きたいことを念じながら引くのよ。そうすれば、カードは応えてくれる。でも占いはあくまで指針を示すだけ。その通りにする必要はないわ」
そう言ってトウカは机上で両手を重ねて沈黙した。
口に出さなくていいのなら、理事長の件や前世の件を聞いても大丈夫そうだ。しかし一つずつ聞きたいことを念じていくのは時間がかかるので、アマネは一つにまとめて聞いてみることにした。
(私は、これからどうすればいいの?)
問いかけるとカードがほのかに発光した。トウカの指示通りに左の山から一枚引き、絵が見えるようにして机上に置いた。月夜の浜辺に巨大なクラゲが描かれているが、カードの上下逆さまになっている。
「一番左は過去、または原因を示すの。これは月をいただくクラゲの、逆位置ね。意味は重責、傲慢、無謀……」
「重責……」
すぐに思い当たったのは、またしてもヒイロと、大剣の姿のままのクオンのことだった。しかし今度は沈鬱な表情が浮かぶ。
学校に通わなければ、ヒイロがなにされるか分からない。学校に通わなければ、クオンは息苦しい鳥籠に閉じ込められることも、暴走したあげく強制的に武器化されるなんてこともなかった。しかし脅しを無視しないで従ったのも、クオンを武器化することを決めたのもアマネが選んだことだ。カードが示す重責とはこのことなのかもしれない。
(というか、そもそもの発端はあの理事長よ。余裕ぶってる顔思い出したら腹が立ってきたわ。いつか絶対、ぶっ飛ばす)
「そ、その様子だと心当たりがあったようね。でもこれは結果の一部。次は中央の山から一枚引いてみて」
たじろぐトウカの声で我に返ると、アマネはいつの間にか拳を強く握っていた。無意識に眉間にしわが寄っていたようなので瞑目して深呼吸した。
すみませんと一言置いて、中央のカードの山から一枚引き、先程と同じように表にして置いた。
「中央のカードが示すのは現在と現状。この絵柄は、壷の水に映る影の正位置ね。意味は限度、恐れ、管見」
「かんけん?」
「分かりやすく言うと、視野が狭くなっているっていう意味よ」
意味を聞いたアマネは再びカードを見下ろした。
(壷の水を覗き込んでいる絵からして、私は今、壷の中のことしか見えていないということかしら)
そう解釈すると、もっと周りを見ろと教えてくれているような気がしてきた。確かにカードはアマネの問いかけに対して、なにかしらの返事をしてくれているらしい。
残るはあと一枚。過去、現在と来たら最後は未来についてだと想像がついた。
「最後の一枚、引いてもいいですか?」
「ええ、アマネさんの好きなタイミングで大丈夫よ」
トウカはにこやかに頷き、アマネは最後の山に手を伸ばした。絵柄は他の二枚よりも変わっていた。水中を一頭のヤギが泳いでいるのだが、下半身が魚になっているのだ。こんな動物は実際に存在しない。
いるとすれば。
「このヤギ、使い魔ですか?」
「ええ、かつて人間と魔女の仲を取り持った使い魔だと言われているの。最後のカードだから、未来についてかアドバイスね。今回は正位置だから、意味は架け橋、決意よ」
架け橋はピンと来なかったので、今回は違うだろう。となるとカードが伝えてきたのは決意ということになるが、いったいなにを決意しろというのだろう。意味だけでなく絵柄からもなにか分かるだろうかと眺める。
(見れば見るほど不思議な絵柄ね。深く潜っていっているみたい。どこまで行くのかしら。そこはどこまで、深いのだろう)
使い魔は斜め下を向いていて、その姿に迷いはない。自身もそうであれたらと思っていると、ふいに使い魔が顔を上げた。
「……っ!?」
「どうしたの、アマネさん」
物音と共に突然体をそらせたアマネに、トウカは目を丸くする。
「あれ……今、絵の使い魔と目が合ったような気が」
