第百三話
「……チウ、ウタはこの先に?」
「うむ、その先に魔力が集中しているから間違いない」
どうか無事であってほしい。自分たちがやってくるのを感知して、人質にされているのならば、必ず奪い返してみせる。
ドアノブに手をかけたまま、アマネは肩越しにユカリを見やった。
「ここから先は危険だから、ユカリさんはここで」
「いえ、行かせてください。師匠がやらかしたことは、元弟子である私が止めなくては」
「ユカリさん……」
真剣なまなざしからは、絶対に止めるという意志が伝わってきた。無理に置いていくよりは一緒にいた方が安全を確保しやすいだろう。
「分かりました。でも危険だと判断したら私の後ろで控えていて」
「はい、ありがとうございます。残念なことに私は魔法が使えないので、アマネさんのお言葉に甘えさせてもらいますね」
「言っておくが、ミラが到着するまでできる限り犯人を逃がすな。捕縛できれば上々だが無茶はするなよ。本来、一学生のお前らじゃなくて、のろまな大人どもの仕事なのだからな」
間に割って入ってきたチウが眉間にしわを寄せている。
「我は戦闘に向いていない。が、注意をそらし、攪乱ぐらいはできる。だからその……なんだ……」
これまでせっかちを体現しているかのような言動をしていたのに、言い淀むのは珍しく感じた。
目を泳がせていたチウが、なにかを決意したかのような顔でアマネを見上げる。
「……ミラたちを、嫌いにならないでやってほしい」
「え…………?」
なにを言われたのか理解するのに、一瞬だけ思考が真っ白になった。
(突入する直前に……どうして、そんなこと)
これまでの言動でチウは遠回しな言い方をせず、分からないことも誤魔化すことなく真っ直ぐ言葉にする質だと認識している。冗談は言わない。ならばこれも本心であり、チウにとって大事なことなのだ。
(ミラがウタや私に危害を加えたことを気にしているのかしら。使い魔だから……いえこれは、誰よりも近くにいるチウだから)
立場が逆だったら、きっとクオンも同じように仲を取り持とうとしただろう。
それにこれから合流してくるミラとも協力する必要が出てくる。そのときにぎくしゃくしていては、ヒイロやユカリにいらぬ負荷をかけてしまうことになる。
「嫌う嫌わないは、ミラの対応次第かしらね」
「む……そうか……そうだな……」
「なぁ、そんなにひどい喧嘩だったのか?」
首を傾げるヒイロの言葉ではっと、ある程度内容を誤魔化していたことを思い出す。
「薬の影響があったとはいえ、女性同士の喧嘩は恐ろしいのですよ、ヒイロくん」
「そ、そうなのか……気をつける」
ヒイロがなにに気をつけるのか分かっているのか怪しいが、ユカリのおかげで話題を逸らせられたようだ。安堵したのとほぼ同時にユカリを目が合い、微笑み返された。
(……もしかしてなにか、耳にしてしまったのかしら)
チウの報告を聞いて飛び出してきたと言っていた。落ち着いたら確認した方がいいかもしれないと懸念を抱きつつ、今は胸の内に押し込めておく。
「とにかく、今はこの事件を解決させることに集中するわよ。クオンはヒイロの元へ」
「おうよ。いつでも武器化してやるが、油断すんなよ」
クオンがヒイロの肩に飛び移るとともに、扉の横へ移動する。
「開けてくれ。俺が先行する。確認取れたらライトで合図するから」
こくりと頷き、アマネはゆっくりと扉を引いた。蝶番のこすれる小さく音がして、奥へと続く廊下が現れた。小窓があるおかげで室内よりはわずかに見通せるほどの薄暗さだ。この先に螺旋状の階段があり、かつてイベントでにぎわった屋根裏部屋がある。
廊下には誰もいないようだった。ヒイロが階段付近まで様子を探りに行き、少しして光を走らせて合図をくれる。
「行きましょう」
できるだけ足音を立てないようにしてヒイロと合流し、階段を覗いてみた。螺旋を描きながら上へと続く階段は明かりも小窓もないため、足元に気をつける必要がありそうだ。
小さく肩を叩かれヒイロが照らしたところに目を凝らすと、階段の手前の積もっていた埃の中に点々とした黒い染みがあった。
(あれは…………血……?)
フウソウで探っていたときは気づかなかったが、間違いなく血痕のようだ。
(誰かが怪我を……まさかウタが……)
血痕はわずかだが、連れ去られた際に手荒に扱われたのかもしれない。これ以上悠長にはしていられないと、あくまで冷静さを欠かないよう階段へ踏み込む。
登っていくにつれて、猫の鳴き声が聞こえてきた。にゃおにゃおと、カヴァイでご飯を求めていたとき以上に騒がしく、外にまで聞こえていてもおかしくないくらいだ。
階段を上がりきるころには小声で話していては会話が聞き取れないほどで、猫とはこんなにも鳴く生き物だっただろうかと不気味に思えてくる。
屋根裏部屋の扉はたった数歩先にある。
互いに目配せしあい、扉に近づく。先程と同じようにアマネが開けようと手を伸ばしたそのとき、勝手にドアノブが下がった。




