大人vs子供(戦争もの?)
兵士が嬉々として私に向かって喋っている。自分達は正しいのだと熱弁を振るっている。鼻先僅か十センチの所で私に向かって唾を飛ばし続ける兵士は、次の瞬間、飛来した弾丸によって頭が破裂して亡くなった。
私はすぐさまカメラを構えるがもう遅い。決定的な瞬間は既に過ぎ去って、兵士はそのまま横倒しになり、塹壕の壁に肩をぶつけて止まった。私はその姿を何枚か撮る。
撮った写真を検めてみると、中々に奇妙な写真が出来上がっていた。首の無い兵士が体を横に傾けて荒い岩肌に身を預けている。何かで見たなと思った。ああ、良く電車で見る姿だと思った。けれど頭が無い。それだけが違う。
まだ中にも満たない私と同じ位の年頃で、この戦場に来る途中も戦場に着いて戦闘が始まってからも、ずっと明るく話しかけてくれた兵士がたったの一瞬で死んだ。余韻も何も無い。それがこの国で起きている現実なんだと思うと、これは良い記事になるぞと情熱が湧きたった。
「さて」
何とはなしに呟いて、今度はどの兵士に付こうかと塹壕の通路を見渡した。私の目的は取材だ。喋れなくなった兵士と一緒に居ても仕方が無い。兵隊は統率など無い様子で一人一人が各々離れた場所に陣取り、勝手に銃を撃っては隠れるを繰り返している。
私は、一番近くの十メートル程離れた場所で一心不乱に銃を撃つ兵士を次の寄生先に決めた。
私は慎重に中腰になって、身をかがめた状態で歩き出した。首を失った兵士の横を通り過ぎ──ようとして、兵士の死体に足をぶつけてしまい、死体が倒れた。倒れた拍子に死体の銃が暴発して塹壕の中を跳弾する。
どこをどう飛んだのかは知らないが、それが私の次の寄生先予定を打ち抜いた様で、寄生先予定さんは足を抱えて蹲り、こちらを睨みつけてきた。
やっちゃったと何か言い訳をしようと考えていると、睨みつけてきた予定さんの眼が唐突に見開かれた。しばしその口を戦慄かせる。そうして予定さんは大きく口を開けて機器を口に押し当てて悲鳴の様な声で叫んだ。
「仲間が死んだ! 死んじゃった!」
そうして立ち上がり、塹壕を越えて、敵に背中を見せて逃げ始めた。私が呆気にとられていると、反対から悲鳴が聞こえた。
振り返ると、塹壕によじ登ろうとした姿勢のまま兵士が背中を赤く染めている。その向こうには別の兵士が塹壕をよじ登って逃げ去る所だった。
まさかと思って私も塹壕を登って外に出る。法律では記者の私は撃たれないはずだが、戦場という混乱の最中で撃たれない保証はない。私はこの国の神様に祈りながら、這い出して低く顔を上げた。
塹壕の外では大勢の兵士達が敵に背を向けて逃亡していた。頭を下げる事すらせずに、ただひたすらに逃げ惑っている。中にはその背を撃たれて倒れる者も居る。塹壕に兵士の姿はまばらだ。そのほとんどが動かないし、動いている者もまともに動けていない。それなのに逃げる兵士達は誰一人として振り返る者は居ない。
冗談かと思った。私の中の兵士とは、それなりに統率がとれて、それなりに名誉を重んじて、それなりに仲間を大切にする者の事だったが、今目の前に居る兵士達はたった一人の死に、たった一人の言葉に慌てふためいて、てんでばらばらに名誉も仲間も捨てて逃げ去る絶好の的達だ。銃を捨てていないのは、辛うじて残る誇りの為か、あるいは胸を覆い尽くす恐怖の為か。分からないが、戦場を捨てる癖に銃だけを捨てないその姿はひどく意地汚く見えた。やはり子供の国なのだと、明確な論理も無くそう思う。
私も兵士達の後に続く。私もまたカメラだけは捨てずに逃げ惑う。逃げ惑う兵士と同じ。子供とおんなじ。やはり私は子供なのかなと、分かり切った事を思った。
