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スマドラ世界の端っこ(ホラー?)

「おいどんは関取でおわす」

 私は返って来た答案用紙を見てそう呟いた。同じ文句が答案にも書かれていて、その上に小さくバツが載せられている。答案用紙の右上に書かれたテストの点数自体は悪くなかったが、その一文だけがどうにも恥ずかしかった。

「ばーっかじゃねえの」

 そう独り言ちて答案をひらひらと揺らめかせながら段々と窓へと近付けた。校庭では掛け声をあげる影達が体育の授業に精をだしていた。じっとその動きを見つめてから、微かに感謝する。もしも校庭に誰も居なかったのなら、答案用紙を窓の外へと飛ばしていただろうから。それは直ぐに誰かに拾われて、永遠に気付かぬ恥を作っていたに違いない。

 肩を叩かれて答案を見せる。哀れみと諦めを綯い交ぜにしたような表情を見て、思わず私は教室の真ん中を指差した。途端に輝く様に馬鹿笑いし始めて、その光に続々と集まってくる。そして私の答案用紙を見て、それから教室の真ん中に目をやって、そうして爆笑が起こる。

 私は溜息を吐きながら思いっきり背もたれに寄りかかった。折り畳みの座椅子は私の重みに負けて、後ろに傾いた。全てを預けていた私も後ろに倒れかけて、危うく手を突いて事なきを得た。全てを信頼していたのに、裏切られた気分だ。しっかりと支えていろと思わず毒づいた。

 私が答案用紙をテーブルの上に広げると、そいつは引っ手繰ってまじまじと見始めた。見知らぬマンションに今はそいつだけという事実が急に意識させられて、何だか苛々とした。

「関取でおわすってあんた」

「うっさい」

「何で関取?」

「うっさい」

「ごわすと勘違い?」

「うっさい」

「まあ、おわすとごわすの意味は同じだろうけど……お相撲さんは語尾にごわすを付けないと思うよ」

「うっさい」

「しかもおいどんって」

「うっさい」

「受け狙おうとして外しました感が酷いよね」

「うっさい」

「結局誰にもつっこまれなかったし」

「うっさい」

 私はいたたまれなくなってそっぽを向いた。窓の外にはまるで知らない夜景があった。何処だろう。私の部屋からこんな景色は見れただろうか。真上から見た都会の夜はまるで強い日差しの中で砂浜が光り輝いている様に沢山の光の粒が瞬いていた。私は座椅子に寄りかかりながら、しばしその景色に見惚れていた。

 じっと見つめていると、瞬く夜景は星空の輝きに変わっていた。星座の探し方を頭の中で反芻しながら夜空を眺めていると、窓の外を人が落ちて行った。それはほんの一瞬の事ですぐさま見えなくなったが、それと確かに目が合って、網膜を突き抜けて心の底へ不安とも高揚ともつかない余韻が入り込んできた。

「何でいきなり立ち上がってんの?」

 気が付くとそいつは立ち上がって私を見下ろしていた。テストの答案を揺らめかせ、暗い眼をしている。何か言いたい事がありそうだが、口をもごもごさせて何も言おうとしない。

「何? 言いたい事があるならはっきり言いなよ」

「関取でおわすってあんた」

「うっさい」

 外は夕焼けがより色濃くなっていた。先程までとは比べ物にならない位に赤くなって、粘質な赤色のヘドロが空に満ちている様だ。諦めの様な事を感じて、それでも最後の力を振り絞って、私はベランダへと向かった。

 するとまた誰かが落ちてきた。そいつは加藤久志と言って、詰まる所それは憧れである訳なのだけれど、結局の所彼女は先程落ちてきたのと同一人物だ。気の抜けた顔はこちらを一瞥すると涼やかに笑った。

「やあ、お嬢さん方」

 そう言って落ちて行った。彼は何が言いたかったのか。それは次に落ちて来た時に分かるだろう。

「ワープでも使えたらいいのに」

 そいつがそう言った。そう言った私は座椅子に戻ると脱力して窓の外を見た。

 一面が黄土色をした空には巨大な石が突き刺さっている。丸みを帯びた石は雲を突き抜けてその半分だけを下界に向けている。隕石が落ちてくるようだと思った。

 彼が落ちてきた。

「お嬢さん方。申し訳ないが何か重い物を投げてくれないかな?」

「なんで?」

 彼女は懇願する様な表情を作り、次の瞬間には下に落ちてベランダの蔭に消えた。

「てか、世界が終るって時にこんな所で寂しくってどうなの、あたし」

「終わってると思うよ」

「彼氏と一緒にとは言わないまでもさ。友達の一人くらい」

「だってもう誰も居ないじゃない」

 テレビでは力士が腕を振り上げていた。おいどんと言っている。関取らしい。おわすというのが口癖だ。みんなの嫌われ者だった。暴れに暴れているが、周囲は冷ややかに笑っている。

