第二十五話
脳内で真っ先に却下していた提案を口にされ、アマネは動揺を隠せなかった。せめてもと眉をひそめ、拒絶の意志を示す。
「ぶ、武器化ってそれ、私とあんたが仮契約しないといけないじゃない」
「そういうことになるな」
あっさりと頷くヒイロに引き下がる様子はない。とはいえアマネだって応じるわけにはいかない。
「嫌よ。そもそも仮契約の意味、分かってるの? そんな軽い気持ちでやっていいことじゃないわ」
魔法の授業でちらっと出た契約には、仮契約と本契約がある。学校では長期にわたって個人の個性と相性を見極め、友好状況も照らし合わせた上で、個人が仮契約したいと思う相手と交渉する。仮とはいえど契約は契約で慎重に行うべきであり、気軽に交わせるものではない。
「だったら、他にどんな方法があるってんだよ? それに軽々しく思ってねぇよ。俺はアマネと契約したい」
ヒイロの意志は揺らがない。本心で言っているのだと知ってしまったアマネは、別の意味で心臓が跳ねた。思わずうつむいたアマネの頬に熱が集中し、まともに見ていられなくなる。
こんなときだと言うのに、また仮契約を結べるのだと、パートナーになれるのだと喜んでいる自分がいる。そしてまた同じことを繰り返すのかと警告する自分も出てくる。
仮契約するべきではないと分かっているのに、契約したいと告げられた言葉が、真剣な眼差しがアマネを揺さぶる。
必死に言い訳を探すもすぐには見つからず、とにかく口を動かす。
「ほ、方法は、考える。仮契約はしたくない」
「強情だな。そんなに俺が嫌いなのか」
(嫌いだったら、最初から学校になんて通わないわ。人質にされようが知ったことではないし、あなたの言動にいちいち苛立つこともない。あなたがどこでなにしてようと気にかけないし、誰かと契約したって私には関係ない。なにより)
前世の記憶だって、残さなかった。記憶だけでも失いたくなかったということは、戒めのためだけではなかったということなのだろう。
だからこそ、嫌って避けるべき存在でなければならない。傷つけたくはないが、離れていってくるならば一番不満に思っていることを言葉にしよう。
アマネは求めるもう一人の自分を押し殺した。
「…………嫌いよ。無茶して痛いのを我慢して、なんでもないって顔してるあなたなんて」
拒絶の言葉にヒイロは眉根を寄せた。
「あーそうかよ」
(これでいい。幻滅して、一緒にいる価値などないと思ってくれたのなら)
「だったらその言葉、無自覚なお前にそのままそっくり返してやる」
「…………え」
言われた意味を理解できずに呆然としていると、手首をつかんでいるヒイロの手に力がこもり、勢いよく引き上げられた。補助魔法を腕に集中させていたのかアマネの身体が屋上より高く持ち上げられ、慌てたヒイロに抱きとめられる。
「っとと、危ね。大丈夫か?」
声をかけられるも、いまだに思考が追いつけていないアマネに返答する余裕がない。アマネの様子を察したヒイロはしかたない、と息をついた。
「無自覚云々はあとで教えてやるから、先にどんな真名なのか聞かせろよ」
「だっ、だから話を聞いてたの? 私はあなたが嫌いで、仮契約なんてしないって」
「それはいろいろ我慢して無茶する俺が嫌いなんだろ? ならできるだけそうしないように気をつけるし、アマネが見張っててくれればいい」
「なんで私が見張ってなくちゃいけないのよ!」
片眉を吊り上げたアマネは、ヒイロの肩に手をついて身を起こして睨みつける。
「俺も言っただろ? 無自覚なアマネを見張っていなくっちゃな」
屈託ない笑みを向けられたアマネは、目と鼻の先にヒイロの顔があることに思い当たって足をばたつかせた。
「……っ、近い。いい加減に下ろして!」
「嫌だね。それにアイカたちだってそろそろ限界だ。クオンを早く鎮めたい思いは一緒なんだ。腹くくれ」
真剣味を帯びて、ヒイロの声音が低くなる。押し殺したはずなのに、あっさりと封じを解かれてしまう。警告を発していたもう一人の自分は根負けして、なにも言わなくなった。
「……あなたこそ、本当に分かってるの? 今の私と仮契約なんてしたら、あいた容器に水が流れ込むように、魔力が均一になろうと足りない分は強制的に奪われるのよ」