しばらく走ると段々銃声が鳴り止み、前を行く兵士達の歩みも緩み始めた。次第にその身を寄り添わせ始めて、隊列も何も無いただ寄り集まっただけではあるものの、少しずつ軍隊らしくなる。振り返ると、何人か息も絶え絶えな様子で歩いている。恐らく見えない位後ろにも同じ様なのが居るのだろう。
歩みは更に遅くなり、私の普段の歩行速度とそう変わりなくなった時、突然一番先頭の兵士が振り返って叫んだ。
「なあ、これで良いのか?」
その声は震えている。
「仲間達がみんな後ろに残されているのに私達だけ逃げて良いのか?」
皆が歩みを止めた。静まり返って風の音だけが聞こえる。
「でも」
誰かの弱気な呟きが聞こえた。
「戻ろうよ」
弱気な言葉を上塗りする様に、誰かが呟いた。その途端に打って変わって辺りは、そうだそうだの大音声となった。
「誰かあれ掛けて」
穏やかな調子の曲が流れてくる。草原で友達と遊ぶ楽しさを歌った曲。そんな場面を味わった事が無いとしても何故か郷愁を感じさせる、そんな曲。世界の大多数である年配者達には激しさが足りないと忌み嫌われる反骨の曲。
戦場の殺伐とした雰囲気とはまるで違う、けれど大人達への反抗の曲としてはとても適切なその曲を聞いた途端、今迄怯えに怯えていた兵隊達は反撃というたった一つの目的に向かって心を一にして、たちまちの内に壮盛な表情を浮かべた。一人が来た道を戻る。それに皆が続く。穏やかな曲に似合わぬ勇敢な行進が始まった。
彼等は恐れを知らぬ進撃を続け、勝利に油断していた敵軍を徹底的に叩きつぶし、その先の前哨基地までも奪い取った。
「そうだな。その方が良いかもな。きっとそっちの方が安全だよ」
指揮官の言葉に私は微笑んで頭を下げる。
「よろしくお願いします」
ここは元敵軍の前哨基地の一角、帷幕の中。外では今までいたであろう敵の代わりに、勝利に湧いたこの国の軍が楽しそうに騒ぎ合っている。だが私はあまり興味が無い。私はこの国の兵士ではなく、この国を取材に来た記者だから。
記者の私には刻限が設けられている。それが今日だ。戦場はもう十分撮ったのだし次は別の場所を取材したい。
「この方を第三研究施設まで」
二人の兵士が帷幕に入って来る。
「ついでに研究施設の案内もして差し上げろ」
「はーい」
「分かりましたー」
「それじゃあ、この二人に付いて行ってよ」
「はい、何から何までありがとうございます」
司令官が嬉しそうに笑う。
「お前みたいな子供が世界を股に掛けて活躍してくれれば、私達の国にも良い影響が出るからな」
私も笑う。
「確かにこの国の実情を公表すれば注目は間違いなしでしょうね」
「何せこの国に入ったのはお前だけだからな」
「ではお礼にあなた達の利益になる記事を書かせていただきますよ」
「ありがとう」
司令官が手を振って来たので、私はそれに会釈を返して帷幕の外に出た。外に出ると車が一台止まっていた。案内役の片方が運転席に乗り込み、もう片方は先に後部座席に乗り込んで私へと手を伸ばしてきた。車は私の身長と同じ高さまで浮き上がっているので、身軽な兵士と違って私一人では乗れそうにない。私は素直にその手に掴まって引き上げてもらった。
しかし何でこの車はこんなに浮いているのだろう。荒地仕様で多少の凹凸を気にしない為? それにしても乗り込む時くらい、浮遊を切れば良い気もするが。何か戦場ならではの工夫なのだろうか。
悩んでも仕方が無いので、私と共に後部座席に座る兵士に聞いてみる。
どうしてこの車を地面に下ろさなかったんですか?
