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マディリピート(ホラー・恋愛)

この小説は「Arcadia」「作家でごはん」にも投稿させていただいております。

 彼女が繰り返す言葉は誰にでも何にでも向けられている。

 人にも物にも見境なしにその言葉だけを投げかけている。

 でも彼はその言葉が彼だけのものだと思っている様だった。


 彼女の体は空っぽだ、

 彼女の体は外側の殻だけで、背中から伸びる細くて長い一本の管が、彼女の中身の代わりを行う機械に繋がっている。

 意識だって彼女の頭の中には無い。

 部屋の隅に置いてある。

 白い棒の上に取り付けられた透明な球体の中で、もやもやと移ろう橙色の霧が彼女の意識だ。

 一方、僕の体は満たされている。

 僕の中身の代わりをする機械が、僕の体の中に沢山詰め込まれて、僕の体は膨らんでいる。

 両親は僕の体を見て泣いてしまったけど、僕はこの体を気に入っていた。

 頭と手足に比べてとても大きな体、というシルエットはまるで漫画のキャラクターの様だから。

 それにほんの何年か前なら僕は死んでしまっていたのだ。

 死んでいたはずの僕が生きていられるのだから、体の一つや二つ、なんて事ない。

 何よりこの体になったお蔭で僕は彼女に会えたんだから。

 それから僕と彼女はとても似ている。

 僕はそう思っている。

 多分彼女もそう思っていた。

 僕も彼女も命を機械で繋ぎ止めたので、他の人とは少し違った体になっている。

 違うのは、僕は中身が増えて彼女は中身が無くなった事、僕の意識は中にあって彼女の意識は中に無い事。その位。

 だから僕と彼女が友達になったのは多分、運命なんだと思う。


 彼女はとても綺麗だった。

 彼女は病院の一番高い階、十八階の窓から僕を見下ろしていた。

 僕の目は事故の前なんかよりもよっぽど滑らかに彼女へ焦点を当てて、その憂いに満ちた悲しげで儚げな、とても美しい顔を僕の頭の中に映し出した。

 僕は何だか居ても立っても居られなくなって、足を稼働させて彼女が張り付く窓へと跳躍した。

 彼女は驚いた顔で、飛んでくる僕を見守っていてくれた。

 僕が彼女の部屋の窓に辿り着いて外からノックすると、彼女は喜んで窓を開けてくれた。

 僕は何だか映画の中のヒーローになった気がして、恰好を付けて彼女の部屋に降り立つと、彼女はヒーローに助けられたヒロインさながらに、嬉しそうに顔を綻ばせて僕を迎えてくれた。

 彼女は外に出られない事を悲しんでいた。

 彼女は僕と同じ位に酷い事故に遭って、彼女の部屋の中だけでしか生きられない。

 僕も彼女と同じ位に酷い事故に遭って、僕は人の半分の時間だけしか生きられない。

 さっきも言ったけど、僕と彼女は似ている所が多かった。

 違う事と言えば、彼女はとても綺麗で、僕はそんなでも無い事位。

 彼女は人を外見で嫌う様な人じゃないから、僕と彼女は話が合って、すぐに友達になれた。

 入院が苦しいという話はあんまりしなかった。

 偶に何かの拍子に、例えば定期手術の前だとか、定期実験の前だとか、あるいは本や映画で悲劇を見ただとか、外でお祭りがあっただとか、そんな時にはお互い悲しみ合った。

 彼女が自分は本当に人間なのかと悩む事もあった。

 僕は力強く人間だと言った。

 でも彼女は納得しないで、口には出さないけれど良くその事を考えているみたいだった。

 そんな風に暗くなる事もあったけど、普段はそんな話をほとんどしないで、出来るだけ楽しい話をしていた。

 特に将来どんな事をしたいかというのは良く話して、僕はスポーツ選手になりたいと語った。

 別にどんなスポーツでも良いけど、とにかくスポーツ選手。

 彼女は画家と教師になりたいと言っていた。

 美術の先生かと訊いたら、そうじゃなくて趣味で絵を描く先生になりたいんだって。趣味を仕事にしちゃいけないんだとか。

 彼女は僕が大会に出たら応援に来てくれる。僕は彼女が個展を開いたら見に行く。

 もしも僕が有名になったら、彼女の学校に行って子供達に無償でコーチをするなんていうのも面白い。

 そんな話をして将来の事に思いを馳せていた。

 別に叶えられない夢だなんて思っていない。

 百年前の小説には不治の病人が叶わぬ未来を夢見る場面が出てくるけど、今はとても早く医学が進歩する時代、あと数年すれば僕も彼女も普通の人達と同じ暮らしが出来ると言われている。