したんですが、と言い切る前にぱさりと乾いた音が耳に届いた。再び机上を見やると、使い魔の絵柄は最初に見たときと同様、斜め下を向いていた。そのカードの一部に重なるよう、別のカードが伏せられている。音を立てたのはこのカードのようだ。
「トウカさん、使い魔のカードの上に、新しく置きました?」
「いえ。占いのあいだは手を出してはいけないから、ずっと手を組んでいたわ」
確かにカードを三つの山に分けてからは、引くときも説明しているときも手は胸の前にあった。確認するまでもないのだが、風が吹いたわけでもないのに山からカードが一枚だけ自然と移動したとはとても思えなかった。
「何年かやってきたけれど、私もこんなことは初めてだわ。よほどアマネさんに伝えたいことがあるのかしら」
「伝えたい、こと……」
「引いてみて。本来のルールを押しのけてまで出てきたんだもの。見なくてはいけない気がする」
占いのベテランが言うのだから、無視するわけにもいかないだろう。恐る恐る手を伸ばし、表にした瞬間、アマネは指に針を刺したかのようにカードから手を放していた。
カードの絵柄は薄暗く、暗雲が立ち込めていた。やせ細った枯れ木を背にして両手に長い鎖を持った男が笑みを浮かべて、獲物を吟味するかのようにこちらを見ている。
使い魔と目が合ったことなど吹っ飛ぶほどに不吉で、これ以上触れたくない。それなのに男の顔から目が離せなかった。
(どうして。ただの絵のはずなのに、見たことがある気がするだなんて)
「トウカ、さん。これは」
「……暗器を携えし男。それも正位置だから、カードの中で最悪の、死の意味を持っているわ」
「死……!?」
ルールを犯してまで出てきたのが、死のカード。これは近いうちに死ぬと言うことなのだろうか。自分だけならまだいい。そんなこと口にしたら怒られるだろうが、誰かを道連れにしてしまう方がよほど恐ろしい。屋上で暴走したクオンを相手にしたときも、下手をすれば誰かが死んでいたかもしれなかったのだ。
床がひび割れて瓦礫が転がる屋上や、血に染まった街中が脳裏をよぎり、背筋が凍る。
(私はまた、前世と同じようなことを繰り返すっていうの?)
青ざめるアマネに対し、いち早く心を落ち着かせたトウカは真っ直ぐにアマネを見つめ、頭を下げた。
「ごめんなさい。驚いてしまって説明不足だったわ。落ち着いて、聞いて。死といっても受け取り方は様々で、本当は占った側が意見することではないのだけれど、死の危険が近づいていると警告してくれている場合もあるの。そして、決着というもう一つの意味もある」
占いに捕らわれる必要はないのよ、と諭されてようやくアマネも落ち着いてきた。呼吸を整え、再び不吉なカードを見下ろす。
死の警告というのなら、避けられるはずだ。なにかまでは分からないが、決着がつくというのなら受けて立とうはないか。
「そうですね。私も、ちょっと驚きすぎてしまったみたいです」
「はーあ、魔女が一番冷静でいなきゃいけないのに、私ったらまだまだね」
カードをひとまとめにしながら、トウカは深々と溜息をつく。
「トウカさん。それを言ったら、私も魔女見習いです」
「アマネちゃんはいいの。私は先輩さすがです、っていうきらきらした憧れの眼差しが欲しかったの。もっとがんばらないと」
かわいらしい期待を知らされて思わず笑みがこぼれる。
「でもトウカさん、占いの手際はすごいと思います。占いに捕らわれかけた私を、すぐに落ち着かせてもくれました。貴重な経験を、ありがとうございます」
「優しいわねぇ。だからヒーくんもアマネさんを選んだのね」
トウカは感動したかのように目元を指でぬぐう。対して不意打ちを食らったアマネは赤面し、どうしてそこでヒイロが出てくるんですか、と抗議した。




