第九十九話
「あ、ちょっと!」
有無を言わさずチウが走り出してしまったので、アマネたちも慌てて追いかけた。おそらくミラは学校にいるのだろうが、移動していないとも限らないので見失うわけにはいかない。
そしてこちらを考慮して速度を調整するなんてことはしてくれないのだった。
《なぁアマネ。このままミラ先生と合流して、本当に大丈夫なんだよな?》
《チウが普段通りみたいだから、大丈夫だとは思う》
《でもアマネは平気だったけどオレっちは影響受けてたみたいだしよぉ、警戒するに越したことはないぜ》
クオンが懸念する可能性ももっともだ。学校も影響を受けていて、ミラも理事長もおかしくなってしまっているという最悪の事態も頭に入れておく必要があるだろう。
《そうね。二人の言う通り、あらゆる可能性を考慮して慎重に行動しましょう》
引き離されないように追いかけ続けていくうちに住宅街へ入り、角を曲がったチウの姿が一瞬見えなくなったときだった。
(ん? 今一瞬、空気の色が……)
追跡する中でチウの体はまた赤く染まりつつあった。その影響で空気の色が薄くなり、一本の軌跡となっていたおかげでなんとか見失わずにすんでいたのだが、角を曲がる直前に色が戻ったのだ。
アマネは徐々に速度を落とし、足を止めて軌跡に目を凝らした。後ろについていたヒイロも自然と倣う形になる。
「いきなり止まってどうした? チウを見失うぞ」
「ちょっと……風が…………向こう、から」
吹いてくる方向を見極めたアマネは、顔を上げて住宅の向こうを見やった。家々の向こうに大きな鐘を抱えた尖塔が頭を覗かせている。
「あの建物は……図書館?」
アマネたちの通うランシン専門学校と正反対の位置に建てられていて、国最大の書庫と言われている国立図書館だ。一番高い位置にある釣り鐘が、朝と夕方に鳴り時刻を告げる役割を担っている。
「図書館がどうかしたのか」
「風が吹いてくる方向に図書館があるの。高い建物ではあるけれど、鐘のところまで人は登れないわよね。それに大量の灰を運び込める空間なんて……」
先端の屋根もだが、少し下がった位置にある屋根も鋭角で、人が立つには難しい。
特に用事もなく、寮に入ってからも距離があるのでまだ訪れたことはなかった。見える範囲では高い位置にベランダは見当たらず、窓が均等に並んでいるだけだ。
「いや…………ある」
見当外れかと思っていたので、驚いてヒイロを見やる。考え込んでいたヒイロは、記憶を手繰っているのか眉根を寄せながら口を開いた。
「うろ覚えだから確証はないけど、昔、キーちゃんが子供のころに天体観測のイベントがあって、図書館の屋根裏部屋でやったって言ってた、ような……」
「イベントで使われるってことはそれなりに広そうね」
天体観測の規模にもよるが、イベントで人を呼んでも収まるスペースがあるということだ。風向きからしても、犯人が潜んでいるかもしれない。
「くぉぉぉらぁぁぁぁ! なに突っ立ってんだぁぁぁ!」
怒号の方へ振り替えると、赤く染まった水を振り払いながらチウが突進してくるところだった。ぶつかる寸前で飛びのくと、本当に突っ込むつもりだったのか勢い余って外壁に衝突した。べしゃっと水浸しの布が落ちたような音がしてチウは仰向けに転がった。鼻を押さえながら、こちらを睨め上げる。
「この異常事態に呑気におしゃべりたぁ、いい度胸してんじゃねーか……!」
「ごめんなさい。少し聞いてもいいかしら」
訊ねるとこれでもかというくらいに眉間にしわを刻まれた。ゆっくりと身を起こしたチウは、鼻息を荒げながらそっぽを向く。
「ふんっ、十文字以内で簡潔的に聞けるもんならな」
「灰についての見解は?」
「ぐっ………………やるではないか」
「灰についての見解は」
「だぁぁっ、分かったって何度も聞くな。灰を短時間で街中に広げるには高いところから撒くだけじゃ不十分だ。騒動が起きている現場ではかなりの確率で猫が目撃されているとの報告があった。我が追われていたことも含め、おそらく犯人は猫と風の両方を利用しているのだろうな。そして水に濡れると効果を失うらしい」
猫と風。やはり風向きも考慮して図書館が怪しそうだ。そうなると学校に戻ってから図書館へ向かうとなるとかなりの距離を移動することになり時間もかかってしまう。
「今夜中に決着をつけたいわね……私たちは先に図書館へ向かって、チウはミラたちに図書館に向かったことを伝えてほしいのだけれど、いいかしら」
「はぁ? なぜ迎えに来たのに我だけが伝言だけ持ち帰らなければならんのだ。まったく次から次へと……」
苛立たし気に後ろ足で首元を掻きはじめると、一塊の水が地面に落ちた。それは広がることなくチウよりも一回り小さなネズミの姿へと変形する。
「このひと回り小さい我が報告に戻れば問題なかろう! ぬかるなよ!」
そう言うと小さなチウは目にもとまらぬ速さで走り去っていった。




