第1話 東の京にて
初めまして。近藤勇美29歳、独身です。イサミと書いて、ユミと読んで下さい。
父親が、寿司屋のかたわら剣道の師範をやってる者で。
剣の腕をあやかるべく、剣豪だった新選組局長の名前をつけてくれました。
娘なのにね。女に勇ましくって、どうなんだ……? とか思いますが。ちなみに、御利益あってか剣道は二段です。
私の仕事は板前、つまりは調理師です。都内の老舗料理屋に勤務して7年になります。
父親が小田原で寿司屋を営んでおりまして、近い将来一人娘の私が継ぐ予定でその為の修業の一環ですな。
え? 女の握った寿司なんか食えない?
はいはい、そうおっしゃったお客様が先日もいらっしゃったんですよ。
でもね。女のほうが冷え症や低血圧だったりで、体温は低めなんです。
よって、ネタが温まる、痛む……なんてことはありません! それは偏見、差別です!
って、この間先輩がお客様へキッパリと申し上げて下さいましたよ、うるうる。
突然ですが私。
実はこの先輩が好きなんです。
もう、入店当時からずうーーっと……。先輩のことを密かに慕っておりました。
私より四つ年上の土方敏三センパイは、そりゃあもう格好良いんです。
笑った顔なんか俳優の東山紀之に似てますかねえ。背高ですらりとしてて、白衣がとっても様になる板前です。
名前からして、私はもう運命みたいなモノを感じちゃって。
先輩は、朴訥な仕事一筋の人間です。和食業界にありがちな職人気質の持ち主ですが、情にあつく優しい一面もある方です。
専門学校を出たばかりの新米のペーペーでパープーだった私が、店のカウンターに立つ花板にまでなれたのは先輩のお陰だと思います。
オーナーの親方は高齢なので、バックの厨房にて若い子達の育成に力を注いでます。イスに座りながらね。
客をあしらいながら仕事をする店先には、先輩と二人で入ってます。まあ、ほとんど一日中、先輩の傍らに居るわけですな。
ウチらは良いコンビだと思います。ツーと言えば私はカーと鳴くわけですよ、ハイ。
先輩の仕事の流れの中で、次に何が必要になるのかを考えながら、横目で見つつサポートする訳です。
勿論、自分の仕事も並行してね。あうんの呼吸がなけりゃ、つとまる仕事じゃありません。事実上、女房みたいなもんですな。ハッハッハ。
すみません。
少し、酔っ払ってます。
てゆうか、眠れないのです。
明日。実は会社の慰安旅行で京都へ向うのです。
老朽化の激しい本店のほうが、現在改築工事に入りまして。
そのまま閉店! なんてこともなく、お陰様でこのご時世でも細々と手広く営業してる会社なので、再開のめどもたってます。
その間、店の従業員一同で旅行にでも行くか! てな事になりました。
行き先は、そうだ京都へ行こう! の発想です。
明日はだから、東京駅八重洲口バスターミナルの有楽町寄り、国労会館前に八時集合。八時半には貸し切りバスで京都へ向け出発なんです。
ですが……。
今、夜中の十二時五分ですが、興奮してんのか目が冴えて全く睡魔が訪れません。
薩摩白波のロックを四杯引っ掛けながら、ブログを書いてます。
私ね。今回の旅行で、一勝負しようと企んでます。
長年あたためてきたこの思い……。
今回の旅先で、先輩にぶちかましてみようかと思ってます。
もうね。そろそろ限界なんですよ、私。
だって、29歳ですよ?
親だって、やいのやいのと言ってくる訳ですよ。そろそろ慌てる年だろう? とかって、さりげなく見合い写真みたいな代物を送ってくるんですよ。
辛いんですよ、私も!
好きな男は居る訳ですよ!
朝から晩まで一緒。隣りで付かず離れずで仕事してんです。
河豚の薄造りとか……柳刃包丁を握って身を引いてる先輩なんか、垂涎モノで痺れますから。
痺れると言えば、河豚の毒はテトロドトキシンです。
んなこたあ、どうでもいいか……。
ああああ、酔っ払ってますね。
そりゃあね。
脈の無い相手に勝負を挑むほどKYじゃないです。
学生の頃は派手だったんで、結構遊んでた女子です。その辺の道理はわきまえてます。
先輩とはオフでも仲が良いんです。
店が上がれば、よく二人で呑みに行きます。
旨い店があると聞けば一緒に偵察に行きます。
店の備品を買いに、カッパ橋道具街にだって行きますよ。
開店前は、築地市場へ仕入れに行くのも一緒です。
全部仕事だろうって?
ほっといて下さい。
脈はあるはずなんです。
あったはずなんです。
だけど……。
先輩は去年のちょうど今頃に、婚約者を事故で亡くしてしまいました。
相手の方は店の親方の娘さんで、若女将としても一緒に働いていた方でした。
気立てもよくて愛想も良い。おまけに和服の似合うしっとりした美人で、私なんか逆立ちしたってかなう相手ではありません。
この人になら、先輩をとられても仕方ないかと諦めた矢先に、彼女は車の事故であっけなくこの世を去ってしまったのです。
残された先輩の傷心ぶりといったら、ありませんでしたね……。
今はでも、すっかりと立ち直られて仕事に励まれてます。
彼女の事を忘れたのかどうか、それは何とも分かりません。
あれからそろそろ一年。
だからこの辺で、私もまたケリをつけたくなったのです。
亡くなった若女将には悪いけれど。
私のほうが先に、ずっとずうーーっと先輩の事を好きだったんだ。
切なくて。
苦しくて。
こんな侘しい想いを悶々と抱えながら。
薄暗い部屋で、深夜放送のゆるーーいTV番組を見ながら。
妖怪のように焼酎を舐めるオンナは嫌いですか?
独り寝が寂しすぎます!
冷たいシングルベッドにひとりで横たわるのが、耐えられません。
長い長い夜がたまらなくて、泣きたくなる晩もありますやね。誰か私をプリーズ・ホールドですよ。
くっくっく……。
他に出会いは無いのかって?
河岸の鮪問屋の若旦那に誘われたことだってありますよ。
兜町の証券マンだって私を目当てに店へ通ってくれましたよ。
でもでも、あたしゃ先輩が欲しいんです!
あの人以外にゃ、今はとうてい考えられません。
京都で先輩にコクリますよ、私。ええ! やりますとも!
フラれたら?
その時は……その時は店をキッパリ辞めてしまって、小田原へ帰るつもりなんです。うっうっう……。
今、二時です。
もう一杯呑んでもいいですか?
明日から、二泊三日の京都……。
旅行の支度は済ませてあります。
デンタルフロスも、同室になる仲居のミッチャンのいびきに備え耳栓も用意しました。
サラのシルクの勝負下着だって、バッチリ鞄の底へ仕込んであります。
役に立つ瞬間が訪れるのか。
はたまた撃沈し、最後の慰安旅行参加となるか。
ワクワクして、
ドキドキして。
京の都にて、人生最大の一芝居を打つつもりな私は、興奮しきりです。
まだまだ眠れそうにありません……。
明日、起きれるかなあ……。