 だから僕は人よりも寿命が半分でもつらくない。もう少ししたら二倍に伸びるんだから。

 彼女も同じ。もう少ししたら彼女の部屋は太陽系と同じ大きさになる。

 だからほんの時たま落ち込む時以外、僕達は楽しくお喋りをして明るい未来を待っていた。


 でもある時から、僕には気になる事が出来た。

 彼女はとても綺麗だ。きっと外に出たら通り過ぎる男がみんな集まって来るだろう。それにとても頭が良い。僕の知らない事をなんだって知っているし、いつも難しい事を考えていて僕はその考えを理解できない。それから本当ならとても運動が得意で、とても優しいし、とても明るくて、話だって面白い。

 彼女は多分最高の人間なんだと思う。

 今は怪我で閉じ込められているけれど、僕なんかと違って檻の外へ出たら自由に世界中へ羽ばたいていける。

 でも僕は違う。

 僕は多分、元気になった彼女に置いて行かれてしまう。

 もしも彼女の体が治ったら。

 果たして僕は彼女の傍に居られるだろうか。居させてもらえるだろうか。

 もし彼女の怪我が治ったら、僕は彼女に二度と会えないかもしれない。

 万が一何処かで会えても、忘れられているかもしれない。

 人生は一期一会。彼女に教わった言葉だけど、世の中そんなものかもしれない。それは仕方の無い事かもしれない。

 でも、僕はどうしてもそれが受け入れられなかった。


 そしてその日が来た。

 彼女の体は遂に元の体に戻る時が来た。

 彼女は嬉しそうに語っていた。

 怪我が治ると。

 これで外に出られると。

 色んな事が出来る様になると。

 僕の事も沢山語ってくれた。

 僕の病気が治ったら一緒に外で遊ぼうと。

 二人の夢を叶えるんだと。

 でも僕には彼女の態度が余所余所しく思えて、何だか二度と僕に会わないという意思表示に思えた。


 僕は夜中に彼女の部屋に忍び込んだ。

 忍び込むというのはちょっと言い過ぎかもしれない。

 ただ受付の人に、明日手術をする彼女をどうしても励ましたいと言って通してもらっただけだから。

 受付の人は最初は渋っていたし、夜中の訪問を咎めてきたけど、僕と彼女の中が良かった事は知っていたから頼み込むうちに許してくれた。

 だからただ普通に彼女の部屋に行っただけなのだけど、僕の心境としては忍び込んだというのがしっくりくる。

 とてもどきどきしながら彼女の部屋に入った。

 夜中に女の子の部屋を訪れるというのも緊張したし、夜中の病院というのも怖いし、それにこれからやる事を思うとどうしても不安だった。

 彼女の部屋には空っぽの彼女と、彼女の中身の代わり、それから部屋の隅に彼女の意識があった。

 空っぽの彼女は寝息を立ててその空っぽの体を上下させている。

 何処から見ても生きている様にしか見えない。

 初めて彼女を見た人はきっと彼女の中身が空っぽなんて信じられないだろうし、僕だって彼女と話している時にふと彼女が実は健康なんじゃないかと思う時がある。

 でも、彼女は空っぽだ。

 でも、明日からは空っぽじゃなくなる。

 何となく裏切られた気になった。

 彼女の中身の代わりはちかちかと光っている。

 彼女が健康な証だ。

 それが嬉しいと同時に、明日になったらこれが全て消えるのかと思うと悲しくなった。

 彼女の意識は透明の球の中で揺らめいている。

 彼女が起きている時よりも随分と密やかに震えていた。

 これが明日彼女の身に入る事になる。

 そう思うと何だか不思議な感じがした。


 僕はしばらく悩んでいたけれど、決心して彼女の意識へと近付いた。

 彼女はいつもこの意識にだけは近寄らせてくれなかった。

 とっても脆くて壊れやすいからだと言っていた。

 目の前で見ると確かにそれは触れれば壊れてしまいそうだった。

 いとも呆気無く彼女は死んでしまうのだろう。

 早くこの意識が彼女の中に入って、決して壊れない様になって欲しい。

 けれどその前にやらなくちゃいけない事がある。

 彼女の意識を収めた球へとゆっくり手を近付けていった。

 僕はきっとこのままでは彼女に忘れられてしまうに違いない。

 そんなのは嫌だ。

 だから僕は彼女の意識に僕をしっかりと残しておこうと思った。

 彼女の意識に触れて、僕の名残をその中へと残したかった。

 ゆっくりとゆっくりと指が球に近付いて、触れるとまるで空気の様に感触も無く突き抜けた。

 そのまま彼女の意識へと近付き、霧に指が掛かって、じんわりと生温いくすぐったい感触がした瞬間、彼女の意識が橙色から赤へ、そして黄色、緑、黒、青とカラフルに光り輝き始めた。

