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所信表明&〈side ○○〉〈side out〉形式の小説について

 『小説家になろう』に投稿されている小説について、質が低いと言う人がいる。


 色々な批判がある。


 いわく、



 ①〈side ○○〉〈side out〉等のように視点を変える手法


 ②wwや(笑)や(・∀・)などのネットスラングの使用とか


 ③そもそも模倣作品が多いので世界観にオリジナリティーがなく、

  そのために、中世ヨーロッパ風 とか 江戸時代の街並み というような“情景描写”手法さえまかり通る


 ④そもそも途中でエタッてる作品が多すぎる。



 などというようなものである。




 それでまあ、そういう批判をしている文章が『小説家になろう』に投稿されていて、その文章には沢山の感想が付いていた。


 基本的にはその批判に同意する人とか、

 そんなのは好き好きなので、わざわざ言上げして批判するものでもないというような人とか、

 実際に小説を書いてみるのは大変なことなので、①~③のような表現を用いることで小説が書きやすくなるなら許容すべきだと言う人とか、

 いっぺん自分で小説書いて完結さしてみなさい。大変さが分かるから、批判するならそれからにしてという人など、色々な人がいた。



 でも、上に挙げた様なことがら、つまり①~③のような表現技法そのものを真正面から肯定する人や、

 あるいは、④について小説なんか完結させなくてもいいじゃないと言い切ったりする人はあんまりいなかったように思う。




 それで私は、なんだかこう心にひっかかるものを感じた。

 これまで、上に挙げたような表現が多発するような、あるいは途中でエタったような、なろう小説も鼻血が出るほど読みまくって楽しんできたので、そう、何というか、端的に言えば、好きなものがケナされたのでイラッ★としたのである。


 それに『そういう表現技法を用いると小説の質が低くなる』とか『小説っていうものは完結させなきゃならない』などと安易に言い得るものだろうか? とも思った。


 あらゆる価値観や基準が相対化して冷笑主義や虚無主義が流行っててなんだかよく分からんがポストモダンでという世の中なんだから、もっとみんな天邪鬼でもええじゃないかええじゃないか。もっとあばんぎゃるどに爆発しようぜ正論ばっか言ってんじゃねーよ。てへぺろ☆とも思ったのだった。



 それで、そういういわゆる『小説品質低下表現技法』(①~③のような表現技法を以下はこのように呼称する)をだれも庇わないなら仕方がない。

 ここはひとつ、私が『小説品質低下表現技法』擁護の(貧弱な)論陣を張ってみることにしたのである。

 それに④のことについても思うことがあるのだった。


 では論点ごとにひとつづつ片付けていくことにしよう。

 今回は、①のことについて取り上げる。②~④については気力が出れば、連載の第二話以降で、またおいおい書きたいと思う。




 ①〈side ○○〉〈side out〉等のように視点を変える手法 はダメなのか?




  どの文章読本で読んだのか忘れてしまったくらいで、うろ覚えで不正確にしか思い出せないけれど、以前に読んだ文章読本のなかで、


 大昔の、例えば古代ギリシャとかの小説(それを小説とよぶべきがどうかは別論として)では、神様みたいなのが出てきて、その神様が知恵の神に向かって

 「○○(知恵の神)よ。何々について語れ」

 みたいなことを言い、それに答えて知恵の神が語り始めるという形式をとるものがあって、だからそういう小説は、基本がいわゆる神の視点で進む説明調のもので、小説はそこから 色々と進化して、例えば人称の区別みたいなものもできて、最終的には今の形態のものになったんですねえ、


 というようなことが書いてあった。(と思う) 


 つまり、現在の小説はともかくとして、小説っていうのはその原初の基本は、説明調の小説なのかもしれないということだった。

(要検証なのでだれか詳しい人がいたら感想欄で突っ込んでください)

神の視点の説明調小説とは、あらゆる登場人物の内心を全て見通せる語り部が、懇切丁寧に解説してくれるような小説である。例文を下に記す。



例文①(神の視点、説明調):

――

 ジャイアンは、その時にのび太に対して強い憤りを感じたけれど、のび太の方は、ジャイアンのママが全ての経緯を知っていて、それ故に彼女もまた相当に怒っているということをひそかに知っており、それをジャイアンへの復讐に利用したのであった。

