第十六話
「はぁ……」
自分の席で頬杖をつくアイカの表情は暗く、溜息ばかり漏れる。
実戦の授業で得た経験をレポートにまとめなければならないのに、書く気になれない。ペン先が白紙に押し付けられ、じわじわとインクが広がっていくのをぼんやりと見下ろしていた。
クラス内でトップを誇る魔力を持っていて、魔女見習いの誰よりも成績がいいことが自慢だったのに、使い魔のヒナタと出会ってからのアイカは不調が目立っていた。
(どうしてアイの言うことを聞いてくれませんの)
今も足元でヒナタは丸くなっている。初めて出会ったときの無茶が効いたのか、試合が終わっても使い魔の維持に支障はなく、そのままにしていた。そのことをいつも一緒にいる女子生徒たちがすごいと褒めてきたが、気分は沈んだままだった。
(最初は、お話ができて楽しかった。限界まで維持させてたときは、心配してくれてたじゃない。それが、どうして)
使い魔は自身の分身だというが、ヒナタのことがまったく分からない。
「やっほーアマネちゃん!」
軽快な足音と共にやってきた少女は真っ直ぐアマネの元に向かっていった。紺色のネクタイは確か、普通科の色だったはず。
(違う学科の子が、わざわざアマネさんに会いに来るなんて)
気になって、肩越しに様子を窺う。クラスメイトがアマネに話しかけるのは連絡事項などの必要最低限のときだけなので、親しく話している光景は物珍しく映った。
「あれ、この子、アマネちゃんの使い魔?」
「ん、クオンってんだ。よろしくな」
「私はウタ。よろしくね。で、珍しく難しい顔してるけど、アマネちゃんどうかしたの?」
「あー、今日実戦の授業があって、そのレポートを書いて出さなきゃいけないんだけどよ」
「苦戦してるってわけね。じゃあその後でいいから、試作品を試してもらっていいかな。なんと、今回は杖じゃない形にしてみました!」
「分かったから、少し静かにして……」
書く姿勢を取ってはいるものの、ペンが動いていない。睨みつけたまま微動だにしないアマネを見て、ウタは苦笑した。
「書いてまとめるのとか、苦手なんだね」
「ええ、そうよ悪い? いっつも提出は最後で、先生を遅くまで待たせてるの。申し訳なく思うけど、書けないんだからしかたがないじゃない」
「落ち着けアマネ。それでもちゃんと出してる分、偉いって……中身はともかくとして」
「……クオン」
「な、なんでもないです。すみませんでした」
「ま、まぁまぁ落ち着いて、アマネちゃん。私でよければ書き方のコツ、教えてあげるよ」
前の席のイスを借りたウタはアマネの真正面に座り、アドバイスをはじめる。
そこからは声の大きさを落としたようで、会話は聞こえなくなった。アイカも書かなければと紙面を見下ろした。真っ白だった紙はインクで真っ黒に染まっていた。
(これはもう使えませんわね。新しい紙にしなくては)
広がったインクで汚れた紙を破り、その下の新しい紙に名前を書き直す。
アイカとアマネたち以外にも教室内にクラスメイトは数人残っている。しかしいつも一緒にいる女子生徒二人は、用事があって先に帰っていってしまっていた。
今、アイカの側には誰もいない。
(どうして、寂しい思いをしなくてはならないのかしら。うまくいかないのは、なぜ?)
いつまで順調だったのか。なにをきっかけに悪くなっていったのか。原因は、どこにあるのか。
(ヒナタを創ったときは……大丈夫、ヒイロくんに褒めてもらったもの。では、もっと前?)
記憶を遡っていったアイカは、ふと浮かんだ光景に辿り着いた。
理事長室から出てきたアマネに問い詰めるもかわされた。質問を賭けた手合わせに負けてしまったので、疑問は解消されないままくすぶっている。
今日の試合だってあっという間に負けてしまった。使い魔との試合が初めてとは思えないコンビネーションで、どうやってかすぐに隠していたボールを探し当てられてしまった。終わってから友人に声をかけられたが、連続で負けたことがショックでよく覚えていない。それどころか、見学していたヒイロはアマネを見ていたのである。ヒイロ自身の試合が終わったときも、アイカとアマネの試合のときも。
(そうですわよね。敗者なんて見る価値なし、ですものね)
転校してきた初日も、飛び出していったアマネを最初に追いかけていったのはヒイロだった。理事長室の件で声をかけたのはアイカだが、興味がなければついてこなかったはず。
(負け続けている上に、ヒイロくんを取られるわけには行きませんわ。ヒイロくんは、アイとパートナーになるのですから)
手に力が入り、みしみしとペンが悲鳴を上げるがアイカは気づいていない。
「よし、じゃあ提出しに行こっか。今日は早いですねって、きっと先生びっくりするよ」
「あ、ありがとうウタ。自分でも驚いてる」
明るい声が耳に届き、見やるとアマネはレポートを両手に半ば呆然としていた。アイカが原因を模索している間に書き上げたようだ。
「だな。先生だってイスごとひっくり返っちまうだろうぜ。もう大丈夫そうだから、悪いけどオレっちは帰るな。もう時間らしい」
「ひっくり返りはしないと思うけど……ありがとうクオン、おやすみ」
あいさつと同時にアマネの使い魔が消える。席を立ち、カバンを肩に下げたアマネは手伝っていたウタと一緒に教室を後にしていった。ふと周囲を見渡すと、残っていたはずの生徒の姿はなく、アイカが最後の一人になっている。
出て行くアマネは楽しそうだった。転校してきたときよりも、今のアイカよりもずっと。
(友人もできて、理事長にも目をかけられて。格上のアイに勝つこともできて、さぞ気分がいいでしょうね)
魔法具が壊れても、あの友人が新しいものを作ってくれる。いつだったか壊れたときに予備があると言っていたのは、友人がいたからだろう。
「……カ……アイ……」
(たとえ優遇されていようと、屈しませんわ。アイが上だってことを思い知らしめてやりませんと)
アイカとの上下関係と理事長とのことをはっきりさせて、調子に乗ってすみませんでした、と土下座させなければ気がすまない。
「アイカ!」
耳が痛くなるほど近くで名を呼ばれ、眉根を寄せて視線を落とすと、足元にいたはずなのにいつの間にか目の前にヒナタがいた。真っ直ぐに見上げてくるヒナタになによ、と返すと小さく首を振られる。
「アイカ、ダメよ。今のあなたはとてもまずいわ。だから」
「なにかと思えば、うるさいですわ。黙って消えなさい」
強制的に実体化を解除され、消えていくヒナタの瞳が悲しみに彩られているのを、アイカが気づくことはなかった。