 更に彼女の空っぽの体から突然低く重苦しい唸り声が聞こえて来て、彼女の代わりを務める機械達が一斉にがたがたと揺れ始めた。

 彼女の意識はその間にもどんどんと色が変わり、終いには光り輝き始めた。

 彼女の中身はどすんどすんと跳び始め、彼女の体もそれに合わせて腕を振り回し足をめちゃくちゃに動かして踊り始めた。

 僕が慌てて球から手を引きぬいても、彼女の部屋の狂乱は激しさを増すばかりで一向に収まらない。

 僕は怖くなって逃げ出そうと部屋の中から飛び出した。

 それから廊下を走ってもう少しで受付の扉という所で、僕は立ち止まった。

 このまま逃げ帰ったら彼女が死んでしまう。

 そう考えるとどうしても僕は境界の外へと出られなかった。

 僕は、何度も何度も思考を回して、粘性の音を立てながら働く僕の新しい脳味噌を働かせて、そして彼女の部屋へと駆け戻った。

 彼女の部屋に戻ると、まるで終末を告げる様な気の違った荒れ狂う宴が繰り広げられていた。

 僕は勇気を出して飛び交う機械を避けながら、彼女の意識に近付いた。

 僕が触れて壊してしまったのなら、もう一度触れば。

 全く当てにならない推測だったけれど、それしか解決策は思いつかなかった。

 そして彼女の意識に手を入れると、それで部屋は落ち着いた。

 意識は今までと同じ橙色に、部屋の機械はまたぴこぴこと光を発し彼女が健康だと告げている。

 彼女の空っぽの体は──起き上がって僕の方を向いていた。

 眠たそうな目を擦って、僕を見つめていた。

 僕は謝ろうと彼女に近寄ると、彼女は口をゆっくりと開いて言った。


「あなたは誰?」



 その後、彼女の部屋には沢山の人が集まって、僕は外へと連れ出されて、自分の部屋に入れられた。

 大人しくしている様に言われたので、大人しくしていると、やがて穏やかな顔をした三人、僕の担当医と彼女の担当医とそれから医者とは少し違う白衣を着た人が僕の部屋へと入って来た。

 僕はてっきり怒られるのかと思っていたけど、予想に反して、彼女の部屋で何かあったかを優しく聞かれただけで、特にお咎めは無かった。

 僕は彼女に会いたいと言うと、それもすぐに許可してくれて、そのまま彼女の元へと連れて行かれた。

 また彼女に会えるのは嬉しい。

 でも、さっきの彼女の言葉が僕の心に引っかかっていた。

 僕は忘れられてしまっている。

 仕方の無い事だ。

 僕が悪いんだから。

 とても悲しい。

 けれど、また彼女に会えるのはとても嬉しかった。

 忘れられてしまったのなら、また憶えてもらえば良い。

 彼女の体が健康になって外に出ても僕の事を憶えていてもらえる様にすれば良い。

 だから彼女に謝って、何度も謝って、それで許してもらって、それで新しい友情を築くんだ。

 もう二度と不安にならない位に強い絆。

 もう二度と彼女に危害を加えない為の優しい絆。


 嬉しい事に──複雑だけどやっぱり嬉しい事だ──彼女は健康にはならなかった。

 手術は中止になって、彼女はしばらく同じ空っぽの体で暮らすんだと、彼女の主治医が言っていた。

 彼女には申し訳ないと思ってはいるけれど、また一緒に居られるのはとても嬉しかった。

 一方悲しい事に、彼女が僕の事をどうしても憶えてくれない。

 僕がどんなに呼びかけてもどんな事をして見せても、彼女はいつも微笑んで「あなたは誰?」と繰り返す。

 幾ら彼女にあっても彼女は僕の事を憶えてくれない。

 もう半年。

 けれど僕は諦めない。

 きっとまたいつか、昔の様な友達になれると信じている。

 そうして二人の夢を叶えるのだ。

 僕が彼女の部屋に入ると彼女が言った。


「あなたは誰?」

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