第百十六話
「え…………ミ、ン……?」
白い毛並みを持った猫の姿はどこにもなくなった。ゼンの手が砂にまみれ、かろうじて横たわっていた形のままになっている砂山が、そこにいたのだという痕跡を残している。
「なん、で……砂に……嘘で、しょう……?」
ユカリが茫然と手を伸ばすも骨すらなく、砂の感触しかない。フヨウのときと違って、珠のようなものは見当たらなかった。
(ゼンさんも……砂になって、しまうの?)
「ユカ、リ……」
「し、しょう……ミンが……師匠、も……? 嫌、嫌です! そんなの」
「これは、罰さ。なるよ……に、なる、だけだ」
逃がすまいと砂まみれになったゼンの手を両手でつかみ、首を振る。
「嫌です。ば、罰というのなら許しません。これだけのことをしておいて、勝手にいなくなるなんて、絶対に!」
涙に濡れながらも眉根を吊り上げ、真っ直ぐ見下ろすユカリを目の当たりにしたゼンは目を丸くした。
「そう、だね……でも、償える、時間……は、もう……」
「治します。私が、師匠の弟子である私が、死なせません!」
「やめ……ときな…………あたしの、ように」
「師匠が昔なにをやったのか知ったこっちゃないです。それに、私には心強い仲間がいます」
「私も、ユカリさんに協力します。よくないと思ったら全力で止めますから」
(死にかけの状態であっても、ユカリさんを心配している。助かる可能性があるのなら、死なせてはいけない)
大切な人の死は心を抉り、永遠に消えない穴と化す。後悔や当時の自分への嫌悪が渦を巻き、選べたはずの道を閉ざしていってしまう。
(ユカリさんにはそんな風に自分を縛っていってほしくない。それに、七つの大罪についての情報を得られるかもしれない)
町の様子が分からない以上、病院が正常に機能していることを祈るしかない。
「ヒイロ、ゼンさんも病院へ」
「待……っ、あんた……アマネ、さん」
呼ばれて驚き振り返ると、ゼンは真剣な目でこちらを見ていた。
(名乗った覚えはない……でも店でヒイロが呼んでたかしら)
それも一度だけだったようなと記憶を掘り返していると、ゼンが乱れる呼吸の合間をぬって懸命に口を動かした。
「灰は……水で……」
「ええ。大量の水と、貴女が作ってくれたこの薬でみんなを治します」
ゼンは小さく頷き、苦しそうにしながらも今度は眉根を寄せる。
「気ぃ、つけな……あれは……あんたを、狙っ……ゴフッゴホッ」
「師匠!」
「私を………………狙って……?」
どういうことだろう。フヨウのときも今回も立ちはだかってきた邪魔者だから、という理由なのだろうか。
去り際にまた楽しませてね、と言っていた。今後また恐ろしい計画を立て、人々を巻き込むつもりなのだろう。
今回の事件では多くの人が巻き込まれ、街中騒ぎになった。規模が明らかに大きくなっている。次に行動を起こされたときは、多くの死者が出るかもしれない。
そう懸念すると同時に血濡れた光景が脳裏をよぎり、恐ろしさが込み上げてくる。
(……前のようには、させない)
三人しかいなかった前世とは違って、今は一人にさせてくれない多くの友人がいる。頼れる大人もいる。誰かをいいように操ってはゴミ扱いするような奴に負けるつもりもない。
「教えてくれてありがとうございます。狙われて結構。次会ったときは二度と悪さできないようにしてやるわ」
「そう……かい」
ゼンは引きつった笑みを浮かべると、いまだ涙が止まらずにいる弟子の方へと視線を移した。
「……じゃ、頼んだ……よ……愛弟子」
そう言うとゼンは目を閉じ、かくりと頭が揺れた。
「……っ………………、意識を失った、みたいですね」
一瞬息を詰めたが、砂になってしまう様子もなく、微かに呼吸もしている。
ユカリは袖で涙をぬぐうと、制服が汚れるのも構わずにゼンを抱き上げた。ウタだけでなく大人の女性を難なく持ち上げてしまったことに驚きを隠せないでいたアマネは、そのままミラたちの元へと運ばれていくのを見送りかけて慌てて追いかけた。
「すごいな、ユカリ……」
ヒイロが思わずこぼした感想に無言で同意する。怪力はもちろんだが、身近な人間が死にかけているという極限の状態の中で行動に移せる心の強さは見習わなければならない。
「戻ってきたわね。その人は、もう大丈夫なの?」
「はい、危険はありません。師匠を早く治療しないといけないので、私はすぐ病院へ向かいたいと思います」
「そう、ね。助けられるのなら早いに越したことはないわ。ただ向かう途中で暴徒に遭遇しないとも限らない……ヒイロくん、彼女の護衛を」
ミラがヒイロに指示しようとしたところで、ミラの声を新たなにこの場にやってきた人物によって遮られてしまった。