今のアマネの魔力は、生命維持に必要な分くらいしか残っておらず、ほとんど空だといっていい。仮契約すれば、暴走中のクオンのように無意識に魔力を求め奪ってしまうだろう。抑えようとしても抑えられないのである。
平常時でも魔力の差が大きいと、片方が耐えきれず倒れることがある。気軽に仮契約できない理由の一つでもあった。
顔を曇らせるアマネに対し、ヒイロは口元に弧を描く。
「それでアマネが少しでも元気になるなら、構わない。だから、真名を言えよ」
観念してゆっくりと瞑目し、こつんと額を合わせたアマネは喉を震わせる。
真名は魂に与えられ、刻まれた名。心を許した相手にしか教えられない、特別な名前。
「……天つ、音」
「へぇ、いいね。俺は太陽を彩るって、意味だ」
ヒイロが手のひらを合わせてきて、アマネは応じるように指を絡める。その温もりに目頭が熱くなった。
足元から光が溢れ出したのが目を閉じていても分かった。仮契約のときに出現する魔法陣だ。
「――我が名は天音、魔力の交わりにより騎士見習い陽彩との仮契約を所望する」
「――我が名は陽彩、魔力の交わりにより魔女見習い天音との仮契約を所望する」
光はひときわ強く輝き、魔力がなだれ込んできた。押し寄せるそれをすんなりと受け入れられるのは、ヒイロのものだからだ。
(再び流れ込んできた魔力が心地いいと、感じる日が来るなんて)
寒い日に温かい飲み物を飲んでほっとするような、そんな安心感に満たされる。
(これならある程度の魔法は使えそうね)
ふいに体が傾いた。物思いにふけっていたアマネは目を開き、自身を抱きかかえ続けているヒイロを見下ろした。
「やべ……急にしんどくなった」
「だから言ったでしょう。仮契約した今、私とヒイロの魔力が均一になってるもの」
今更なにを言うのかと呆れるアマネをそっと床に下ろしたヒイロは、両手を膝に置いて肩で息をしていた。
(だから、仮契約は嫌だったのに)
辛そうな顔は見たくなかった。予想通りの現状に、胸が締め付けられる。
「やっぱ、バカだわ」
笑みを含んだ語気にアマネは眉を寄せた。反論しようと口を開くよりも先に、ヒイロが言葉を続ける。
「同じ魔力量になっただけでこれだぞ。どれだけ苦しい思いしてたんだよ。鈍感すぎるだろ、気づけよ俺」
アマネは息を詰めた。笑みは笑みでも、自嘲するような薄笑いだったのだ。二の句が継げずにいると、ヒイロは深呼吸をしはじめた。何度か繰り返して、体を起こす。
「ふーっ……待たせたな。もう慣れたから、さっさとクオンをおとなしくさせようぜ」
「慣れたって……そうね、クオンを止めなくちゃ」
「きゃあっ」
突風と悲鳴と共にアイカたちが後退してきた。腕を交差させていたアイカと目が合い、睨みつけられる。
「もうっ、いつまでうだうだとしていますの! あの使い魔は本当に死にかけてるんでしょうね? 元気すぎて嫌になりますわ!」
愛用の杖でクオンを指すアイカの肌は薄汚れ、髪はぐしゃぐしゃで普段の整った容姿から大きくかけ離れていた。憤懣やるかたないアイカの言う通り、考えあぐねている場合ではなかったというのに。
「ごめん、アイカ。あと、時間を稼いでくれてありがとう。もう大丈夫だから」
「え、あ、そ、そうですの。じゃあアイは見学でもさせてもらおうかしら」
「必要とあれば呼んで」
乱れた髪を片手で払い、アイカはヒナタを連れて離れていった。
十分距離をとったのを見て振り返ると、クオンは黙然と見下ろしてきていた。右左と首を動かし、アマネとヒイロを交互に見ている。
「どうしたんだ?」
「どっちが私か迷ってるのよ。魔力を共有しているから」
なるほど、と頷いたヒイロは腕を十字に組んで体を捻る。
「ならチャンスだな。迷ってる間に武器化させるぞ」
「言われなくても。強制的に武器化させるには、二人でクオンに触れる必要があるわね」
ただでさえ消耗しているのに強要するとなると、どちらか片方だけで働きかけるのは無理だろうと思われた。
「アマネ、魔法は使えそうか?」
「おかげさまで、一回くらいならフウバクが使えるけど」
「はずせないってことか。なら俺が囮になるから、動きを封じるのは頼んだ」
「そっちこそ、下手打たないでよね」
互いに視線を交わし、ヒイロはつま先で床を叩く。そしてキン、という微かに聞こえたと同時にクオンに向かって走り出した。




