十話
「――と」
「…………」
「――湊、朝だよ。いい加減起きてよ!」
ゆっさゆっさと揺らされる。
……眠い。俺の睡眠を妨げるな。
寝たりない頭で、機嫌悪くそう思う。
昨夜は結局、妙に頭が冴えてしまって寝たのは日にちが変わってからだ。だから、すごく眠い。
寝返りを打ちつつ壁際に移動。
「湊。学校、おくれちゃうよ」
むぅ、もうそんな時間なのか? けどまぁ、いいや。今日はサボろう。寝て曜日だ。ちょうど、気持ちのいい声も聞こえることだし……。
ぼけぼけした頭は怠惰を絶賛提唱してくる。俺はそれに従うより他には無いのだった。
完。
「起きないと、お弁当無しにするよ!」
「それは困る」
「あ、起きた」
完結してる場合じゃあない。俺にとって昴の作る弁当を食べるのが、学校へ行く楽しみの一つなのに。それが無くなったら、俺は……俺はどうすれバインダー!
「……あのさ、湊。なにを悶えてるのか知らないけど。着替えようよ。あと、おはよう」
頭を抱えてクネっていた俺は、そこでようやく正気を取り戻した。頭がようやく正常稼動に移行したようだ。
睡眠中と寝起きは頭が鈍りに鈍って困る。鈍った頭は怖い。つい衝動的に変態めいた思考に支配されて奇怪な行動をとりたくなってしまう。恐ろしいことだ。
ともかく
「おはよう、昴。弁当無しは勘弁してくれ」
言いながら、俺は欠伸と伸びを一つ。そして身体をラジオ体操みたいに捻る。捻る。捻って捻って捻る。背骨がぽきぽき鳴って小気味いい。
「うん。ボクも、お弁当食べて欲しいもん」
にこり、と笑みながらそんなことを言う。
……うれしいことを言ってくれる。
気恥ずかしいので、捻り体操を終えた俺はベッドから降りて、話を変える。
「ところで、今何時?」
何気なく訊いてみた。
夏の朝の涼しさは、これ以上ないって位に気持ちがいい。たまに蒸し蒸ししてキレそうになるが。
俺はトランクスとTシャツだけで寝ていたし、燃費が良いのか悪いのか汗なども余りかかないので、朝起きて身体が気持ち悪いということは少ない。
俺は寝巻きとして着ていたTシャツをさっさと脱いでシャツと夏用のカッター、ズボンをハンガーから取って着ていく。
「え、えっとね。今は、八時」
何気ない風を装いながら窓の外に顔を背けつつ、やや上擦った声で昴が時間を告げる。
なるほど。八時か。どうやら、朝食を摂っている時間はないらしい。
内心で朝食が抜きになったことにガックリと肩を落としつつ、洗面に向かう。朝の栄養補給は大事なんだがなぁ……。
洗面所はトイレと一緒になっている。
常々思うのだが、風呂独立、便所と洗面所共同というこの配置はおかしく無いだろうか? いや、まぁワンルームの寮の部屋に風呂と洗面所とトイレがついてるだけで御の字なのだが。これ以上望むのは罰当たりなのかもしれないが。それでも、異を唱えずにはいられない。……実際には唱えず思うだけだが。
コックを捻って水を出す。夏の水道水はどうにも中途半端な冷たさで気持ちが悪い。てか、生温いぞ。うあ、朝からすっげぇ不快。
胸中でウンザリとしながらも時間が差し迫っているので手早く顔を洗い、寝癖を適当に直す。
「さて、と。学校に行きますかね」
準備を済ませた俺は、いつも通りに女子制服に身を包んでいる昴にそう声をかける。最初の頃こそ本当に女子と同じ部屋に居るような錯覚に度々陥ってしまい、精神バランスが子供の遊ぶシーソーみたいにエライ勢いでギッコンバッコンしていたが、今は慣れてしまった。
慣れたことで今は精神バランスがおかしくなることも無いのだが、なんか、慣れたら慣れたでそれはどうなのだろうかと首を捻らずにはいられない。慣れってこえぇ。
「あ、待って湊」
言って、昴は机の上に置いていた物を差し出す。
えへへー、とはにかむように笑う昴に、俺は不覚にも、うっ、などと唸ってしまった。
幸いなことに昴は俺の失態に気付いていない。
「おにぎり、作っておいたんだ。どうせ朝ご飯食べられないだろうと思って」
言う通り、昴の差し出した手の上には、ラップに包まれた丸っこい三角形のおにぎりが二つ。海苔もちゃんと巻いてある。
「まったく。湊ってば何度起こしても起きないんだもん。夜更かしはしない方がいいよ」
やや呆れたふうにそう言ってくるが、その顔は笑っていた。
俺は思わず、お前のせいなんだけど、と言いたくなったが、冷静に考えると俺は男の寝姿他諸々に悶々していたため寝れなかったということになり、それはこれ以上ないくらいに変態的で、何よりそれは昴に対する裏切りと同義だ。
俺は昴にばれないよう、内で自らを罵倒する。――この、馬鹿者が、と。
何にしろ、こういう細かな気遣いが本当にありがたいと思う。本当に。
「サンキュな。んじゃ食いながら登校しよう。流石に食ってたら間に合わねぇし」
俺は礼を述べつつそのおにぎりをもらう。結構ぎりぎりに作ってくれたのだろう、おにぎりはまだ温かく、握ってからそれほど時間が経っていないことがわかる。
こういう時、笑顔の一つでも返せればいいのだが、いかんせん俺の顔面の表情筋は絶賛職務放棄中だ。ピクリ、と僅かには動くが、喜怒哀楽を表すには至らない。
こんな時俺は本当に煩わしく、また昴に対して申し訳なく思う。……無表情で述べられる礼に、どれほどの温かさがあるというのか。
だから、俺は声だけは明るく陽気に振舞う。なにも表情だけが感情を他者に伝えるわけではない。表情で伝えることが出来ないのなら、それ以外の、たとえば声や身振りで現し伝えればいい。それは多少難儀ではあるが、苦ではなく、手段が他に生きているという事実は喜ばしいことだ。
――そのことに気付いけたのは、つい最近だが。
「うん。あ、飲み物は途中の自販機で買ってね」
「……缶で味噌汁ってねぇのかな」
「ないよ」
そんなことを言いながら、いつも通り、けれど今日は少しだけ遅く二人一緒に寮を出た。