下ろせないから。壊れてるのー。浮いていないと、浮けなくなっちゃうの。
そんな理由か。何か面白い理由でもあるのかと期待した私が馬鹿だった。壊れているとの事で不安だったが、車はつつがなく出発して、陣地の中を進んでいく。途中、兵士達が敵国の兵士を殺している場面に出くわした。敵国の兵士は大半が兵士達よりも年をとったいわゆる大人達だが、中には兵士達よりも年下の人も殺されている。
あれは?
あれ?
あそこで、処刑されているのは、大人の国の方々ですよね?
そうだねー。
中には私達よりも幼い者も紛れているみたいですが、あれも大人の国の方ですか?
そうだよー。
裏切り者とかではなく?
裏切り者って?
つまりあなた達の国から離脱して大人の国に味方付いた方ではないのですか?
違うって。みんな大人の国の人達。
大人の国にだって子供は居るよ。運転席の兵士が口を挟んできた。
それは分かっている。分かっているが、何だか子供の国が子供を殺すというのはおかしい気がした。
苛々するなぁ。運転席の兵士がぼやいた。真横では処刑というには嗜虐趣味に走り過ぎた虐殺が行われている。その虐殺を見る運転席の兵士の横顔は、実につまらなそうだ。
どうかしましたか?
大人達の奴等どんどん子供を産んでいるんだなって思うと苛々する。
私の頭にこの国に関する情報が並ぶ。大人と子供に分かれる前のこの国は世界有数の大国だった。豊かな経済、発達した科学技術。子供を産む手段にしても、首都にある受精孵卵器は最新鋭の物だった。子供達が行動を起こした際には真っ先に首都を制圧して勢力を拡大した。つまり最新鋭の受精孵卵器も子供達の手中にあるはずで、大人側はというと焦りに焦って急遽他国から廃棄されかけの受精孵卵器を購入してきたが、数世代前の型落ち機械で生産は思う様にいっていないと聞いている。つまり単純に新たな人間を生産する能力は子供側の方が高いはずなのだけれど。
受精孵卵器に異常でもあったのですか?
え? あ、そういう事じゃないよ! ただ卵子の数が足りなくて。向こうは幾らでもあるのに。
成程。子供の国は大人の国よりも人口が少ない。その上、受精可能な卵子を提供できる人と限定すれば更にその差は広がる。
ちょっとずつは増えてるけど、やっぱり向こうの国と比べるとまだまだなんだ。
それはそうだ。特定の年齢以上がすっぽりといない歪な年齢分布が直るには、まだ数十年掛かるだろう。この戦争の行く末はどうなるのだろう。始めこそ優勢だった子供の国は段々と押し返され始めている。世界の見解ではいずれ大人の国が勝つだろうとの事だった。それに反して、子供の国が勝つのだろうか。あるいは二つの国がいがみ合いながら共存する事になるのか。もしもこの戦争が何十年と続けばこの戦争の意味自体変わるだろう。大人に反抗する子供という図式ではなくなる。きっと昔から闘っている憎い敵との戦いになるに違いない。
そんな事を考えていると、車は陣地を抜けて荒野にでた。何となく気が緩む。この国に潜入する事に決まってから今の今迄、ずっと緊張が続いていたから疲れた。眠いなぁと思った。目の前には草原が広がって、私と友達がボールと人形を持って飛び跳ねている。
「あのねー」
眠りかかっていた私の意識を隣に座る兵士の声が覚醒してくれた。
「私もやっと卵子が作れる様になったの」
兵士の柔らかな声が心を和ませてくれる。私は、この車の中で位は、記者ではなく、私で居ようと思った。
「それはおめでとう」
「だからね、こいつと一緒になるの」
そう言って、運転席の兵士を指した。
一緒に? 咄嗟に意味が掴みかねた、
私「一緒にって何?」運転席の兵士「一緒になるって事」私「良く分かんない」私の隣の兵士「私達の国だと一緒になると、一度だけその相手との子供を作ってくれるの」
