第十七話
職員室から出てきたアマネとウタは、生徒とすれ違いながら階段に向かって歩いていた。
「まさか本当にひっくり返るなんて……クオンくん、予知能力あるのかも」
「偶然だと思うわ……」
ミラは席をはずしてしまって不在だった。しかしキシナが机に向かっていたので提出しておいたことを伝言してもらおうと声をかけた。ところがかなり集中していたらしく、キシナは飛び上がり、その勢いでイスから転げ落ちてしまったのである。
『大丈夫ですかキシナ先生!?』
『だ、大丈夫ですよウタさん、体は丈夫なので。こちらこそ驚かせてしまってすみません』
机に手をかけて立ち上がったキシナは、伝言を受け取ると忘れないようにとメモしていた。真面目だなぁと思う反面、体は丈夫という言い方が気になった。
『先生は、ヒイロと……』
無意識のうちに出ていた言葉を耳にしたキシナから、いとこなんですよと聞かされて目を見張った。そして登校初日に対面したとき、誰かに似ていると思ったことに納得する。
ヒイロとキシナが親戚関係だったことを思い返していると、数歩前に出たウタが振り返った。危なっかしく後ろ向きに歩きながら口を開く。
「私なりの考え方なんだけどね、レポートを書くのが苦手なのってさ、無意識に書けないって自分に暗示をかけちゃってるのよ。それがだんだん苦手意識になって、本当は書けるのにできなくなっちゃうの」
「暗示を、無意識に」
「そ。まぁ私にだって苦手なものはあるから、人のことを偉そうに言えないんだけどね」
「でも助かったわ。ありがとう」
「えへへ、そう言ってもらえるとありがたいですー、っとうわわっ」
「ウタ!」
ウタはバランスを崩し、背中から倒れかかる。しかし転倒することなく、ウタの体は傾いだ状態で止まった。
「後ろ向きに歩くなよ、危ねぇな」
「ありがとう、ヒイロくん。助かったよ」
「ったく」
ヒイロは呆れながら肩に回した手を下ろして開放する。怪我がなかったことに安堵たアマネは、ヒイロが財布を持っていることに気づいた。
「ヒイロくん、お買い物してたんだ」
アマネよりも先に疑問を口にしたウタに、ああ、とヒイロは頷く。
「小腹がすいたから、購買でパン買ってたんだよ」
持ち上げられた財布の後ろには、言葉の通り包装されたパンがあった。よく見るとチョコパンと袋に書いてある。
「そうだ。今時間あるかな? これから試作品を試してもらうんだけど、見に来ない?」
「へー、続けてたんだな。行く行く」
「ちょっとウタ」
「善は急げー。アマネちゃん早く早く!」
止める間もなくウタは楽しそうに走っていき、ヒイロも後を追いかけていってしまった。実際に使うアマネがヒイロの同行を反対するのを分かっていての行動だ。
なにを勘違いしているのか、ウタはことあるごとにヒイロを同行させようとしている。
(嫌がってるって分かってると思うのだけれど……もしかして)
渋面になっていたアマネはひとつの可能性に気づいて目をしばたたかせた。
アマネとヒイロを一緒にいさせたいのではなく、ウタがヒイロと一緒にいたいのだとしたら。それだったらあんなに楽しそうにしていてもおかしくはない。試作品を見てもらって、がんばっているところをアピールすれば、好印象にも繋がる。
(ウタが、ヒイロのことを……)
魔女と騎士が必ず結ばれるわけではない。騎士の武器のメンテナンスする女性の加工技師という組み合わせがいたっておかしくはない。
あの二人ならうまくやっていけるだろうと思うのに、なぜか胸に棘が刺さったような痛みを感じた気がした。
「さーて、お待ちかねの試作品発表!」
通い慣れた実戦室に入ると、ウタは生き生きとした表情でカバンから手のひらに収まるくらいの紙包みを取り出した。
「アマネちゃんには教室で言ったけど、今回の魔法具は杖ではありません!」
じゃじゃーん、と開かれた紙包みから出てきたのは、幅の広い銀の腕輪だった。一枚の大きな羽根が輪の形になっている。
「アマネちゃんは風の魔法をよく使うから、そこから羽根をイメージした腕輪にしてみました。持つ必要がないから、両手が使えてまぁ便利!」
「売るつもりなのか?」
「アマネちゃんには特価で……売、り、ま、せ、ん! 協力してもらってるんだから、タダに決まってるでしょ」
頬を膨らませたウタから受け取ったアマネは、右腕に通してみる。重さはほとんど感じられず、つけているのを忘れそうになるほど軽い。
試しに魔力を流してみると、負荷なく染み込むように浸透していった。杖のときよりも少ない魔力でも十分に室内の空気を動かすことができる。さすがに何十回も使えば壊れてしまうだろうが、魔力を流した感じだと簡単な魔法なら数回で壊れることはなさそうだ。
「どうかな。前より使いにくかったりする? もう少し軽くした方がいいとか」
この短い間で、よくここまで腕を上げたなあと感嘆してしまう。
「ううん、ずいぶんと魔力の通りがよくなってる。見えないけど、魔導石を混ぜ込んであるのかしら」
「そうなの、できるだけ細かくして練りこんだんだ。一箇所につけると重心が一点に集中して傾いちゃうし、星空を舞う羽根ってイメージもあったから」
「制御装置はどこにつけるんだ?」
ヒイロの疑問に、魔法とまではいかないが、装置をつけていない状態で魔法具を使ってしまったことに気づき、アマネは内心慌てた。
