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諸事情により  作者: 鳩梨
9/10

九話

 部屋に戻ると、俺はすぐに風呂に入った。

 浴室は小さいが、浴槽があってシャワーがある。とりあえず浴槽の中でシャワーを使わないといけないようなホテル仕様ではない。

 考えてみれば、これって結構すごいことじゃないか。普通、寮の風呂って共同だろう。俺はそう考えていたので、これは結構驚きだ。無論、嬉しいのだが。

 浴室の床は繊維強化プラスチックで浴槽はステンレス製のユニットバスだ。何気に金かけてるなこの寮。

 トイレと浴室は別になっているので助かってはいるが、その分浴室は本当に狭い。更に言うなら、浴槽も狭い。微妙に体育座りみたいになる。

「はぁ〜……」

 身体も頭もさっさと洗い終えた俺は、浴槽にに張られたお湯に浸かるなり大きく息をついた。いいねぇ、風呂に入った時のこの脱力感。リラ〜ックス。本当はもうちょい広いと言うこと無いんだが、贅沢は言えない。共同風呂じゃないだけでも感謝し倒さないといけない。

 あの後、昴は気を直したみたいで風呂に入ろうとしていた俺は、「お風呂の中で寝ないでよ」などと手のかかる子供に言い聞かせるお母さんみたいなことを言われた。

 知らず、笑みが零れる。きっと顔には出てないだろうから、心の中でだけど。

 昴といるのは楽しい。心が休まる。俺とは違って表情や感情の良く動く昴は、見ていて気持ちがいい。たまに、子供っぽく見えるときもあるけど、そこもまたあいつの魅力だと思う。

「――はぁ〜」

 俺は再び息を吐いてみた。

 今度は、さっきの脱力の極みのような気抜けの息ではない。

 こうして、誰もいないところで、誰も見ていない所で、ふと昴のことを考えると胸が痛くなる。心的腹痛の類ではない。不整脈や狭心症、心臓発作なんかでもないのだが、普通に考えると、そっちの方が幾らかマシだと思う。

 俺は、いつからか、気付いたらおかしかった。狂ったのかもしれない。頭がいかれたのかもしれない。

 昴は大切な友達だ。それ以上でも以下でもない。

 なのに、昴の一挙手一投足に一喜一憂し、笑顔を向けられることに悦び、はにかんだり、照れたりしているのを見て愛しく思ったりしている俺がいる。

 ふと考え思うのは、いつも昴のことだ。

 こうしている今も、昴のことを考え思っている。

 浴槽に張られた、少し温めのお湯。その色は入浴剤の白で、そこには自分の顔が僅かに映りこそするものの、沈んだ自分の身体は見えない。

 浴槽の乳製品のような湯に映っている自分の顔は、常の通りの無表情。抓ってみても、引っ張ってみても、それは変わらない。たとえ、その無表情がアホの子みたいに可笑しくとも、それに、苦笑を零そうとも、顔には表れない。