そんな慣習あったっけ? この国の資料の中にそんな記述は無かった。
私の隣の兵士「最近、そう決まったの」私「そっか、新しい国だから新しい決まりが出来るんだ」私の隣の兵士「そうそう。子供がどこで育てられるかは分からないけど、二人の子供がこの国に居るんだって思うと嬉しくなるんだって。お姉ちゃんが言ってた」
昔読んだ本の記述を思い出した。
私「結婚っていうのだね」私の隣の兵士「結婚?」運転席の兵士「結婚て何?」私「二人が一緒に生きますよって周りに認めてもらう契約なんだって」
二人の兵士が私の話を興味深げに聞いてくれるので、私は何だか楽しくなる。
私「それはとっても嬉しい事なんだって」
そこで私の隣の兵士がうーんと悩む様な声を出した。
私の隣の兵士「嬉しい事ならどうして今は結婚無くなっちゃったんだろう」私「何でだろう?」運転席の兵士「何でだろう?」
三人で考えても分からない。多分昔に色々あったのだろう。
私の隣の兵士「じゃあ私今度提案してみる」運転席の兵士「それで採用されたら、私と結婚してよ」私の隣の兵士「良いよ!」
ふと空を見上げると、何処までも晴れ渡っていて、辺りに広がる荒野も彼方に見える稜線も綺麗に思えて、穏やかな陽気がとても心地よかった。
途中幾つかの町を過ぎて、何度か休憩しながら、車は遂に第三研究施設に着いた。幾つもの研究機関が集まる一つの巨大な町なんだと説明された。確かに施設を囲む壁は左右に何処までも続いていている。入り口の前まで行くと、門が開き、その向こうにとても幅の広い道路とその脇の背の低い建物達が私を迎えてくれた。
ゲームをしていた門衛が画面から目を離して私達に話しかけてきた。
「何だか御頭が来るらしいよ」
「本当に?」
「うん、その記者の人に会いたいんだって」
「へえ、凄いじゃん」
「あ、それと明日一斉攻撃をするらしいよ」
「一斉攻撃?」
「何か国中のみんなで集まって攻撃するみたい。それで相手の首都まで落としちゃうんだって」
「本当に? そうしたら勝ったも同然じゃん」
「だよなぁ。だから荷物をまとめておけって。今日の夜には出発するらしいよ」
「分かった。でも何で今迄やらなかったんだろう?」
「やっぱり相手の航空戦力が強いんだって。今迄もそれで散々負けて来たし」
「それはどうするの?」
「何だか囮を使うらしいよ」
「囮になった人達は死んじゃわない?」
「死んじゃうだろうなぁ」
「そっかぁ。残念だね」
その時、門衛のゲームから異常音が鳴った。
「あ、負けた」
「あ、ごめんね邪魔しちゃって」
車が進み、門衛は再びゲームに戻った。
私の隣の兵士「一斉攻撃かぁ」私「賭けに近いんじゃないの?」運転席の兵士「そうかもね」私の隣の兵士「でもお姉ちゃんが前に、このままだと段々押されていくからこの辺りで何とかしないとって言ってた」私「外で聞いていると、子供の国は五年前の立ち上がりこそ良かったけど、最近は段々押され始めているって言われているしね」私の隣の兵士「今じゃ、国土も向こうの国と半分こになっちゃってるし」私「今が決め時なのかもね」運転席の兵士「でも囮かぁ」
運転席の兵士は沈んだ声で、知り合いがなったら嫌だなぁと言った。私も私の隣の兵士も答えない。しばらく沈黙が流れて、運転席の兵士が唐突に元気な声を上げた。
運転席の兵士「大統領が来るんだってさ」私の隣の兵士「王様かぁ。やっぱり記者って凄いんだね」私「どうだろう?」
国のトップと会うなんて初めてだ。何だか緊張する。
私の隣の兵士「それでどの施設から見たい?」私「今日一日しか居られないから──」運転席の兵士「そうなの?」私「うん、帰らないと」私の隣の兵士「じゃあ一つ位しか見せてあげられないね」
