第百八話
「我に釘付けのようだな。いいだろう、好きなだけ追いかけっこしてやろうではないか!」
動き回っているもののうちのひとつが足を止めて高らかに宣言した。
「チ、ウ……!?」
それは親指くらいの大きさになってしまっているチウだった。すでに数体は猫との追いかけっこをはじめている。爪が届きそうで届かないぎりぎりを攻める動きは、猫たちを夢中にさせているようだった。
「ってことはちょろちょろ動き回っているのは全部」
「誰がちょろちょろだ。我ができるだけ引きつける。その間に脱出するなりしろ!」
「待って。それじゃあウタが」
いくら猫たちをチウが惹きつけてくれているとはいえ、アマネたちが動けば注意が向くだろう。チウの言う通りに一時撤退するにしても、ウタを保護するべく動いたとしてもミンやゼンが静観していてはくれないはずだ。
「今のところ危害を加えられる様子はない。一時撤退し、あの鈍間と合流してからでも遅くはなかろう」
「でも……」
今置いていったら、取り返しがつかなくなりそうな気がしていた。ちらりとウタを見やったアマネは息を詰め、一人飛び出す。
「カザタマ!」
正面の猫たちの足元に向かって放ち、飛び退ってできた一瞬だけの通り道を抜けていく。
「おいアマネ!」
《二人は出口の確保をお願い。私はウタを!》
走り抜ける背後から猫たちが迫ってくるのを感じたが、杖から溢れる風の風圧を上げて無造作に振り払った。
躊躇している間に動けないウタに近づいていたゼンが、肩に向かって手を伸ばす。身体を割り込ませ手を叩いたアマネはゼンを睨みつけた。甘い香りに交じってツンとした香りが一瞬鼻をかすめる。
「ウタに触れないで」
「……おーおー、手負いの獣みたいに。まぁ無理もないか」
ヒヒッと小さく笑ったゼンは踵を返し、巨大な天体望遠鏡の方へと行ってしまった。
(あの人……なにをするつもりだったのかしら)
すんなりと離れていったゼンの動向が読めない。対峙した一瞬だけ見えた白衣の赤黒い汚れはおそらく血だろう。咳き込んでいたようだし、具合が悪いのかもしれない。
ミンに任せてなにか企んでいるのかと気にはなったが、今はウタを助けることを優先する。
うなだれ息苦しそうにしているウタの正面に回り込むと、少しだけ顔を上げてくれた。
「ア、マネ……ちゃ……」
「ウタ、いろいろとごめんなさい。今薬を」
薬を取り出そうとした腕を強い力でつかまれ、驚いて思わずウタを見やった。
「……ちゃ…………駄目……」
「ウ、ウタ……?」
「繰り返しちゃ、駄目……ヒーくんを……」
「……っ!?」
彼女の口から聞くはずがない呼び名を耳にして、アマネの頭の中が真っ白になった。
(なん、で、ウタが……ヒイロくんって、呼んでたはずで……)
アマネの知る限り、担任のキシナや元パートナーのトウカだけがヒイロのことをそう呼んでいるはずだ。そしてヒイロは愛称で呼ぶと気恥ずかしくて嫌がっていたので、仮にキシナのうっかりが原因で知れ渡ったとしても他の人に呼ばせないようにするだろう。
(先生たち以外で呼んでいた人なんて……)
眼鏡越しの瞳が、脳内に浮かんでは瞬く間に消える。
《扉があかない。蹴破ろうにも壁みたいにびくともしねぇ》
はっとして振り返ると、無数のチウと猫たちが追いかけっこしている奥、アマネたちが入ってきた扉を背にヒイロたちが猫の壁に囲まれていた。本性に戻ったクオンが身を盾にして牽制している。
《くそっ、ネズ公が多少引きつけてくれちゃいるが、長くは持たないぞ!》
《扉は大剣でも壊せないの?》
《やってみたが駄目だ。傷ひとつつかない。どうなってんだ?!》
扉は木製で少し古びていたので普通はカギを開けるか、蹴破りでもすれば簡単に開くはずだった。それが見た目以上に堅固なのは理由があるはずだ。
《魔法で封鎖されているのかもしれないわ》
職員室でも資料を勝手にいじられないように魔法がかけられていた。それと同じ類の魔法を、気づかれないうちに施されていたのだろう。
(いつの間に、いえ……そもそもそんな魔法をゼンさんが本当に使ったの?)
封印系の魔法は高等技術を求められ、学校でも習うのは三年の終盤だと以前授業で教えられた。薬剤師とはいえ、七つの大罪だから可能ということなのだろうか。
《ぐっ、なん、だ……っ》
ふいにクオンの体勢ががくりと揺れた。




