第二十六話
(足に補助魔法をかけたのね。なら簡単に捕まったりはしないと思うけれど)
接近してきたヒイロにクオンの意識が向く。双方の動向を注視しながら、アマネは来るタイミングを逃すまいと待機した。
魔力が限界に近いのだろうクオンは、両翼をばたつかせたり、くちばしで捕らえようと突っ込んできたりしていた。ヒイロはどれもぎりぎりでかわし、ときには小石を投げて挑発して他所へ気が向かないよう動いてくれている。
(チャンスは一度。フウバクで拘束したらすぐ、二人で武器化を働きかける)
無意識に手首に手を伸ばし、硬いものに触れてちらりと視線を落とした。
ウタが作ってくれた腕輪はまだ形を保っていた。しかし度重なる魔法発動の負荷を受け、細かなひびがいくつも入ってしまっている。
(この魔法具がなかったら、今頃立っていられなかったでしょうね。……それにしても戻ってくるのが遅い。教師か誰かに引き止められているのかしら?)
おそらくフウバクを使えば、腕輪は耐え切れずに壊れてしまうだろう。また壊してしまったことを謝って、この魔法具に何度も助けられたと礼を言わねばならない。
必死でヒイロを追いかけていたクオンがアマネに背を向けた。チャンスは今だとアマネは腕を前に突き出した。
「風の緒よ、彼の者を捉えよーーフウバク!」
アマネの元に集った風が集約し、クオンに向かっていった。触れるか否やのところで先端が無数に割け、四方八方からクオンに絡み付いていく。まとわりつく風に気づいたクオンが怒りをあらわに暴れるが、もう遅い。
がんじがらめにされたクオンがもがいている向こう側に、ヒイロの姿を認めた。
「今!」
「おう!」
クオンに駆け寄り手を伸ばす。あと数センチのところでクオンが咆哮した。魔力が渦巻くのを感じ、手を引っ込める。
「離れっ、く」
突然風が吹き荒れ、クオンの全身を包んで渦を巻いた。中からブチブチとちぎれる音がしている。
(まずい、フウバクが)
ふいに竜巻の回転が鈍った。そのことに気づくと同時に竜巻は暴風と化し、すぐ近くにいたアマネとヒイロを吹き飛ばした。
アマネは背中から倒れこんで転がり、ヒイロはとっさに前にかがんで重心を下げたおかげで転倒を免れ、後退する。
「い……っつ、クオンは……」
暴風が砂塵を巻き上げたせいで視界が悪い。身を起こしつつクオンの姿を捜すも、気配がつかめない。
(今の竜巻で相当の魔力を使ったはず……まさか)
最悪の事態が脳裏をよぎり、不安がせり上がる。アマネは立ち上がって砂塵の中に目を凝らした。
「どこなの、クオン!」
(間に合わなかったの? 違う、私がフウバクをかけたから、解くのに魔力を使い果たして、それが止めに……)
「クオンお願い、返事を」
呻き声でもいい。まだそこにいるという反応があれば。
気配が動いたのを感じて振り返る。瞬間、舞っている砂塵を突き抜けてクオンの顔が目の前に現れた。ほっとしたのもつかの間、狙われているのだと気づくも、すでに避けられる距離ではなくなっていた。
くわりと開かれたくちばしが迫る。
目をそらせずにいると肩を押され、よろめいている間に白い背中が割り込んだ。
腕と肩で迫り来るくちばしを確保し踏ん張るも、勢いに押されて後退する。
なんとか止めることに成功した一部始終を、アマネは呆然と見つめていた。
息を荒くするヒイロの、くちばしを捉えている肩が赤く染まっているのに気づき、血の気が下がった。
「ヒ、イロ、肩が」
「バカ野郎! なんで自分の位置を知らせるような真似したんだよ!」
「あ、ご、ごめんなさい……」
クオンを失ったのではないかという恐れに駆り立てられたとはいえ、声を出したのは確かに愚策だった。
「ったく、とにかく今がチャンスだろ。俺が押さえてる間、に、うおっ」
ふいにヒイロの体が持ち上がり、慌てて手を離して着地した。アマネの手を引いて距離を取ったヒイロは舌打ちする。
「くそっ、また振り出しかよ……おい、クオンの奴、透けてきてないか?」