一つか。それならあそこだけはどうしても見たい。きっと何か良いネタがあるに違いない。
私「大きな兵器を作っている所を見たいんだけど」私の隣の兵士「ああ、あそこね、私も最初見学した時びっくりしたよ」運転席の兵士「カッコ良いよ!」
車は完全に区画整理された街並みを進み、二度曲がって巨大な施設の前に来た。入り口の前には沢山の人が私を迎える為に並んでいた。
降りた途端に、真ん中に立っていた一番年上の研究員が私に駆け寄ってくる。
「ようこそ! 良く来てくれました」
その背後では別の研究員達が両手を上げながらやったーと喜びあっている。何かあったのだろうか? 私は気になって尋ねた。
「どうかしたんですか?」
「あなたが何処の施設に最初に来るのかみんな気にしていたんですよ。一番最初に来たところが一番重要な施設なんだから」
「成程」
「嬉しいです。他の奴等の悔しがっている顔が目に浮かぶなぁ。この次は何処に行くんですか? やっぱり精神伝達施設あたりかな?」
「いえ、今日帰る予定ですし、この研究所だけにしようかと」
途端に静まり返り、次の瞬間には巨大な歓声に変わった。
よくよく道中を思い出してみれば、他の建物の前にも研究員達が横並びになって私をじっと見つめてきた。あれは私に来て欲しかったのか。何だか申し訳ない気がした。
「写真撮りません? 写真。あ、私この研究所の所長なんですけど」
私がカメラを取り出すと、他の研究員達も集まって来る。私を連れて来てくれた二人の兵士も私の前の人垣に加わった。
押し合いへし合いする人々を撮る。するとまた歓声が上がった。
「世界中に俺達が載るぞ」
「化粧してきて良かった」
「人気者になったら困るなぁ」
そんな事を話し合っている。私は何だか手持無沙汰になって、彼等の後ろで天を摩す様な施設を観察し続けた。とはいっても、のっぺりとした外壁が何処までも続いているだけで、取りたてて目を見張る様なものでも無い。しかし、それ以外を見ようとすると、他の研究施設の入り口で恨めしそうな顔をしている研究員達が目に映るので、空を見ているしかない。
しばらくしてようやく騒ぎが一段落した様で、所長がやって来た。
「それでは案内いたします。どうぞ」
施設の入り口を通って、内部に入ると、中は外観と変わらずどこまでも続く様に高く、そしてそのあちらこちらに何だか大きな機械が沢山浮いていて、そこに壁から伸びる機械と宙に浮かぶ人が張り付いて何やら作業をしている。大きな機械を作る研究施設としては極めて一般的だ。
「どうです? 凄いでしょう?」
カメラを構える私に所長は実に誇らしげに言った。私がカメラを構えている事は気にしていないらしい。何枚か写真を撮っても咎めてこない。良いのかな? 軍事機密みたいなのに。
「そうですね。こんなに巨大な施設は初めてです」
私が世辞を言うと、所長は益々得意げになった。だが瞬く間に一転不安げな顔になる。
「でも実はあまり上手くいっていないんですよ」
「そうなのですか?」
エレベーターに乗り込み、上昇する。
「巨大ロボットだとか、衛星兵器とか色々と考えたんですけど、上手くいかなくて」
所長が指差した。そこには人型の巨大な機械がある。だがその周りには人も機械も張り付いていない。
「あれなんかも、諦めて凍結しちゃったんですよ」
「色々とご苦労が」
「そうなんですよ。予算とかもあるし、みんな作りたい物が違うし。ちゃんと完成出来た物は実の所まだ無い」
エレベーターは更に上昇して、天井も通り過ぎ、最上階へと着いた。
「でもこれだけは絶対に完成させます」
そこには巨大な球体から無数の枝が飛び出た様な良く分からない機械があった。外見だけ見ると何だか凄そうに見える。
「これは何ですか?」
「平和にする機械です」
