第三十話
アマネは耳を疑った。その言葉は、前世でヒイロに仮契約してくれた理由を聞いたときの返事とまったく同じだったからだ。
「互いの荷物を背負いあうのがパートナーだって、キーちゃんも言ってたしな」
照れくさそうに笑うヒイロが、ふいにぼやけた。ヒイロが慌てはじめてようやく、アマネは泣いているのだと自覚した。溢れる涙が頬を伝って枕を濡らす。
「な、なんだ!? 悪い、なんか言い過ぎたか?」
「ううん、大丈夫……」
ぬぐってもなかなか涙は止まらなかった。するとハンカチを差し出され、反射的に受け取ってしまった。ハンカチで目元を押さえ、数分くらい経ってようやく落ち着いてきた。泣いている姿を見られたことが恥ずかしく、ヒイロの顔を中々見ることができない。どうしかとハンカチに視線を集中させていると、隅に赤い糸でヒイロの名前が刺繍されているのを発見した。本人が刺繍したのだろうか。
器用だなぁと思ってそれをまじまじと見ていると、アマネの視線の先に気づいたヒイロはああ、となぜか半眼になった。
「いまどきハンカチに名前の刺繍なんて、とか思ってるだろ」
「言われてみれば確かにそうだけど、この刺繍、あなたがしたのかと思って」
「は? いや、さすがに刺繍はできねぇって。これは親戚が縫ってくれたんだ」
そっちね、と納得していたヒイロはふいになにか思い当たったようだった。
「ちなみに、買ってきてあげてるのも、その親戚だからな!」
一瞬なにを言われたのか分からなかったが、少し前の会話を思い出し、アマネは笑いがこみ上げてきた。
「まだ気にしてたの? あれは席をはずしてもらったんでしょう。分かってるわ」
「な、なんだよ……焦って損した」
息をつくヒイロの様子から、どうやら本気で焦っていたようだ。
面白くて笑うと恨みがましく睨まれた。喉の調子を確認するふりをして平静を取り戻したアマネは、席をはずしてくれたウタはどこに行ったのだろうかと気になった。
「ねぇ、ウタは話し合いのために席をはずしてくれただけなのよね? そろそろ戻ってきてもいいんじゃないかしら」
「ということは、仮契約はそのままでいいってことだな」
「まぁ、しかたないわね」
なんだよそれ、と苦笑したヒイロは廊下で待機しているウタを呼ぶため、引き戸に向かった。隙間をあけて顔を出していたが、戻ってくると不思議そうな顔をしていた。
「おかしいな。ウタがいない」
「廊下で待ってるはずなのよね?」
「ああ。あのタイミングで飲み物って言ったら、そうだろ」
「それ、打ち合わせしてないってことよね。真に受けて本当に買いに行ったんじゃないかしら」
裏付けるように引き戸の向こうから足音が聞こえてきた。続いて二回ノックされる。
どうぞと返事をすると、紙パックを両手に持ったウタが入ってきた。
「おまたせ。なにがいいか分からなかったから、ヒイロくんのはコーヒーにしといたよ」
はい、と手渡されたヒイロは、まごつきながらも受け取った。もう一つの紙パックはウタの分らしく、アマネに渡される気配はない。
(まぁ、別にどうしてもほしいわけではないのだけれど)
少し残念に思っていると、ウタは首を傾げて後方を振り返った。
「あれ、おーい。入ってきなよ」
他にも誰かが来ているようだ。親しげに話しかけているので、騒動の前にウタを探していた普通科の子だろうか。
ベッドから起き上がって引き戸に注目していると、やや間があいたのち特徴的な形に整えられた金髪が覗いた。
「もう、アマネちゃんが待ってるんだから、早く」
廊下に取って返したウタに腕をつかまれ、目を丸くしているアマネの前にアイカは強制的に引っ張り出された。ノースリーブのワンピースを着こなしている姿はいかにもお嬢様らしい格好だが、難しい顔をしているので魅力が半減されてしまていた。上から下へと視線を動かしていると、その両手には紙パックが二つ握られていることに気づいた。
「……アイカ、来てくれたのね」
目を覚ましたという知らせを受けたとき、駆けつけたのはウタとヒイロだけだった。もともとアイカとは仲がいいわけではないので、姿が見れなくても不思議ではなかったのだが、騒動のときに責任があると口にしていたので気になってはいたのだ。
アイカが口をもごもごさせていたかと思うと、突然目の前に紙パックを突き出された。
「れ、礼を申し上げますわ。騒動以降、アイとヒナタは順調に行っておりますの。でも、あなたが学校に来ないと見せられないのはつまりませんわ。だ、だからこれを飲んでさっさと元気になりなさいな!」
「あ、ありがとう」
礼を言われるとは思っていなかったアマネは、勢いに押されたこともあって紙パックを素直に受け取る。みんなが心配してくれることがどこかこそばゆくて、頬を少し緩めてしまう。
(待っていてくれるのなら、一日でも早く万全にならないとね)
もらった紙パックを早速飲もうと視線を落としたアマネは、緩めた表情から無表情へ変えた。
よく見ずに受け取っていたから今まで気づかなかったが、紙パックには〈すくすくミルク〉と書かれていた。和やかな気分が一転、ふつふつと沸き上がってくる。
(元気になってって……大きくなれってことかしら? んー?)
