五話
「ねぇねぇ湊」
くいくい、とズボンから出して崩して着ている俺のカッターが引っ張られる。何でかしらないが、こいつは袖だったり裾だったりを引っ張る癖がある。大した力で引っ張られているわけではないので、伸びたりする心配は無いが、正直どうよ? と思わなくも無い。
「あ? なに」
「えっとね。ボク、寄りたい所があるんだけど」
「ん〜……この時間だと寮の門限に間に合わなくならないか?」
腕に巻いてる安物の時計を見ると、時刻は17時35分。……以外に時間を食ってたらしい。
俺と昴は実家じゃなく学生寮に住んでいる。全寮制ではないが寮を利用する生徒は結構いる。親元から離れたいとか、家が遠いとか、まぁそれぞれに理由があるのだろうさ。
寮の門限は夏は19時半までだが、それは遅くまで練習がある運動部に限られる。文化部や部活無所属者は、18時15分までに帰らなければ面倒なことになる。本当は18時までなのだが、15分から20分の間に寮監の点検があるため、その前に戻っておけばとりあえず安心だ。
だが、寮は学校から徒歩で10分くらいの所にあり、何か買い物をするなら寮とは逆方向に行かなければならない。この時間だと、行ってすぐ帰ってくることになる。とても買い物なんかしてる暇は無いだろう。
「うう……。けど、どうしても欲しい物があるんだよぅ」
「明日じゃダメなのか?」
「うん」
「何がいるんだ? それって、代用利かねぇの?」
情けない声を出す昴にそう訊くと、なぜだかそこで会話が止まる。ついでに昴は足も止めてる。なんだ?
怪訝に思いながら俺も立ち止まる。
昴は俯いて何事か考えているようだった。
「どうした?」
「ああ、あのね。ボクの使ってた石鹸が切らしちゃって」
もじもじと消え入るような声で恥ずかしそうにそう言った。
「は? んなもん、俺の使えばいいだろ」
何をそんなに考え何故にそこまで恥ずかしそうにしているのかが、全くもって理解できない。
「う……。あ、あのさ。湊の使ってるのは石鹸だよね?」
「はぁ? 当たり前だろ。食器用洗剤でも使ってると思ったのか?」
「違うよ。えっと、固形物だよね?」
「固形物って……。ああ。そうだけど」
こいつが訊きたかったのはボディソープか固形石鹸かってことらしい。何でそんなこと訊くんだ。本気でどうでもいいことだと思うのだが。
「そっか……」
「? ボディソープよりも固形石鹸の方がお得なのはお前も知ってるだろ」
質さえ無視すればボディソープを買うだけの値段で、固形石鹸三個一パックのやつが確か三パック買える。他の所では知らんが、繁華街にある量販店ではそうだった。だから、貧乏学生である俺はボディソープなんて贅沢な物は買わない使わない。それは、昴も知っているはずなんだが。
「うん。あのさ、未使用のが残ってたり」
「いや。今使ってるのが最後」
「…………」
なんなんだ?
昴は顔を耳まで真っ赤にして黙り込んでしまった。
んん? 今の会話に顔が赤くなるようなワードがあったか? 考えるが、そんなものがあったとは思えない。第一、俺はそう言うのも気にしながら喋ってるからそうそう出るはずが無い。
ううむ。わからん。
「おい昴。お前、なんか変だぞ」
「うぅ。いや、だって……」
ごにょごにょとやっぱり消え入るような声。
ダメだこりゃ。
と、そこまで思ってから思い出した。そういや昴はいつも決まったボディソープを使うんだっけか。
俺は質よりも安さを重視しているが、昴は安さよりも質重視派なのかもしれない。
「ああもう。わぁったわぁった。さっさと行ってさっさと帰ってこようぜ。じゃなきゃ門限に間に合わなくなる」
俺は溜め息と共にそう言うと、さっさと歩みを再開する。行くにしても行かないにしても、いつまでもこうしてたって意味は無い。時間が無為に過ぎていくだけだ。それに、どうも昴は俺の使ってる石鹸を使うのが嫌そうなので、買いに行くしかないだろう。昴は綺麗好きだし。
「あ、待ってよぉ」
昴がぱたぱたと小走りになりながら言うが、一々止まってはやれない。最悪、帰りは全力疾走だな。大丈夫か? 昴って足遅いからなぁ。
「うぅ。湊の……それって、うぅ……」
後ろで何かぶつぶつと呟いているが、ほとんど聞き取れないし独り言だろうから無視しておく。