 まるで、人形の顔のようだ。

 そして、その自分の顔は――感情を表すことの無い自分の顔は、容易に昴の顔を想起させる。

 それは今の昴ではない。最初に出会ったときの、そして一年前までの昴の顔。

 全てを拒絶せず、受け入れず、ただ其処にいただけの昴。

 まるで、能面のような顔をしていた、一人の少年。

 今でも、思い出すと胸に切り裂かれるような痛みが走る。

 まだ13歳でしかない少年が、自分と変わらない少年がそうあるには余りにも惨い様。

 バシャリ、と湯を叩く。

 乳白色の水面が僅かに波打ち、揺れる。

 揺れる水面は浴室の光を歪め漂わせながら反射して、それを見つめる俺の顔は映らない。

 だから、思い、描く。

 たとえば、弁当を美味いと言ったときに見せる、照れながらも嬉しそうな笑み。

 たとえば、からかったときに見せる、警戒と批難を含めた顔。

 たとえば、――――。

 なにも、過ぎた遠い日を描くことは無い。

 今の昴は実に様々な表情を見せてくれる。笑い、怒り、悲しみ、楽しむことが出来ている。

 過去は過去。

 けれど、だからこそ、過去を現在にしてはいけない。

 俺は、昴のことが好きだ。愛しくも思う。けれど、それは友人としてだ。それ以上の思いなど、あろう筈が無い。抱いてはいけない。

 実際問題、俺が昴に友人としての度を越えた思いを抱いているとしても、それを表に出してはいけない。奥へ奥へと隠さなければいけない。そして、殺さなくてはいけない。

 でないと、気付いてしまった時、昴はとても傷付いてしまうだろうから。裏切られたと、思うだろうから。

 そんな思いを俺は昴にしてほしくない。

 昴の優先順位は、俺よりも高い。たとえ自分を殺すことになっても、昴のことを優先する。

 俺は浸かっていた湯から身体を上げると、浴槽から出た。

 浴槽の栓を外す。その際、伸ばしかけた左手を引っ込めて右手で行い、乳白色の湯を抜く。

 換気窓を開けて浴室を出た。


 ぞんざいに身体を拭いた俺は、トランクス一丁で寝室兼居間兼個室兼用の、つまりはワンルームに戻った。

 部屋にはベッドとクローゼットと木製の勉強机、それと対になる椅子がある。

 ベッドは二段ベッドで、扉から入って見たところの右手壁際に置かれている。クローゼットはベッドの後ろだ。

 勉強机は左手壁際に間隔を開けて並べてある。

 ベッドにしろ机にしろ、移動は可能なのだが面倒なので前使用者がそうしていたのだろう配置のままだ。

 これでは個人のスペースの無い完全な共同部屋だが、俺は全くそんなことは気にしない。

 個人のスペースがほしい者は、例えばベッドを真中に置いて、左右で区切ったりしているが、流石にこの部屋の現状配置からそれに移行するのは、どう考えても大仕事だ。だから、実際は気にしない気にする以前に、面倒臭すぎる。

 それに、昴は実家では一人ぼっちだったから、誰かと一緒というのは新鮮で楽しそうだと嬉しそうに言っていた。そこにある事実は暗いものだが、昴自身は誰かと一緒という現状を気にいっているみたいなので、俺は何も言わない。

 昴が現状を気にいっている。ならば、それだけで十分だ。

 部屋の窓は真正面と左側、つまりベッドの横にある。冬は寝る時に外気で寒くなりそうだが、暖房器具を上手く活用すれば苦にはならないだろうと踏んでいる。

 濡れた頭にバスタオルを乗っけたまま、下着一枚で椅子に座る。

 俺の机は奥、窓側で、その横に昴の机がある。

 そして、その机に顔を横向きに乗せて、昴が寝ていた。

 顔が丁度こちらを向いていて、無防備すぎる寝顔が見える。てか、どうしても目がそっちに行く。

 その顔の下にはノートと教科書が広げられていた。どうやら、予習か復習をしていたらしい。視線を下、昴の足元に落とすと、オレンジ色の細いシャーペンが落ちていた。

 俺はわしゃわしゃと適当に髪を拭くとバスタオルを椅子の背もたれに投げ置き、シャーペンを拾って昴のペンケースに入れる。

「おい、昴。机なんかで寝るな。夏とは言え、風邪を引くぞ」

「ううー」

 やれやれと肩を揺らしてみるが、そんな意味のなさないうめき声をあげるだけで起きる気配が無い。

 まぁ、予測してた通りだ。

 昴はほぼ決まった時間になると寝てしまう。まるで小学生のような奴だが、これにも家の事情が関ってくるため、とやかく言えない。

 ……近頃は小学生でも決まった時間には寝ないか。

 なんにしろ、起こすのもかわいそうだ。俺はそう思い、一瞬ためらってから、そっと昴を抱きかかえる。頭は右手側に、膝の下に左手を入れる。僅かに左手側が落ちかけるため、上手くバランスを取る。

 俗に言う所のお姫様抱っこ。零れる長い髪がさらさらとくすぐったい。

 ……誰も見て無くてよかった。

 昴が机に寝てしまうたびに行っていることとは言え、さすがに恥ずかしい。誰かに見られようものなら、俺はそいつを口封じのために軽くキルっとかないといけないだろう。

 昴はまるで男とは思えないほど軽い。そして、細くて華奢だ。下手をすると、壊れてしまいそうな気がする。

 ふわり、と。昴の髪から甘い香りがした。それはすぐ近くにある俺の鼻腔をくすぐる。

 シャンプー……いや、リンスだろうか。

 俺はその香り多少どぎまぎとしながら、昴をベッドに運ぶ。

 昴は二段ベッドの上だ。何か知らんが、どうしてもここがいいと必死に主張するので、そうなった。

 備え付けの梯子を慎重に登る。たとえほんの数段といえでも、この状態で落ちたら痛い。それよりも、昴が起きてしまう。

 こういう時、二段ベッドと言うのは不便だ。いつも抱く感想だが、今さら文句など言わない。

 昴をそっと布団に横たえる。むにゃむにゃ言いながら寝返りを打つ昴に、思わず笑みを抱く。

 夏とは言え、何もかけずに寝ると風邪を引く恐れがある。そっとタオルケットをかけてやり、俺はベッドから降りる。

 椅子を開いた窓の前にまで移動させ、座る。

 風呂上りだからだろうか。やけに顔が熱い。

 冷まさないことには寝れそうに無かった。


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