四話
昴は女の格好をしてはいるが、何も好き好んでそんな格好をしているわけじゃない。確かに、こいつ自身男とは思えないくらいに、むしろそこらの女子よりかかわいいが、だからと言ってこいつが男である事実は変わらないし、女装の趣味は無い。まぁ、かわいいものを嗜好してはいるが。
昴が女の格好をしているのには訳がある。昔から女みたいだった昴はよく男子女子問わずに苛められていた。どころか家の中でさえ、いまだに男尊女卑を謳う父親に暴力をふるわれていた。
苛めはエスカレートし、中学になって俺が転入してきた時点の段階で、それは苛めなんて言うかわいいものから、迫害という名のリンチに変わっていた。それでも、学校へ行かなければ父親に暴力をふるわれ、学校側は日和見となかれ主義を貫いて、苛められる昴に原因があるとして無視していた。
俺が有栖川 昴を知った時には、もう昴は完全に心を病んで壊していた。ただされるがままになって、文句の一つも泣き言も悲鳴ですら上げない。ただの人形と成っていた。
それでも、小っ恥ずかしい正義を振り回していた俺の些細なおせっかいで、昴は笑えるまでに回復したのだが、一度病んで壊れてしまった心は完全には戻らず、『男の格好をしているとまた苛められる』という恐怖から、たとえほんのちょっとでも男のような格好をすることが出来なくなってしまった。実際男の格好をしていたらまた苛められるかどうかはこの際関係無い。問題なのは昴の心と精神で、以来昴は男の格好をすると見ているほうが辛くなるくらい痛々しく病むようになってしまった。
だから、どれだけ昴に似合っていようとも、それは昴の望んでのことじゃないのでそう言ったことを言うのは禁句なのだが……。馬鹿たれだな。俺は。
「んもう。なに暗くなっちゃってるの。み〜ちゃん。昴ちゃんがこんなにもかわいく変身したんだからもう少し感想を言いなさいよ」
だっていうのにこのクサレカマ野郎は場の空気も読まずに、んな事をほざき始めやがった。
けど、まぁ。そのお陰で場の暗い空気はなぜか霧消した。見れば、昴はまた恥ずかしそうにしてるし。
癪だが、感謝してやるべきかね。が、まぁ、とりあえず。
「俺の呼び方を改めろカマ原。てか俺の名を口にするな」
俺はこの三ヶ月で一体何度口に舌かわからない台詞を吐いておく。み〜ちゃんとか、今まで呼ばれたことも無いわ。
「ひどっ。表情がほとんど無だから余計に冷たいわぁん。け・ど。そこが痺れる〜ん」
ぞわり、と背筋が冷えた。思わず俺の右が螺旋を描きながらのストレートを放つ。
「っぶ!」
俺の拳が気持ち悪いカマ原――オカマ川原の略。一般常識的呼称――顔面に見事にヒットする。
「……ふ、ふふ。これが、み〜ちゃんのおて手の感触」
倒れた気持ち悪い奴からそんな気持ち悪い呟きが聞こえた。全身が一気に総毛立つ。特番に組まれたもっともらしい心霊番組なんかよりもよほどリアルな怖さがそこにあった。次元が違う。
「や、や〜それにしもアレだな。劇の衣装にしちゃなんか普通だな」
俺は無理矢理強引に軌道を修正し、昴にそう声をかけてみる。
やたら芝居がかった地に伏し方をするカマ原――既にお気づきかと思うが先輩だとかの認識は俺には一切無い――を心配そうに眺めていた昴は、俺の言葉に反応して向き直った。
「うん。ないようはまだ秘密なんだけど、劇そのものは派手さを控えたモノをやるから、それに合わせると自然とこういう衣装になるんだよ。けど、これでもまだ少し派手過ぎるって意見もあって」
いや。多分それは衣装が、じゃなくて。衣装を着たお前が、だと俺は思うぞ。
そう思うが口にはしない。同じ鉄を踏むような馬鹿はしない。
「ふぅん。なんにしろ、楽しみではあるな」
「無表情で言われても微妙だけど、本当?」
「ああ。なんたって友達の初舞台だ。楽しみにもなるさ」
「――うれしい」
昴は頬を朱に染めてもじもじしだした。
ちょいと昴さんや。そう言った反応をそう言った反則状態でされると、こっちまでやたらと恥ずかしくなってくるので勘弁してください。いやもうマジで。
「あ、ええっと。ボク、着替えてくるね。いいですよね? 部長」
「いいわよ〜ん。なんか皆勝手に解散しちゃってるし。今日はもうお開き」
パンパンと埃をはたきながら立ち上がると、カマ原は昴と一緒に――
「っておいコラ。なんで昴と一緒に奥に引っ込もうとしてるんだ?」
俺は怨嗟の声を放ち、昴と一緒に部室奥のカーテンに仕切られた場所に引っ込もうとしているクソカマを止める。
「やーん。止めないでよぉ。一度でいいから昴ちゃんのお着替えを見たいのよん」
「そうかそうか。――昴。お前はさっさと着替えて来い。オイコラ腐れカマ野郎。ちょっと口をあけてみ?」
不穏な空気を感じ取ったのか、おろおろとしだした昴をさっさと着替えてくるよう言ってから、俺は言われた通りに口を開いているカマ原の顎を殴りつけた。
ガチン! とか言う硬い小気味いい音がした。
「うわ。今のは痛い」「さすがだ円谷」「けどまだ生きてるぞ」「ホントだ」「なんか顔を抑えてばたばたしてるのが気持ち悪ぃな」「いつも気持ち悪いけどな」「そろそろ帰るか」
俺の悪徳アッパーを喰らって打ち上げられた魚のような愉快に気持ち悪い状態になっているカマ原を見て、残っていた部員達は好き勝手に言うだけ言うと帰っていった。
見事なまでに素適な奴らだ。
「ごめん。この衣装、脱ぐのがちょっと難しくて」
暫くすると昴は制服に着替えて出てきた。その手には丁寧に畳まれた、先ほどまで着ていた衣装。
「いや、いいさ。ところで、それってハンガーとかに架けとかなくて良いのか?」
確かああいうドレスとか見たいな服は畳むとしわになるから、ハンガーに架けとかないとまずいんじゃなかったっけ。
「うん、普通はそうなんだけど。倉崎先輩が畳んどけって」
倉崎と言うのは演劇部の衣装やら機材やらの製作修復を担当している手先の器用な二年生で、俺は数回しか顔を合わせたことが無い。見た目がどこかの社長みたいで、絵に書いたような「できる人」だ。
「ふぅん。んじゃ帰るか」
びったんびったんのた打ち回っているカマ原を見てびくついてる昴にそう言うと、俺は部室を出た。
「あ、うん」
遅れて昴も部室を出た。カマ原のことは完全無視。ゴキブリも気持ち悪いオカマもそう簡単に死なないから、無視しておいて問題ない。てか、ちょっとでも構うと付け上がるからな。鬱陶しいくらいに。存在そのものがうるさい奴って始めて見たよ。