――


 しかし、この、小説の原初の形態であるところの『あらゆる登場人物の内心を全て見通せる語り部が、懇切丁寧に解説してくれるような小説』とはすなわち、

〈side ○○〉〈side out〉形式小説の書きくだしバージョンに過ぎないのではないかとも思われるのだ。



例文②(side形式):

――

〈side ジャイアン〉

のび太め、今日という今日こそはギッタンギッタンにしてくれる。

〈side out〉


〈side のび太〉

バカだなあジャイアンは。ジャイアンのママが全部見てたのも知らないで。

〈side out〉


〈side ジャイアンのママ〉

タケシのやつ、ちょっと目を離すとすぐに乱暴して! 今度という今度は承知しないよ!

〈side out〉

――



 例文①を一人称に変更して、それから文章を人物ごとにぶった切り〈side ○○〉と〈side out〉でくくると例文②になる。


 例文①と例文②は形式において全く違う様にも見えるかもしれないが『全能の語り部が全ての人物の内心を知っており、読者にそれを伝える形式』という点では

全く同じで、すなわち実質的には全く相同である。


 ということは、つまり『〈side ○○〉〈side out〉のように視点を変える手法』は小説のもっとも基本的で原初的な語り方の変形に過ぎないということになる。

だからそれは、変な劣化したやり方どころか、むしろ、ある意味で最も古式ゆかしく由緒正しい表現方法だったんだ!! な、なんだってー!? という結論になった(ドヤ顔)





 小説の人称や視点の置き方には、それぞれに長所と欠点がある。


 一人称や三人称の視点固定は、

 語り手の感情や価値観については、もっとも細かく正確に記述でき、読者の感情移入が容易である。

 それゆえに反面、語り手の見聞きしたことや知識の範囲以外は、厳密に言うなら書きにくいという欠点がある。この制約故に書けない種類の小説もある。

  

 神の視点は、あらゆることを縦横無尽に書けるが、映像メディアと違って、小説形式で表現すると感情移入しにくいという致命的な欠点がある。




 では『一人称や三人称の視点固定』の場合の欠点を克服するにはどうするか?

 まず、やたらとおしゃべりで、かつ自分語りも大好きな人物を多数、語り手の周囲に頻繁に出現させるというような、場合によっては登場人物の造形すら歪めかねない、若干ご都合主義的な方法がある。これはよっぽどうまくやらないと不自然になるうえ、いわゆる『小説の会話文』が、現実に日常生活で使うような会話とは違うものになってしまう原因にもなっている。

 そんなのはイヤだ! という場合に、じゃあどうするかといえば、視点固定は諦めて、章立てして章ごと、あるいは節ごとに語り手を変更して視点を移動させて語らせるのである。これはまあ商業小説でも普通に使われることがある手法である。


 ……でもちょっと待ってくださいよ。これってつまり〈side ○○〉〈side out〉形式と何が違うんですかね? ということになる。

 文章の中でさりげなく語り手の名前を出したり、別の登場人物に名前を呼ばせたりして視点や語り手が移動したことを読者に知らせるか、

 〈side ○○〉〈side out〉とはっきり書くかの違いでしかない。

 つまりプロの小説は〈side ○○〉〈side out〉とか書くかわりに、第一章、第二章、って書いてあるのだ。




 つまり事の結論はこうである。


 神の視点は感情移入に支障があるから採用できない。

 でも一人称や三人称は語り手が知っていること以外は書きにくい。

 だから視点移動がどうしても必要になることがある。

 ということで、〈side ○○〉〈side out〉とはっきり書かないだけで、実質的におんなじことはプロだって結構やってるよ。しごく標準的な手法だよ! 


な、なんだってー!? 






 さあみんな! 反論があれば感想欄で作者に突っ込もう!!


 てゆうか私ごときがこんな、たぶん突っ込みどころ満載の貧弱な文章書くより、だれかもっと詳しい人に

『〈side ○○〉〈side out〉形式の、小説表現における歴史的位置づけとその可能性』

とかそんな感じでもっとちゃんとした学問的なしっかり分析したのを書いてほしい。

そして、なろうに載せて読ましてほしい。

 誰か書いてぷりーず




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