緩慢に顔を巡らせると、アイカたちはそれぞれ紙パックを口にして一息ついている。
「ん、どうしたアマネ」
ヒイロが気づいてくれたおかげで残りの二人も注目する。アマネはにっこりと笑みを浮かべてもらった紙パックを見えるように掲げた。
「これ、私にケンカ売ってると思っていいのかしら」
目をしばたたかせていた一同は、はっとして言われた意味を理解したようだ。目に見えて狼狽する女性陣たちに対し、ヒイロはそっぽを向いて肩を震わせた。
「笑うなそこ!」
「だってよ……くくっ」
背が小さい原因も、これ以上大きくなれないことも分かっている。だがしかし諦めつつも少しだけ希望を持っているのは内緒だ。
仮にいくら寛大な人がいたとしても、他人に気にしていることを示唆されたら物申せずにはいられないではないか。
「ごめん、アマネちゃん。アイカちゃんは悪くないの。買ってきたのは私だから!」
「そ、そうですわ。友人の応援を素直に受け取ってあげなさいよ。それに」
焦るウタをかばうように前に出たアイカは、真正面からアマネを見下ろした。
「もう少し大きくなってくださらないと、試合で対立したときに華がなくってよ」
「…………ほう」
呟くと同時に、アマネの背後の窓が勝手に押し開けられ、強風が吹き込んだ。髪が遊ばれるのを気にもせず、アマネは笑みを浮かべ続ける。
「お、おお落ち着いてアマネちゃん。実はアイカちゃんはね、ツンデレなの。アマネちゃんのお見舞いに行っていいのか迷ってたの。本気で言ったわけじゃないんだよ、きっと」
「きっとかよ」
ばらされてアイカは顔を真っ赤にした。その隣に並んで必死に弁護するウタに、ヒイロは冷静に突っ込む。目の前の光景に目を細めたアマネは、ぽつりと呟いた。
「利用されたのに、かばうのね」
「うん、そのことは謝ってくれたから終わったことよ。仲直りしたなら、もう友達でしょ?」
譲らない目をされては、苛立ちを治めるしかない。それに怖い目にあったウタが終わったことだと言うのなら、話題にする必要はないだろう。
アマネは細く長く息を吐いて落ち着かせた。強風も徐々に弱まり止んでいく。元の穏やかな空気が戻り、ウタが息をついて座り込んだ。大丈夫?とアマネが声をかけると苦笑を返された。
「それだけ元気なら、退院はすぐですわね」
顔を上げたアマネは強気になったアイカを見つめる。
「あなたを超えたら許すと言いましたわね。そうでなくても、あなたには契約も魔法も負けられませんもの。戻ってきたときには、開いた実力差を知らしめてやりますわ」
覚悟なさい、と向けられた挑戦にアマネは微笑して応える。
「望むところよ。在学中に超えられるかしらね」
「ええ、絶対に……あ、アマネを超えてみせますわ!」
赤面して名前を呼ぶのに詰まるアイカがかわいらしく見え、アマネはこみ上げる笑いを抑えることができなかった。