「というと?」
「辺り一帯にいる人から戦う気を失くす機械です。この国の領土よりも更に先まで届きます。これがあれば戦争は無くなって平和になる」
それが本当なら確かに凄い。だが、
「それだと子供の国も戦意を失いませんか?」
「そうですよ。でもそれで良いんです。国民の中で本当に戦争をしたいなんて思っている者は居ない。現状が維持できるならそれでいいと思っている。けれど大人の国が攻めてくるから戦わざるを得ない。相手を倒さないと安心できない。でもこの機械があれば、この機械を作動させれば、この国に攻め込もうとしても途中で攻める気を失って、この国は保たれる。平和になるんです」
平和にする機械。確かにこれは凄いかもしれない。
「これはいつごろ出来上がりそうなんですか?」
「それがまだまだ。全く見通しが立っていません。はっきり言って、今のこれはただの張りぼてに近いです」
「成程。やはり素晴らしい研究には時間が掛かるのですね?」
「そうです! そうなんですよ。けれどあなたの様に分かってくれる人が少ないのが実情なんです」
私は平和になる機械の写真を何枚か撮った。確かに機械は出来ていないのかもしれないけれど、写真で見ると何だか凄そうな機械に見える。私は満足して写真をしまった。
「所長、大統領がこちらに?」
新たな研究員が一人エレベーターを降りてやって来た。
「もう来たのか。もっと色々とお見せしたかったのに」
所長が私を見て残念そうに言った。
「今度また来た時に」
私はやって来た研究員に連れられて下へと降りる。よくよく見れば、浮かぶ機械の内の半分位は凍結されている様だった。エレベーターが止まり、研究員に連れられて、一階の一室に案内された。研究員は外で待機する様子で、私だけが一人中に入った。
中には大人がいた。青年と言った方が良いのかもしれない。けれど大人と子供の区分で分ければ、私は目の前の人間を大人に分類する。
何も驚く事は無い。大人の国に子供が居るのだから、子供の国に大人が居て何の不思議があるのだろう。建国から五年、子供が大人になるには十分な時間だ。それでも私は何だかしっくりと来ない驚きに似た感情を抱いた。
「初めまして。この国のリーダーです。お時間をいただきありがとうございます」
リーダーは手を差し出してきた。私がそれを握り返す。この国の誰の手よりも大きい。
「こちらこそ、お忙しい中ありがとうございます」
「本当ならゆっくり夕食でもといきたかったのですが、生憎と」
「私も今日には帰らないといけないので」
「お互い忙しい身ですね」
リーダーが笑った。私も微笑む。そうして一枚撮った。リーダーが眩しそうに目をぶつってまた笑う。
「今日はどんな理由でここに来たのですか? 査察か何か?」
「あなたに会ってみたくて」
「それはありがとうございます。何か私に御用があるのですか?」
「いえ、そういう訳ではないんです。ただ密入国した子供の記者がどんな方なのか興味があって」
「その節は申し訳ありません。それに恩赦を頂きましてありがとうございます」
「いえいえ、敵国の者でもないのにそう簡単に子供を殺したりはしませんよ。ま、私はただどんな方なのかお会いしたかっただけです。反面、あなたは記者ですから私に聞きたい事もあるんじゃないですか?」
「そうですね。あなたは余り記者達の前で発言をしない、失礼な言い方をすれば何を考えているのか分からない大物な訳ですし」
「すみません。恥ずかしがり屋なものでね。でも今回は答えましょう。何か聞きたい事はありますか?」
「聞きたい事と言うよりは、あなたが伝えたい事を話して欲しいと思います。あなたの言葉を語って欲しい」
「伝えたい事……」
「どんな事でも構いません」
「では」
