第二十二話
「そんな……」
砂煙を凝視していたアマネは、茫然と呟くウタの手を血で汚れていない方の手でそっと握る。
「大丈夫よ、ウタ。二人とも無事」
砂煙で姿が見えずとも、魔力ははっきりと感知できる。二人がくっついているから、ヒイロが引き寄せてぎりぎり間に合ったのだろう。
しかしアマネは違和感を覚えた。間に合ったのなら早く離れるのが普通だ。粉塵が風に飛ばされ、二人の背が見えるくらいになっても動こうとしない。
(足元が不安定だけど、視界が開けてこっちに避難できるはず。なのになぜ)
幸いクオンに動きはない。声をかけようとしたアマネは、ヒイロたちの足の向こうに赤色を見た瞬間戦慄した。
『――いよ……いたいよぉ……助けて……』
下半身を奪われてなお、助けを求める少女。自身の血溜まりに浸かりながら、輝きを失っていく瞳は、最期まで助かると信じていた。
「……ナタ、どうしてっ!」
アイカの悲痛な声により、脳裏に蘇った光景が霧散する。
(ああもう、過去に捕らわれている場合じゃないわ)
首を振り、状況を確認する。アイカが助かったのは、ヒナタが体当たりでもして押し出したからだ。そして代わりに下敷きになってしまった。
「だって、アイカが踏まれたら、痛いでしょう?」
踏まれながらも気づかうヒナタの言葉に、アイカが息を呑んだのが伝わってきた。
「どうして……どうして、そんなことを言えますの。アイは、あなたにひどいことを何度も言いましたのに」
「アイカの気持ち、分かるから。こんなこと、本当は望んでいなかったって」
ヒナタの言葉にやっぱりとアマネは納得する。対してアイカは首を振った。
「なにを言っていますの。アイが望んだから、こんなことになっているのでしょう」
「違うわ。本当の望みは謝らせることでも、土下座させることでもない。上辺だけじゃなくて、ただ、真っ直ぐ見てほしかっただけ」
上辺と聞いてアマネは今までのことを思い起こす。
誰とも仲良くなるつもりはなかったが、アイカはなにかと話しかけてきていた。専用の魔法具の話だったり、生誕した使い魔の話だったり、自慢と皮肉が混じっていたが、アイカなりに仲良くなろうとしていたのかもしれない。あのときは嫌われているだろうと思っていたからよくない意味でしか受け止められず、口論になりかけてばかりだった。
ふと、ウタが言っていたことが脳裏をよぎる。
(アイカは私を嫌っていると思っていたから、私もそう思うようになって、本当は仲良くなれたはずなのにできなくなってしまった……)
無意識な自己暗示はここにもあったのだ。
「いったいなんなのです? アイを否定すると思ったら、助けたりなんかして。アイはもう、ヒナタのことが分かりませんわ」
「そうじゃないでしょう」
アマネはその呟きを耳にしてから、初めて声を発しているのは自身だと自覚した。言葉が衝動となってせり上がり、伝えずにはいられなくなる。
「ヒナタはずっとあなたに訴えていた。でもアイカは向き合わず逃げた。気づかないふりをしていただけなのに、いつの間にか気づけなくなり、分からなくなってしまったのよ」
本来できることをできなくしてしまう否定的な暗示はもう、自身を拘束する呪いだ。気づかなければ深みにはまり、一人では抜け出せなくなる底なし沼。
「使い魔は命令して動かすものじゃなくて、もう一人の自分なのよ」
「もう一人の、アイ……なんて、ことをアイは……っ」
「待てアイカ、今行ったら危ない」
「ですが!」
ヒナタに駆け寄ろうとするアイカを慌ててヒイロが引き止める。振り返ったアイカの目に勝ちへの執着の色がなくなったのを見て、アマネは息をついた。
(アイカはもう大丈夫そうね。あとはヒナタを)
使い魔は人間よりも身体は頑丈にできている。そのおかげもあってヒナタは、ボロボロで踏まれ続けられてもまだかろうじて生きていた。クオンの動きが鈍いうちに足をどけさせなければならない。
アマネは瞑目し、魔力をかき集め一か所に集中させた。アイカとのやりあいで魔力を消費しているため、強く思うだけでは力不足になりそうだ。難しい魔法は詠唱で補強せざるを得ないだろう。
(クオン、そのまま暴れないで)
アマネは片手で腕輪を握り、目を見開いた。
「天つ風よ、ひとところに寄りて渦巻け――フツジ!」
詠唱に応じた風がアマネの魔力に誘われ、ヒナタがいるクオンの足の下に向かうと同時につむじ風を起こした。隙間から吹き出ていた風は勢いを増し、一拍置いて巨大な足を押し上げた。その隙にヒナタは脱出し、大きくバランスを崩したクオンは後方に倒れこむ。
