八話
俺たちの部屋は三階の一番奥だ。
寮は五階建てで、一階は玄関と集合ポストと寮監室があり、二階は先ほどまで居た談話室と食堂がある。三階からは各学年ごとに住民――生徒の部屋となる。つまり、三階は一年。四階は二年。五階は三年。と言う風に。
それぞれの部屋の間取りは全て同じで、普通のアパートやマンションのように端の部屋だけ他と違うと言うことは無い。これは、ジョージ等の友人の部屋に用があって入室した際に知った。まぁ、窓が一箇所多いというのだけが違うか。
部屋の扉は飾り気も暖かみも何も無いつまらない鉄製。冬なんかは冷え切ってノブを触るのが辛くなりそうだと、現在対策を考案中。お湯でもかけるか、と言うのが一番普遍的で簡単だが、今は夏なので冬になるまで結論は先延ばし。
「ねぇ、湊」
「ん、なんだ?」
気を紛らわすようにつらつらとどうでも良い思考をしていたのだが、昴の少し小さな声にそれを中断する。
ここはまだ廊下だ。俺は結局、後ろで待ってと言う昴を無視し仕切れずに、昴と並んで部屋まで戻っている。本当に、俺は昴に対して甘い。
「……怒ってる?」
恐る恐る、という感じで昴はそう問うてくる。
「…………はい?」
横を見ると、昴はこちらに顔を向けず、俯きぎみに歩いている。長い髪に隠れて表情が窺えない。
何故、俺が怒っているなどと思ったんだろうか。
まぁ、確かに。あのイカレオタッキーには少なからず怒りを抱いてはいるが、それとはどうも違うらしい。それに、これはほとんど八つ当たりみたいな怒りだ。向けるべきは自分。
昴は黙っている。俺がちゃんと答えるのを待っているらしい。
「怒ってなんかいないけど……なんで?」
「湊、さっきから少しピリピリしてる」
「まさか」
俺は思わず笑ってしまった。と言っても顔が動いた気配は無いが、唇が持ち上がりくらいはしただろう。俺の感情はいたって平穏だ。表に出すほどの怒りでもない。
「ううん。してる。ボクには、わかるよ。湊とずっと一緒にいるんだもの。それくらい、わかるよ」
「…………、」
「ボクが、あんなことしてから。湊、様子が変だモノ」
「あんなこと?」
「ジョージくん曰く、必殺技」
「あー……」
「ごめんね」
ぽつり、と昴は震える声でそう呟いた。
「なんで?」
「だって、ボクがあんな気持ち悪いことしたから……だから、湊は怒ってるんでしょう? 機嫌が悪いんでしょう? だから、ごめん。ちゃんと、嫌だって言えばよかった……」
「…………」
俺はとっさに否定の言葉を吐こうとし、やめた。昴には、そんな脊髄反射のような言葉は逆効果だ。それは、ほんの三年余りだが、けれどそれだけの時間で十分に理解していた。
だから、考える。
昴の言うこととは違う。そこは間違いない。それを伝え、尚且つこいつが傷付かず、反論できなくする……納得と理解のできる台詞。
それを考えながら、俺は自分を責めていた。
まただ。と。
昴は、人の負の感情に敏感だ。いっそ、過剰と言えるほどに昴は負の感情に対して敏感でそれを怖がっている。
今まで、他者が抱く負の感情は全て昴に向いていた。だから、昴は誰かが負の感情を抱くと、自分のせいだと思い込むようになってしまった。昴にとって、それは消えない傷となって今も残っている。見ず知らずの他人にまでそれが当てはまるわけではないが、自分の周りであるなら全ては自分の所為なんだと、昴はそう思い込んでいる。ましてや、いつも傍にいる俺が、怒りなんて感じていれば余計にそれを感じ取ってしまい、自分が悪いと考えてしまうだろう。たとえ身に覚えがなくとも、些細な出来事や理不尽だとしかいえないような事柄、関係の無いことまで、自分に当てはめてしまう。
だから、俺はそうならないように気をつけてきたというのに……。
悔いたところで、どうしようもない。今は昴の誤解を解き、これからは二度とそうならないように気をつける。
それが重要だ。
あと、少しで部屋の扉の前だ。
「昴。それは違うよ」
ここで、昴のことをかわいいとか思ってしまった自分に怒りを感じてた、と素直に言っても昴はやはり自分の所為だと思うだろう。男らしくない自分の所為だと。
かといって、アホなことを昴にさせたジョージにムカついていた、とおちゃらけて言ってみても、昴はそれも自分の所為だと思うだろう。嫌だと言わなかった自分の所為だと。
昴が俺を見上げる。昴は身長が160ないし、俺は170とちょっとだから、自然と昴は俺を見上げるようになる。
透き通るように綺麗な、僅かに茶色がかった瞳に俺が映っている。
「昴は気持ち悪くないし、あんなことしたくらいで怒ったりするほど、俺は小さくない。それは、昴の方がよく知ってると思うんだけどな」
昴の瞳が僅かに揺れた。昴は今の台詞のどれも否定できない。自分のことを気持ち悪いなどと言ったら俺が傷付くことを経験として知っているから。俺が小さくないということを否定すれば、それは俺が小さいと愚弄したことになる。
昴は、それに耐えられない。
……卑怯だな。
けれど、俺にできるのは精々この程度だ。
何を言ったところで怒りを抱いていた事実は消えない。下手なことを言えば昴は自分を責める。ウソなんかついたところで、昴はそれに気付くし、それに対して傷付くだろう。
だったら、昴に否定できない言葉でただ違うと否定して、そのまま無かったことにする。
俺には、それくらいしか出来ない。
――卑怯で、臆病。そして馬鹿者か。救えないな、俺。
「だから、ほら。んな不安げな顔するなよ」
俺は声だけは陽気に昴の頭を撫で回す。
さすがに、もう乾いた昴の髪はさらさらと流れるようで手触りがいい。
「うん。ごめんね」
「だから、謝んなって。んな顔してると、なんだか俺がお前に意地悪してるみたいだろ。笑え笑え」
くしゃくしゃと撫で回しながら、昴の頭を揉む。
「わわ。ちょ、ちょっと湊! やめてよ! くすぐったいし何だか気持ち悪いよ!」
そう言いながら昴は頭をふって俺の手を払う。
そうして俺から距離を取ると、頭を抱えるようにして涙目になりながら、まるで警戒する小動物のように睨み付け来た。そこには、先ほどまでの様子は無い。
「ほらほら。さっさと部屋の鍵開けてくれ。俺は風呂を所望してる」
鍵は各部屋に一つ。俺は昴が風呂に入っている間に出ていたから、当然鍵を持っているのは昴だ。
昴は溜め息をはいて苦笑すると、パジャマのポケットから鍵を出した。
なんとかなったことに、俺は気づかれないよう安堵した。