そこでリーダーは遠く懐かしむ様な目付きで私の頭上を眺めてから大きく息を吐き出した。
「どうして私がこの戦争を起こしたかを話させていただきます」
「誰もが気になっていた事ですね。どうぞよろしくお願いします」
「はい。とはいっても、他国で流れている憶測の通りなんですけどね。簡単に言えば、子供の権利を拡充したかった」
「昔から議論がなされている問題ですね」
「そうです。遥か昔ならいざ知らず、教育の発達した今では子供と大人の差は、体力と経験だけです。それなのに未だに子供の考えは大人の考えよりも遥かに劣ると考えられている」
「ですが、権利の格差は是正されているのでは?」
「確かに権利は広がって来ている。代表的なものですと参政権ですか?」
「今では九十九パーセントの国が零歳児から参政権を与えていますしね」
「ええ。ですが意識の問題として、それに社会の慣習としてやはり依然として大人が子供を支配している」
「成程。確かになんだかんだ言っても上に立つ者は大人が多い。大人と子供の格差を語る上で、良く問題視されていますね」
「私はそれを何とかしたかった」
リーダーはまたどこか遠くを見る。
「まずは会社を興した。世界で有数の企業にした。子供の能力は十分通じる事を示した。ところが一定以上大きくなると潰された。私の会社は急に出来た法律によって解体された。それを是正しようと政治家になった。圧倒的な票数で当選して、更に政界内での勢力も拡大していった。けれどそこまで。子供の議員数が三分の一を超えるとニュースで話題になった瞬間、子供に票が入らなくなり、更には子供の参政権を取り上げるかどうかの議論になった」
「大人が子供を潰した訳ですね」
「そうです。だから決起したんですよ。最初は上手くいきました。子供全員、すなわち人口の五分の一が周到に準備して同時決起したのですから、油断していた奴等に負ける訳が無い。首都を制圧し、軍部を掌握した時は本当に嬉しかった」
そしてリーダーの顔が陰る。
「でもそこまでだった。やはり子供の成功を大人は潰そうとする。当初の計画では、優位に立った上でこちらが譲歩し、お互いが矛を収めて、二つの国に分かれ、私達の国では子供達が認められる国を作ろうとした」
「大人を潰そうとした訳では無かったのですね?」
「勿論です。恨みはありますが、それを言っても仕方が無い。私達の目的はあくまで子供と大人に差の無い世界です。なのにその世界で大人を区別して恨んではおかしいでしょう?」
「その為の講和と」
「はい」
「けれどそれが出来なかった?」
「……はい。徹底的に講和を拒まれました。何度も何度も申し込んで全部拒まれた。不思議に思って調べてみると、各国が大人の国を援助している事が分かった。子供の決起が起こる事を恐れて、前例である私達を潰す為にですね。どの国も表向きは子供の権利拡充を掲げていますから、裏からこっそりとですがね」
「成程。その結果大人達は段々と盛り返してきた訳ですね」
「今では五分五分。この状況が続けば、私達はいずれ負けるでしょう」
「だから今、賭けに近い一斉攻撃に出るのですね?」
リーダーの口が止まる。驚いた様子で私を見た。私は微笑んで頷いた。
「あちこちで囁かれていましたので」
「そうか。やはり緩んでいるんだろうな。あなたが子供だからというのもあるんでしょうけど」
「軍事機密に近い写真を何枚も撮らせていただきましたし」
「注意しておきます」
「写真は使っても?」
駄目もとで聞いてみた。当然駄目と言われても使うが、使って良いと言われるに越した事は無い。
「良いですよ」
「良いんですか?」
「はい。どうせ使うのでしょう?」
図星だ。
「だったらお互い良い関係を続けたい。それにあなたの様な子供が活躍すれば私達の国にとっても良い影響がある」
