第百七話
唱えると同時に杖から風が吹き出し、空色の髪を大きくなびかせた。
風はアマネの意思を汲み取り、荒れ狂いながら室内の空気をかき集めはじめた。ゼンや猫たちにとっては動くこともままならない暴風で、みな飛ばされないようその場にしがみついている。
アマネたちにとっては少し強い程度の風だ。甘ったるい空気も吹き飛ばされ、動ける程度にはなれた。
「ヒイロ、ありがとう」
立ち上がって礼を言うと、振り返ったヒイロはどこか呆然としていた。
「ああ……俺こそ助かった。杖は大丈夫なのか?」
ちらりと見やればまだ風の勢いは衰えていないが、なにもしていなくても切れた部分から溢れ出ていく一方だ。アマネ自身の魔力も限りがあるので、使えなくなるのも時間の問題だろう。
「解決するまではもたせる。もう二度と灰の影響なんて受けさせないわ」
灰に汚染された空気はすべてフーヘキによってひとつにまとめられ、天井近くで渦巻いている。
「みんなは大丈夫?」
「ええ、ありがとうございます」
「おー、また暴れずにすんだぜ」
「それはよかった。クオン、ユカリさんをお願い」
小声で伝えると返事の代わりに肩から温もりが消える。いざというときはクオンが本性に戻ればユカリは大丈夫だ。
室内はアマネたちがやってきたときと同じ状況に戻った。
「ミン、あなたは使い魔だったのですか?」
ユカリが少し青ざめながらも声をかける。さっきまでぺらぺらとしゃべっていたミンは、特に反応もなく沈黙していた。
(ミンが使い魔だったとしたら、魔女はゼンさんだということになる。でも彼女は薬剤師のはず)
生まれ持った魔力量と素質があれば魔女でなくとも、使い魔を召喚することはできる。知られれば世間体が悪くなるらしいから、ただの猫のふりをさせていたとすれば説明がつく。
(でも彼女の瞳は茶色で、魔力量があるようには感じられなかった)
とっくに暴風から解放されているはずのゼンはというと、うずくまった姿勢から顔だけを向けてこちらの様子を窺っているようだった。動く余力がないように見える。灰の影響を長く受け続けていたからか、少し離れた位置にいるウタも、座り込んでしまって動けないようだった。
(早くウタに、薬を使わないと)
ユカリの持っていた小瓶は割られてしまったが、まだアマネがひとつ持っている。それがウタや町のみんなを救う最後の希望だ。
二瓶作ったゼンはそのことを知らないはずはないのに、指摘しないことが疑問だった。
(……ゼンとミンは、一体どういう繋がりなの)
知っているのか知らないのかはともかく、ウタ救出の意図をミンに悟られるわけにはいかない。
ふいにゼンは口元に手を当てて咳き込んだのが視界の端に映った。苦しそうにしているというのに、アマネたちと対峙しているミンが気にかける様子すらない。
それにあの口調がどこか引っかかっていた。大事なことを忘れているような、ただの猫ではないと警鐘が鳴っている。
「あなたは、誰なの」
真顔だったミンの目が細められ、口元が大きく歪む。
なにを口にするかと耳を澄ませたが、遠吠えのように声高く鳴き声を上げた。
呼応した猫たちも一斉に鳴きはじめ、腰を上げるとじりじりと距離を縮めてきた。
「ど、どうするアマネ。こいつらはさすがに使い魔じゃないだろ」
ヒイロを襲ったときのように操られている可能性が高い。猫自身が力尽きていようが気絶していようが、身体が動く限り向かってくる。
「動きを封じたいところだけれど、この数は……」
数匹ならまだしも、フーヘキを保ちながらさらに何十体も同時に封じ込めるのは不可能だ。
「みんなお願い、正気に戻ってください!」
ユカリの様子からして、カヴァイにいた猫たちも混ざっているようだった。親交があるユカリが呼びかけても、残念ながら変化は見られない。
「貴女はなにも守れない」
猫たちが身構えはじめる。一斉に飛びかかられたらまた灰まみれにされてしまう。次またあの甘い香りの影響を受けたら、正気でいられるか分からない。
(操られているだけの猫たちを傷つけるわけにはいかない。でもこのままじゃ、やられるだけよ。どうすれば……)
ふいに足元をものすごい速さでなにかが横切った。右へ左へと動くそれは猫よりも小さく、複数いる。猫たちも俊敏に動く小さな存在を目で追いかけだしていた。