真っ直ぐ走ってきたヒナタをアイカが拾い上げる。
「ごめんなさいヒナタ。アイは、アイはっ」
「いいの。いつものアイカに戻ってくれたならそれで」
涙するアイカに抱きしめられ、目を細めるヒナタが尾を振っている。元となった主の心に影響を受けやすい使い魔は、否定されただけで存在していられなくなってしまうが、アイカに拒絶されなくなったのならもう大丈夫だろう。
息をついたアマネは、ゆっくりと起き上がるクオンに目を向けた。風魔法フツジを受けて黒いもやが薄くなったようだった。全体の輪郭が見て取れるようになり、普段の丸い体型ではなく、縦に長く鋭いくちばしを持つワシの頭と獅子の後足という、本性の姿だということが分かった。
生まれ変わってからは初めて見るが、前世では大人より少し高いくらいの大きさだったことから、それよりも三倍くらい巨大なのは暴走しているからだろうと思われた。
ばさりと布を翻したような音と共に、クオンの両翼が持ち上がる。
「全員伏せて!」
素早く床に伏せると同時に、台風並みの突風が全員を襲った。飛んできた床の破片があちこちに当たり、顔をしかめる。
「あっ」
唸る風に混じって届いた声に少し顔を上げると、アイカの体が宙に浮いていた。ヒイロが手を伸ばしているがなかなか届かない。アイカは額から血を流していた。飛ばされてきた瓦礫がぶつかってその拍子に体が浮いてしまったようだ。
「くそっアイカ!」
「ヒナタを!」
ヒイロが伸ばした手に向かって投げられたヒナタは無事受け止められるものの、アイカは屋上の外へ投げ出されてしまう。ヒイロに受け止められたヒナタは、アイカが投げ出されたところを見てじっとしていられなかったのか、腕を振りほどき、アイカに向かって跳躍した。
(このまま落ちたらアイカたちは)
結果は言わずもがな。浮遊魔法フドーを使いたいところだが、風圧に耐えながら浮かせて移動させるのは厳しい。アマネは視線を走らせ、アイカの近くを飛んでいる瓦礫に目をつけた。
(そこそこに大きい。あれと、クーヘキで!)
時間がない。あとは仲直りしたアイカたちを信じるしかなかった。両手を前に伸ばして重ね合わせて早口に詠唱した。
「風よ我が前に集いて盾と成せ――クーヘキ! 我がっ、意に沿って飛べ――フドー!」
クオンに魔力を奪われ続けている状態で、魔法を二つ同時に行使したせいか、再び喉に熱いものがせりあがってくる。そのせいで途中言葉に詰まってしまったが、構わず魔法に集中する。空気の壁は突風を遮断し、アマネたちを守る盾に。フドーによって浮かばされた瓦礫はアイカの下方へ移動させた。
「それでなんとかしなさい!」
「なんっ」
「アイカ! タマヒを使って!!」
跳躍してきたヒナタを受け止めたアイカの姿が校舎の下に消える。しかしすぐに爆発音が聞こえ、アイカたちが飛んできた。
「火球よ、邪を燃やすつぶてと成せ――タマヒ!」
空中に向かって火球を打ち出したアイカは、その反動で軌道を変えて屋上に落ちた。
「い、痛い……ヒナタ、アイたち死んではいないのよね」
「ええ、生きてるわアイカ。二人で本当になんとかなったわね」
腰をさすりながら立ち上がるアイカの足元で、ヒナタはご機嫌のようだった。本当になんとかなったことに安堵するアマネだったが、ふっと不満が一つ浮かんだ。
「……戻ってこなくても、うまく着地してそのまま避難すればよかったのに」
思ったことがそのまま口に出てしまったようだった。その呟きが聞こえてしまったのかアイカに睨みつけられ、あっという間に詰め寄られた。
「あ、あなたね。ここはお礼を言うべきなのかもしれませんけど、唐突に瓦礫を寄越してなんとかなさいって、どうかしてますわ! だいたい、戻ってこなくてもなんて」
「本心よ。少なくとも、もう死ぬ思いはしなくて済んだでしょうに」
「わーわー! ケンカは後で!」
ウタの仲裁により互いに口を閉じたものの、アイカは言い足りない様子でアマネを睨みつけてくる。
「壁がもう、もたなさそうだぞ。どうすんだ」
油断なく様子を窺っていたヒイロの言う通り、空気の壁は何度も蹴りつけられて形が歪みはじめていた。悔しげに咆哮するクオンの双眸はアマネしか見えていないようだ。
「クオンを鎮める」
「だから、どうやって」
「……拘束魔法の痣を消せれば、なんとかなるかもしれない」




