第百四話
「……っ」
軋む音を立てながら、ゆっくりと扉が奥へと開かれる。一変して心臓の鼓動が聞こえてしまうのではというくらいの静寂に包まれていた。
幻聴だったかのように猫の声がひとつも聞こえない。しかし様子を窺っているいくつもの気配が開かれた部屋の中からアマネたちに向けられていた。
気圧されそうになる心を小さく息を吐いて落ち着かせ、仲間たちを一瞥する。異様な状況に緊張しているが、全員しっかりとしたまなざしで見つめ返してくれた。
意を決して、いつでもどこからでも襲われようが対処できるよう、警戒しながら室内へ入っていく。
扉を一瞥すると、一匹の猫がドアノブにぶら下がっていた。体重を使って器用に開けたようだ。
屋根裏部屋は壁沿いにいくつもの小さなランタンが吊り下げられていて、気休め程度の明かりを床に落としていた。フウソウであらかじめ確認した通り、棚や床に座し、アマネたちを囲むように無数の猫たちがいて視線を注いでいる。部屋の奥には巨大な天体望遠鏡が設置され、その足元には背を向ける人影がふたつあった。
フウソウでは見つけられていなかった方が、ゆっくりと振り返ると不思議そうに首を傾けた。
「…………あれ、アマネちゃんだぁ……本当に、来てくれたんだ」
「ウタ……よかった、無事みたいで」
灰の影響かぼんやりしているものの、怪我をしてはいないことにひとまずほっとする。
《アマネ。俺がウタを確保するから援護を……》
《駄目よヒイロ。足に強化魔法をしたとしても数的に不利だわ。仮にウタに辿り着いたとしても猫に囲まれかねない。今は様子を見ましょう》
「師匠……どうして……ウタさんや猫ちゃんたちも巻き込んで、なんでこんな……!」
背を向けていたゼンは大きく溜息をつき、悠然と振り向き前髪を掻き上げた。
「お呼びじゃないってのにまぁ、ぞろぞろと」
(目が赤い……やっぱり七つの大罪の一員なの……?)
どろりと濁った目はフウのときと同じだった。しかしゼンは魔女ではなく薬剤師のはずだ。それとも魔女の素質はあったが薬剤師の道を選んだということなのだろうか。
目が赤く濁り異質な気配を漂わせているが、けだるげな様子も口調も普段と変わらないように見える。これもフウのときと同じだ。
しかし現場に踏み込んだものの、ゼンの口から事件のことを聞かない限り推測でしかない。アマネは一歩前に出て、ゼンを見据えた。
「ゼンさん。やはりあなたが今回の事件……人を狂わせる灰をばら撒いた犯人なのですか」
「ああ、そうさ。この街に特製の薬をばら撒いたのは私さ。にしても、人を狂わせる……ねぇ……」
不意に口元を歪ませ、手を添えると小さく笑いはじめた。なにがおかしいのかしばらく体を震わせていたゼンは、落ち着かせるように深呼吸すると目を見開いた。
「この程度で人が狂ったって? ちゃんちゃらおかしいね。この灰は抑え込んでいたものを引っ張り上げただけ。狂うのくの字ですらない! 狂うってのはね、好奇心のために毒を盛ったり、試作品を人で試したりせずにはいられない、結果を知りたいが故に刃物を突き立てることもいとわない、そうせずにはいられなくさせて蹴落とし、成り上がった私のようなことを言うのさぁひゃはははははは……!」
高笑いする姿に気圧され言葉が詰まる。今作ったほら話ではない現実味があってぞっとした。
「もうやめてください! 師匠は狂ってなんかいません! みんなを元に戻す薬の精製法を教えてください!」
「…………ああ、こんな姿を見ても否定してくれるんだねぇ。まぁ追い詰められたことだし……」
ゼンは赤い瞳を細めて微苦笑し、手を差し出す。
「観念しよう。店に残してきた青の原液、持ってるね。それを元にして増やさないといけないのさ。手順は繊細でね。教えてすぐにできることじゃない」
ゆっくりとゼンは数歩近づき足を止めた。差し出している手は原液を渡せということなのだろう。
(本当に、渡してしまっていいの?)
原液を渡して、増やして使ってみんな元通り。こんな簡単に解決してしまう事件だったのだろうか。
(七つの大罪は、なにがしたかったの?)
目的がはっきりしない以上、素直に言動を受け止めるのは危険だ。断ろうと口を開いたところですっと横からユカリが前に出た。
「師匠、お願いします。これで、みんなを……!」
ユカリの手のひらには、青い液体が揺れる小瓶が載っていた。