アマネは瞠目して注意深く観察する。確かに、クオンの頭に隠れて見えないはずの雲の動きが見て取れた。
「そんな。もう武器化を強制するための魔力しか残ってないわ……どうすれば」
クオンは警戒してむやみに近づいてこなくなってしまった。様子を見られている以上、隙を突くのは難しいだろう。
こう着状態の中、後方で硬いものが勢いよく叩きつけられる音が響いた。駆けてくる足音が近づいてくる。
「お待たせヒイロくん!」
「ウタ! 待ってたぜ」
振り返るとウタがヒイロの大剣を抱えて走ってきていた。叩きつけられたのは階段室の扉のようだ。下方が少しへこんでいるから、手が塞がっていたので蹴って開けたようだ。
「ごめんね遅くなって」
「いや、ちょうどいいタイミングだ。校舎内も崩れてたのか?」
「あ、いやね、ちょっと……理事長に引き止められてて」
思いもしない人物の登場にアマネは軽く目を見開き、ヒイロは首を傾げた。
「は、理事長? 避難誘導でもしてて、危ないからって言われてたのか」
「ま、まぁそんな感じ」
うつむいて目をそらすウタを見たアマネは、それだけではないと直感した。そのことも後で言及しようと決め、ウタに笑いかけた。
「ありがとうウタ。あとは私たちでなんとかするから、アイカたちのところにいて」
分かった、と素直に頷いたウタが離れていったのを確認したアマネは、大剣を確認しているヒイロに視線を移す。目が合うとヒイロはにやりと笑った。
「それに私の魔法を付与させろと?」
「ああ、バラバラに行動してダメなら合わせ技ってな」
「単純だけど、もうそれしかないわね」
本当は肩の手当てをしたいのだが、それを言ったらヒイロはそんなの後回しだ、と怒る気がした。でも言わずにはいられない。
「ヒイロ、肩の怪我」
「後回しに決まってるだろ。クオン優先だ」
予想通りの答えにくすりと笑い、アマネはかき集めた魔力を大剣に集中させた。
少しして大剣が風をまとい、ヒイロの感心するが上がった。
「思うままに振るえば、風は意思をくみ取ってくれるから」
「すごいなそれ。それじゃ、アマネはいつでもクオンに触れるようにしてろよ」
「ええ、あなたの後ろについて行くから大丈夫よ」
「ついてくるのか? 足に補助魔法かけてるんだけど」
「魔法が使えなくても、分けてもらった魔力で風に呼びかけて助けてもらうから。あと急に離れても気にせずにやって」
そう、一定以上の魔力が必要な魔法が使えずとも、多少のことなら風の力を借りることができる。熟練の魔女なら少量の魔力でほんの少しだけ魔法を起こすことはわけないのだ。忘れてしまうほど冷静さを失い、かなり切羽詰っていたのだと自覚する。
アマネは自分がどんな魔女なのか、自問自答する。
(ただの風魔法が使える魔女じゃない。私が使う魔法は天空! そして私は、蒼嵐のアマネよ!!)
「よし、行くぞ!」
ヒイロの合図で駆け出し、アマネは風に背を押してもらいながらついていく。それでもヒイロの足は早く、離れないようにするのがやっとだった。
二人が正面から向かってきたので、クオンは前かがみになって威嚇する。それでも怯まないので、クオンは一歩踏み出す。
そのタイミングでアマネはヒイロから離れ、クオンの横に回った。方向転換したアマネを目で追い、ヒイロへの意識が途切れる。
「うおらぁっ」
反対側でヒイロが大剣を振り下ろしたのを魔力の繋がりが伝えてきた。大剣から放たれた風は二手に別れ、一つはクオンの顔の前を横切って虚をついた。もう一つはクオンの足元に向かって片足を引っかけた。よろめき翼をばたつかせるクオンに駆け寄る。
「クオン、武器に成れ!」
体に触れると同時にクオンは硬直した。
触れた箇所から魔力が吸い取られていくのを感じながら、武器に変化するよう強く念じる。
ヒイロがウタが、アイカが。皆がアマネのことを助けてくれた。無駄にしたくない。絶対にクオンは死なせない。
「変われぇぇぇ!」