「ありがとうございます。この写真はあなた達の国の為に使わせていただきます」
その時、部屋の中に研究員が入って来た。
「失礼いたします」
「どうしました?」
大統領が尋ねる。
「何でも国境に記者様の知り合いのははおやさんという方が来ているそうで」
「え? お母さんもう来たの?」
時計を見ると、まだ約束の刻限には遠い。きっと早めに来てくれたのだろう。ぎりぎりでも良かったのに。
「残念だけれど、今日はもう御開きになるのかな」
「いえ、母の事は気にしないでください。もう少しだけ」
「御両親は大事ですか?」
「それは、確かに大事ですが」
「私達の国、子供と大人に分かれる前の国の事です、私達の国には親というものがありませんでした。だから両親というものに対してどんな気持ちを抱くのかは知りません。けれど素晴らしい物だと聞いている。どうか大切にしてください」
そう言われては引き下がるしかない。
「分かりました。一斉攻撃の成功を、ひいてはこの戦争の勝利をお祈りいたしております」
私が頭を下げて引き下がろうとすると、リーダーは尚もぼんやりと言った。
「昔の私は何度断られても、交渉が成功すると信じつづけていた」
リーダーの顔は何だか寂しそうに疲れていた。
それは大人の表情だと私は思った。リーダーはやはり大人なのだ。子供の国を建国した子供は大人になってしまったのだ。
「けれど最近ではそれを信じられなくなった。あきらめの気持ちに打ち勝てなくなった。戦争にも疲れた。だからもうそれが嫌になって、一遍に終わらせる事に決めた。たった一人の私の一存で、今日中に全ての国民が全てを放り出して前線の基地に集結して、明日か明後日には総攻撃を開始する。勝てるかどうかも分からないのに。むしろ勝ち味は薄いと私は知っているのに」
リーダーが笑う。
「そんな者が人々の上に立っている事をあなたは笑いますか?」
「いいえ」
私はそう答えて、その場を辞した。
私は車に乗って、国境まで案内された。そこは山を貫くトンネルで、トンネルの終わりに二つの関所が備わっている。片方が子供の国、もう片方は子供の国でも大人の国でも無い別の国。その中間であるトンネルは中立の土地。
関所に母親の車が止まっていた。
「早かったね」
「お母さんが早く来ちゃうからでしょ、もう」
私は車に乗り込んで、案内の兵士と国境の警備員に手を振った。向こうも手を振り返してくれる。
車が出る。中立であるトンネルの中に入る。
私は国境に着くまでの間に書いた幾つかの記事を再度見直して、問題の無い事を確認すると、世界中に繋がるネットの海に流し込んだ。今迄誰も入れなかった子供の国の記事だ。きっと沢山の人が見てくれるだろう。世界中の色々な人達が。子供の国の人達も大人の国の人達も。
「捕まったって聞いた時はびっくりしたんだからね。子供だから助けてもらったって聞いても不安だったんだから」
「はいはい、ごめんなさい」
「もう。で、どう? 面白かった?」
「うん、面白かったよ」
「良いなぁ。お母さんも子供の国に行ってみたかったのに。大人じゃなければ行けたのに」
「すぐに大人でも行ける様になるよ」
私が書いた子供の国に関する記事の一つに、平和にする機械の写真を張ったものがある。第三研究施設の詳細な場所も書き込んである。ただし堅固な防衛拠点と詐称してある。その記事の見出しはこうだ。
『こどもの国の強力な兵器が完成間近! 勝利は目前か?』
きっとあの第三研究施設は空から降り注ぐ大人の国の総力を受けて滅茶苦茶に破壊されるだろう。そう思うと楽しくて、空を見上げようとして、窓の外がトンネルの中である事に気が付いて、私は残念に思って目を閉じて、これから起こる事を想像した。