「ふふん、それも大丈夫! 腕輪の内側を見て」
はずして内側を見ると、刻印が刻まれていた。
「校章が彫られた魔法具は、制御装置の要になっている赤い石が内蔵されていますよっていう証なの。だから制御装置を付け替える必要はないわ」
「それ、いざ制御装置なしで使うときはどうするんだ?」
「…………あっ」
ヒイロの冷静な指摘に、ウタはふんぞり返った体制のまま固まった。校内では制御装置の装着が前提なので、はずして使うという場面はほとんどない。しかし卒業後も使うとなれば、取りはずせない制御装置がついたままの魔法具では十分に能力を発揮できない。
ウタは魔女を目指しているわけではないとはいえ、加工技師という魔女と関わる職業につくことを夢見ているのだ。補佐する魔女の力をそいでしまっては意味がない。
「ご、ごめんアマネちゃん。すっかり忘れてた。こんなんじゃ私」
「大丈夫よ。これは試作品なんでしょう? 見つかった問題点を次に生かして製作するのが、加工技師よね」
肩を落としていたウタの瞳に輝きが戻り、アマネの手を握った。
「そうだよね。日々精進、そして初心忘れるべからず! ありがとうアマネちゃん」
握られた両手を上下に激しく振られてアマネは苦笑した。立ち直りの早さも、前へ進む意欲も眩しく感じる。
「ねね、もう一回、今度は魔法使ってみてよ」
「え、でも……」
簡単な魔法くらいでは壊れなさそうとはいえ、ここで魔法を使用して、早く壊れてしまうのだけは避けたい。せっかくウタが作ってくれたのだ。できるだけ長く使いたい。
「どれくらいで壊れるのか確認しなきゃだし、なによりアマネちゃんの魔法がみたい!」
「俺も見たいな。授業じゃ、フドーしかしなかったもんな。それ以外にしろよ。できるだろ?」
分かりやすい挑発をしてきたヒイロを軽く睨んでやると、おー怖い怖いとうそぶきながらウタを連れて壁際まで下がっていった。やれやれと息をつき、アマネは腕輪を見下ろす。
(壊さない程度でフドー以外の魔法。しかも室内となると、カザタマくらいしか……)
空気を圧縮するのは簡単だ。あとは腕輪が壊れてしまわないかどうか。
(この魔法具に慣れるためにも、ある程度感覚をつかんでおいた方がいいわね)
腕輪をつけた右腕を前に伸ばし、手のひらに風を集めるよう意識する。ほどなくして風は凝縮され、球体になった。ここまでで腕輪に異変は感じられない。
(打ち出さずに、そっと解き放つイメージで……)
丁寧に少しずつ、溢れないように、外側から薄く皮をむくように。
(自由に、飛んでいきなさい)
開放された風は穏やかに、アマネの髪をなびかせながら空気に溶け込んでいく。最後の一片まで気を抜くことなく風の玉を見つめ続けたアマネは、風が止むと同時に息を吐いた。腕輪を目の前に寄せて観察してみるが、ひび一つ入っていない。ウタの腕は驚くほどよくなっている。
(よかった。カザタマも最後までできたし、魔法具も壊さずに済んだわね)
クオンに報告したら喜ぶに違いない。今夜にでもと思って振り返ったアマネは、呆けた顔のまま微動だにしないヒイロと目が合った。
「なに? ちゃんとフドー以外の魔法を使ったでしょう」
文句でもあるのかと眇めるアマネに対し、ヒイロは言葉を詰まらせているようだった。目を泳がせていたヒイロは、ようやく口を動かす。
「その……きれいだなと、思って」
「…………はっ?」
一瞬なにを言われたのか理解できなかったアマネだが、理解してしまうと同時に頬が熱くなるのを感じた。心臓が跳ね上がり、今度はアマネの言葉が出てこなくなる。
(な、なにを、言ってるのよ。意味が分からない。分かりたくもない! それに、ヒイロにはウタが)
罪悪感と助けを求める意味を込めてヒイロの隣に立つウタに視線を移すが、ウタはなぜか両手を組み、今まで以上に熱のこもった目で見つめてきていた。
「すごいよアマネちゃん……お姫様みたいだった」
「お、お姫様って。ウタまでなに言ってるの!?」
「そ、そうだぞウタ。こんなちんちくりんが姫とがっぁ……っ痛!」
焦って早口になるヒイロの語尾がふいに上がる。ヒイロがウタの方へ振り返っている間に距離を詰めたアマネが、ヒイロの足先を踏みつけたからだ。
「あなたに言われたくはないけれど、確かに姫なんて柄じゃないわ」
「だからって踏むか普通!?」
「失礼なことを言えば、それ相応に返ってくるに決まってるでしょう.。風で丸刈りされる方がよかったかしら」
言われて想像したのか、ヒイロの表情が少し青ざめる。
「…………いえ、踏まれただけで十分です」
「そんなこともできるなんて、アマネちゃん器用だねー」
ウタは感心しているが、実際にやるとしたら少し練習しておかなければと心に決める。
「ありがとう、ウタ。大切に使わせてもらうわ」
「いやいや、魔女が魔法具に遠慮してたら意味がないから、盛大に壊しちゃってよ。もちろん、そのときどういう状況でどう魔法を使ったら壊れたのか、細かく聞かせてもらうけどね」
「そ、そう。できるだけ覚えておくわ」
ウタの質問攻めは、覚えていないでは済まされないのである。記憶になければ思い出せるよう、質問内容が細かく具体的になって追い詰められていく。止めるに止められない気迫を思い出したアマネは上機嫌なウタの気分を害さないよう、こっそり息をついた。