「お嬢さん方、僕は飛び降りたのですが、真下に穴があったのです。真上にも穴がありました。なので穴に落ちては穴から出て、ずっと落ち続けているのです」

「そうなんだ」

「お願いです。私に何か重い物を投げて下さい。そうすれば私は押し出されて、繰り返しから抜け出す事が出来る。安らかに落ちていけるでしょう」

 私は傍にあった椅子を掴んで思いっきり投げた。彼女に当たったが、どうせ何の効果もない。また落ちてくる。それは分かり切っていた。

「世界の終わりか」

 そいつはしかつめらしく呟いた。でも多分何にも考えていない。

「いつ終わるんだっけ?」

「明日の朝じゃなかった?」

「昨日の夕方じゃない?」

「今日のお昼だったかな?」

「そうだったかも。夜じゃなかったのは憶えてるんだけど」

 そうして彼女が落ちてくる。うっとうしい悲鳴から逃れられてほっとしているに違いない。

 道は赤い。赤は目立つ。だから追跡者の目につきやすい。でも安心。赤の波長は短いから遠くまでは届かない。

 空は白を滲ませた水色で、どこまでいっても平坦で、雲も何も浮かんでおらず、ただ沢山の顔が見えた。私が聞こえる。私が背中の痛みが酷い。不思議を感じる私の背中はきっととても強いから。まるで誰かの助けがやって来るのではと言う思いがやって来る。

 高く霞む空がぼんやりと黒く人の体に埋もれる私の秘密の底を期待の庇護を埋もれる終わりの到来の中で落ちる空が死ぬはそして。

 失敗あれは嫌われ者馬鹿。

 土埃お母さん痛い助け起きる。暗む。

 過去から見れば今は何とも馬鹿げた状況で、笑ってしまう位に信じられない事だけれど、同時に絶望の萌芽になり得そうな不安の塊が滞っている。

 未来から見れば今は何とも馬鹿げた状況で、笑ってしまう位に信じられない事だけれど、同時に諦観に似た悲嘆の波が足を掬おうと押し寄せてくる。

 遠くから響くサイレンの音が世界を震わせて、震えた空間が寄せては返す。あれは豆腐屋のラッパの音だろうから今は夕方なのだろう。すると今は昨日の夕方だ。いやもしかしたら焼き芋屋のラッパの音かも知れない。それでもやっぱり昨日の夕方だ。いや、焼き芋屋はラッパの音を鳴らさなかった気もする。あるいは吹奏楽部の音色かも。どちらにせよ午後の遅い時刻な事は変わらない。

 それはつまり登校したばかりの事で、まだ誰も集まらぬ早朝という事か。その割には沢山の人が集まって下を見下ろしていた様な。

 とはいえそれは世界の終りで、時空の区別は一切の意味を持たず、結局私という私とそいつという私と彼という私と彼女という私こそが意味を持っている。

 いうなれば、世界の終りに際して意味を持つ物は自己のみであり、絶対的な第三者客観を認識しえないこの世界ではそれ以外は意味を持たない。私という主観が世界の全てを包括している為に世界と同義の存在であり、おいどんの身が唯一無二の意味を持つ存在となる。とはいえ、おいどんは関取であるという主観は公理にほかならず証明しえないという一点を持って、その存在の核を持たず、よっておいどんは存在しえず、同時に世界の終りもまた存在しえない。つまりありとあらゆる全ての物は存在しえないはずでおわす。だからこの世に何も無いはずなのにそれが存在する理由を考えればそれは自明の事で、存在のあやふやさは存在しない事と同義ではなく、あやふやでありながら存在する事を認めればすなわち綻びの矛盾はまるで見当たらず、更に言えば通常思考に要する因果を否定し、原因の無い結果を考えれば、そもそも矛盾等と言うものは存在しない事が理解できるのであるから、関取という代名詞を冠した者が関取でない事に間違いなど一切なく、端の世界の究極の一点は詰まる所世界の終りと重なり合って溶け混じり合い、おいどんという関取もまたそこにおわす。それが彼女であり、世界に幕を下ろす。

 そうして世界が終る。黄土色の空が落ちてくる。誰も居ない世界の中で、私は見知らぬマンションの見知らぬ私の部屋に座っている。黄土色の空が落ちてきて、接触した瞬間に、私は何も思わず考えず、一人っきりの世界の終わりを、ただ温度も感覚も無く、それでいて感情だけを暴走させながら、既に私が私でなくなった事にも気付かずに、茫洋として世界の終りの真っ暗な意味を待つ。

 そして世界が暗闇の意味を持つ。

 暗い世界が明るくなり、私は温度も感覚も無く、それでいて感情だけが暴走する異常な状況に苛まれる。沢山の見下ろす顔を憎々しく思うと同時に、私は幾度か跳ねて黄土色の空を見上げ、遠ざかっていく黄土色を諦めの気持ちで見送った。心臓の凍る様な感覚が終わりを告げると、私はベランダに寄りかかって恐怖で暴走する手足を押さえつけながら、ずるりずるりと芋虫の様に這って教室へと戻る。そうして飛んできた椅子を受け取り、振り上げられた鉛筆削りを驚きながら、

「別に」

「何?」

立ち止まって睨みつけてきた関取にそう尋ねた。離れていく関取をつまらなそうに眺めていると、私は安堵して関取を見た。関取を指差して笑う多くの友達はやがて呆れた様に私の答案を見始めた。別の友達が寄ってくる。友達の馬鹿笑いが呼び寄せている。

 私が関取を指差して早口で言い訳を述べ、必死で言い訳を考え始めると、友達は馬鹿にしたような目つきで私をじっとりと見つめてきた。

 肩を叩かれて振り返り、答案用紙をひらつかせながら校庭に感謝をしていると、答案は私の手に導かれて机の上にへばり付いた。

 点数は悪くないが、そこに書かれた一文が恥ずかしい。私は恥ずかしさをごまかす為にその一文を声に出して呟いた。

「かぐや姫のかたち優におはすなり」

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