第百二十話
肩にわずかな重みを感じた。はっと見やるともふもふとした金の羽毛から覗くつぶらな瞳とかち合う。
「クオン、貴方毒を受けていたでしょう」
「へっ、いつまでも毒なんかでへばってられるかよ! ……っとと」
胸をそらせたかと思うとよろめいて方から落ちそうになったので、とっさに片手でクオンを支える。
「まだふらふらしてるじゃない。安静にし」
「してられるか! アマネがぶっ倒れたらなんのための使い魔だっての。おい坊主!」
クオンが振り返り、その向こうで見守っていたヒイロがびくりと肩を揺らす。
「なん、だよ」
「こういう時こそ騎士の出番だろうが。ぼけっとしてねぇで、武器化すっから俺っちの魔力を斬り上げろ!」
アマネの肩から跳躍すると同時に、クオンの姿がヒイロ専用の大剣へと変化する。息を詰めてなんとか受け止めたヒイロの手には、大剣が轟々と唸りを上げながら風をまとっていた。
「我が生徒の使い魔よりも出遅れるとは、なんたる失態。これはなんとしてでも挽回せねばなるまい」
いつの間にか姿を見なくなっていたチウも、ミラの足元に顕現していた。
「チウ……」
「みなまで言うなミラ。あとは任せよ。ヒナタよ、今一度火力を貯めてくれ。見習い騎士に合わせて、一気に決める。アマネは風の道の維持に専念せよ」
口を開きかけたミラを制し、代わりに指示が飛んできた。的確な指示に意見があるはずもなく、応じた一同はタイミングを合わせるために息を整える。
「っし、行くぞ。はぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」
助走をつけ一気に竜巻へ接近したヒイロは、気合とともに大剣を振り上げた。風は衝撃波のごとく塊となり、両翼を広げた鳥の形となって上昇気流を駆け上がる。続いて細分化したチウが一斉に飛び込み、ヒナタから放たれた熱エネルギーが後押しした。
竜巻を中心にして爆風が生じ、アマネはよろめいたがなんとか踏ん張る。
上昇気流を辿って見上げた先、桃色の空気の向こうにどんよりとした濃灰色の塊が生まれていく様子が瞳に映った。
「アマネ、今だ!」
ヒイロの声と同時に懐にしまっていた最後の小瓶を取り出し、中身を上昇気流に向かってぶちまける。青い液体は一瞬で見えなくなり、少しして竜巻は勢いを失っていき、消えていった。雨雲は水上に絵の具を落とされたがごとく、ゆっくりと広がっていく。
足が震え、肩で息をしていてもアマネは見上げることをやめなかった。
(お願い、雨よ……降って!)
薬は全部使った。これで降らなければ、みんなを助けられない。
ふいに祈りながら空を凝視するアマネの頬が、ぽつりと濡れた。
続いて額に、手の甲に。落ちてきた雫は肌を伝っていく。手の甲に落ちてきた雫を見下ろせば、普段なら透明なはずが赤紫に染まっていた。
(灰を吸収したチウと似た色……!)
再び空を見上げるといくつもの雨粒が顔面に直撃し、アマネは思わず顔をしかめた。
目を閉じ顔を拭っている間にガゴンという音が耳に届いた。驚いて目を開けると、軋んだ音を立てながら屋根が閉じていくところだった。
徐々に大きくなっていく雨音が屋根を叩く音へと変わる。
完全に閉まる寸前でひときわ大きな雨粒、というより水の塊が滑り込んできた。
べチャッと床に広がったかと思うと、瞬く間にネズミの形に変化し憤然と周囲を見渡した。
「誰だ! 我が戻っていないのに閉めた奴は!」
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど……」
後頭部に手をやりながら近づいてきたヒイロは申し訳なさそうにしていた。その頭の上に落ち着いているクオンがくわっと嘴を開く。
「アマネが風邪をひくから、閉めるに決まっとろうが!」
「むっ……、気遣いには感心するが、ミラも含めんかミラも!」
「ふんっ、襲ってきた奴のことなんか知るか」
クオンが冷たく吐き捨てると、チウは押し黙ってしまった。雨を降らせることに協力してくれたとはいえ、襲われた件についてはアマネもいろいろ思うところがある。
気まずい空気から目をそらし、窓の外を見やった。桃色は少しずつ薄らぎ、雨雲のない遠く東の空は白んできていた。
(朝……もっと時間が経っているように感じていたけれど……)
ミラが回収した植物の灰を手掛かりに調査し、報告に戻ったところでミラと口論になった。学校を飛び出してウタを追いかけ、ヒイロと合流して犯人の居場所を探り、図書館に辿り着いて黒幕をとりあえずは退けた。
目まぐるしく動いていて気にも留めていなかったが、たった一日で事態は収束しようとしていたのだ。
窓を叩く雨の勢いからして、しばらくは止まなさそうだ。甘い香りも雨に溶け、自然に流されていくことだろう。
「私たちもここから出ましょう。ウタたちが心配……っ」
一歩踏み出すと同時に膝の力が抜けた。床が目の前に迫ったが、倒れこむ前にヒイロに抱き留められる。腰に手が回され、背中から伝わる温もりが強張っていたらしい肩の力を抜いてくれた。




